2015年8月16日日曜日

幻の鉄道建設公団AB線 ~道北の未成線~ 興浜線(3)

リメイク_リバイバル_アーカイブス
 この記事は1998年8月に取材されたものです。


取材1998年8月 ムーンライト松崎

幻の鉄道建設公団AB線
 ~道北の未成線~ 
興浜線(3)


   とりあえずは放棄されたトンネルを探してみたい。雄武を後にし、再び国道を走る。しかしご婦人の言っていた放棄されたトンネルがなかなか見つからない。左手に水管橋と化した公団規格の橋が現れたりするのだが、トンネルは見当たらない。それ所か気付くと、あっという間に7Kmも走ってしまい元稲府の駅予定地をも過ぎてしまった。慌てて駅予定地を探そうとするのだが、これまた容易ではない。こんな事なら雄武の役場に行っておけばよかったと思った。しかしどちらにせよ、先に述べたように調べるとしても後に日程がどん詰まりになってしまい、美幸線沿線を見る事ができるかどうかも怪しくなってしまう。そこで、今回は美幸線と名羽線を加えて3線同時企画にして、水増しをして、道北の未成線のイメージを伝える事にして、各駅ごと調査は省略する事にした。

  あのご婦人の言っていたトンネルは後の2日目の調査で見つける事が出来た。2日目はE氏が郵便局で、旅行貯金をしている間に、付近を散策したみた。タワーのある道の駅から線路が延びていたと思われる方向に歩いて行くと公園がある。築堤を崩したようであるが、これは建物を建てるために山を削ったらしい。駅からの角度からしてこの公園付近のようなのだがと思って周囲を見ると、何時の間にか老人ホームの散歩用の庭をキョロキョロと物色していたらしい。これはとんだ失礼をしてしまった。不審人物と思われては困ると思い慌てて老人ホームを回り込んで歩いて行くと、その先は住宅地になってしまっていて見当が付かない。

「困った」

と思っていたところ地元の人が歩いてきたので聞いてみた。

「興浜線?ああ、そこですよ」

「ヘッツ!?」

と思っても見当たらない。その人に案内してもらって、指差す方を見ると、なるほど住宅の間に築堤らしきものが見える。それにしても大抵は不審な人だと思われるのだが、歩いて行って案内してくれるなんて、ヤケに丁寧だなあと思った。肩から一眼レフカメラを下げ、デジカメとメモ帳を片手に持っていたのでどこかの雑誌社の取材だと思われたのかもしれない。

  さて、エンコラと築堤に上ってみるとなるほど、住宅が建つ丘の下を潜るトンネルが見える。これが前回ご婦人が言っていた放棄されたトンネルであろう。前後を見てみると、なるほどトンネルは道の駅と老人ホームを結ぶ線上にある。てっきり山をくり貫くトンネルだと思っていたのだが実際は住宅街にあったようだ。おそらく道の駅と交流センター、老人ホームは同じ時期に開業したのだろう。新築された建物だったので鉄道の臭いがそっくり消え失せていたのだろう。しかし、未成線の路盤に新築とは・・・。これでは「今後の再生の検討は・・・」と聞くまでもない。

  反対側は塞がれているとの情報があるので、敢えてこの先に踏み入れる事は止めた。


水管橋と化しているPC橋(元稲府付近)



雄武の市街地にひっそりと眠っていたトンネル


  再び、元稲府から海岸沿いに走ってみよう。北見音稲府、北見幌内と進むが、この辺、右はオホーツク海、左は牧場といった風景となる。並走している興浜線の未成線は左手にチラチラ見えるのだが、無残な姿だ。築堤は壊され農場に取り込まれていたりする。そして壊すのが面倒だったと思われる橋やアンダーパスといったコンクリート製の構造物だけがポツンと取り残されていたりする。あとで枝幸町の役場で聞いたのだが、建設が中止されてから土地を売った地主は線路敷を買い戻して農地に戻している人が多いようである。

農地に戻された路盤。
壊すのに手間がかかるからか、コンクリート製の構造物だけが
ポツンと取り残されている。(北見幌内付近)


  幌内の市街地を過ぎたところで、幌内川を渡る。興浜線も立派なPC橋で越えている。この幌内川を渡るあたり、非常に景観が美しい。一旦車を止めて幌内川を渡る橋に登ってみる事にした。国道は幌内川を渡った所で国道238号と道道60号が交差しているのだが、この60号が興浜線と交差する所では、築堤が大きく崩されていた。おそらく拡幅の時に壊されたのだろう。その壊された断面を登って橋の上に出てみた。同じ事を考える先人が多いのだろうか、獣道のように踏み固められた跡があったので、結構簡単に橋の上に出る事が出来た。

  しかし景色が美しい、左手にはオホーツク海が静かに広がり、右手の山並みからは幌内川がゆっくりと水をたたえながら流れてくる。よく水面を見てみると、肉眼でも見える程、ものすごい数のサケがいる。後で調べたところ、ここは道内でも有名なサケの観察ポイントのようである。


幌内川を渡るあたりは自然が美しい。


未成線の橋の上からも遡上してきた無数のサケを見る事ができた。


  幌内川を過ぎると、枝枝幸、北見音標と進む。北見音標を過ぎたあたり、枝幸町の西音標で完成した路盤は果てている。路盤は音標で果てているが、計画線はこの先、風烈布、乙忠部、北見山臼、徳志別、岡島と進み南枝幸で美幸線と接続し、北見枝幸に到達する。南枝幸から北見枝幸までは美幸線の路盤が完成している。雄武-北見枝幸間が48.5Km、路盤が果てるあたりが、雄武から20Kmちょっと。だいたい50%ぐらいの完成率か。公団の資料や未成線大全科では50%となっているから、やはりほぼ半分ができていたと考えていいだろう。予算の投入の状況から察して、もし仮に建設が続いたとして、完成は1990年(平2)頃だったと推定される。


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