2022年7月17日日曜日

(10)伊予小松駅〜61香園寺〜62宝寿寺〜63吉祥寺〜64前神寺〜新居浜駅

 2020年2月16日(日)(2日目)

区切 伊予小松駅 7:00

伊予小松駅に7:30に戻って来た。ここから昨日は夜になってしまった所を少し打ち戻って、61番香園寺。香園寺はRC造で作られた寺で割り切った構造。礼拝もお堂の中に入って行うなど、一風変わった感じである。思い返せば、東予地区から讃岐地区にかけて、伽藍が変わった寺が増えてくる感じがする。

61香園寺
8:00

この頃のログから、霊場に入った時間なのか、出た時間なのか、記載が曖昧になっている。いちおう地図にプロットされている時間を援用するので、おおよそ到着時刻だと思われるが、ご了承いただきたい。

この日は雨が降ってきた。昨日から怪しかったのであるが、今日は地味に濡れる雨。ガッツリ雨具を着て、納経帳と地図は濡れないよう、ビニールで養生して、ザックにはレインカバーをかける。ホテルを連泊としたので、今日歩く分は荷物は中身を出しておいたので、軽量なのであるが、お寺で読経、勤行するにあたって、雨具を扱うにあたって手間がかかる。今日は4寺ある。

香園寺から歩いてすぐ、伊予小松駅の隣が、宝寿寺


雨天の中、打ち戻って宝寿寺


62宝寿寺
8:30

宝寿寺を打ってわずか1.4K歩いて吉祥寺

63吉祥寺
9:40

次は少し距離があって3Kほど歩いて

64前神寺
11:00

前神寺に続く道、ミカンの垣根。


前神寺は神仏習合のようなお寺

と、霊場は、結構あっさりと午前中の早い時間に4寺を打ってしまったが、ここから次の伊予の国最後の霊場65番三角寺までは45kmほどある区間である。これほど長居のは宇和島界隈以来かもしれないが、宇和島の時のように40km超を1日で歩こうなんぞ。ここでは考えなかった。どちらにせよ三角寺からの県境越えも日程どりが難しく、明日も含めて伊予三島までで打ち止めで良いかもしれない。そう考えると、今日は新居浜まで歩ければ良いだろう。

11:50分加茂川を渡った所で、番外霊場ジョイフル発見。雨で、だいぶビシ濡れになっているのでここで一息入れる事にする

ジョイフル
11:50着
12:30発





日付を見て貰えれば分かる通り、思い返せば、コロナ渦の入口だったこの日であるが、どうもジョイフルは少ない人数で回していたようで、自分が入ったのが11:50分ですぐに案内されたが、12時を過ぎてから入った人は40分の「ウェイト」(待ち)をかけられ、座席が空いているのに案内されない規制がかかった。タッチの差で危ない所だったが、食が細い遍路旅。お約束のジョイフルで雨の日のリセットを行う。

ホールが回ってなく、会計に恐ろしく時間がかかったり雨具の装着に20分とられ、実際は12:50発。ここからは単調に国道11号の歩道をゆく事になる。雨が降っているのもあるが、休むにも適当な場所が無い。

ちなみに伊予西条は東海道新幹線を開業させた国鉄総裁の十河信二総裁の出身地のようで、駅前にちょっとした博物館があるのであるが、毎度タッチの差で見学できず。これは遍路歩きなのだから仕方ないのだが、通し打ち遍路なら、休足して、ゆっくり見学すると良いかも知れない。


伊予三島は十河信二国鉄総裁の出身地

写真は、ホテルが三島駅前だった関係で撮ってあったが実際は、国道11号をスルー。街を出るあたりにパワーコメリがあったので、ここで一休みする。

雨の中休むところがこんな所しかない。


14時コメリを出る頃に雨が止んできたので、ここで雨具を収納する。恐らく15時すぎには新居浜駅には着けると思うが、雨具が無くなるだけでだいぶ気持ちが楽になる。室戸のどしゃ降りの中の歩行でも感じたが、平地の遍路歩きでは、雨は、あまり歩行速度は変わらないようであるが、雨具の装着、収納に時間がかかるようである。

新居浜の駅との分岐に着いて15時。ここで遍路道と逸れて、遍路地図に無い道をゆく。予め調べてはおいたが、文明の利器の、iPhoneの地図機能を使って歩いて行く。途中11号のBP工事で道がNGだったり、自転車専用道だったりと、スマホ地図にも翻弄されながら、意外と新居浜の街中で時間を食っていまい、新居浜駅には16:30着であった。


雨上がりの新居浜駅。EF210が待機している姿が見える。鉄道施設も電化区間に入り、コンテナ扱駅を見るといよいよ雰囲気が変わってきた。


区切 新居浜駅 16:30


2022年7月14日木曜日

(9)新居浜駅〜三島川之江BS

2020年2月17日(月)(3日目)

区切 新居浜駅 8:20

このブログを前から読んでいるか後ろから読んでいるか。お遍路ブログは全部通しで読むのではなく、自分の歩きたい区間をピンポイントで読む人も多いと思う。これより前は自分も18年かかって結願している事の思い出しであるから、メモとして残っている事以外はだんだんとうるおぼえになってくる。

さて、新居浜駅から三島川之江の間には打てる寺は無い。細切れの遍路旅にはなっているが、いちおうの約束として、全日程において、1寺も打たない「打てず遍路」はなるべくやらないという事にしている。ただし歩きで歩くからには、1日歩いても打てない区間が高知や愛媛には多々存在するのである。ここも64番吉祥寺から県境越えにかかる65番三角寺までの区間まで44キロの距離があり、健脚でも1日の設定は苦しい。通常は、「四国遍路ひとり歩き同行二人」の遍路地図のA4見開きの3万分の1の地図の横の図で2枚ちょっとが限界というのは長い遍路旅でだいたい分かった事である。ここの区間は2枚半あり、自分の足では難しい。日程を延長して連続行程として観音寺までは出てしまうという事もよぎったが、帰った後の予定がきつくなるため、予定道理に帰る事にした。この後の日程を見れば分かると思うが、この時まさにフリーランス活動を始めた元年であり、概ね10日~20日の間は遠征取材日として開けるビジネス設計としている。

さて、伊予西条で連泊したので、新居浜には8時20分着。本音は、国道11号沿いにあるビジネスホテルのMISORAにしておけば、戻る手間もなかったし、良かったのであるが。この区間は初日に無理があったのと、前述の通り、先行きが長いので、この後香川ステージで連発する、線路沿いの区間はビジネスホテルに連泊して、列車で区切り点まで移動する事にしたて効率化したのである。しかし、新居浜に限って言えば、11号から駅がだいぶ奥まったのと、新道工事のために、道を迷ってしまい、30分強のロス。10:12分。最終日はケツが決まっているので、朝からピッチが遅れるのは嫌である。

 この3万分の1の地図っていうものは、進むようで進まない。中には5万分の1で作図されている所もあるので、遍路地図を参考にされる方はここを注意しないと、「アレ?なんでだろう」って思う事になる。

 てな訳で、地図に描かれていない所に新居浜駅があったので、地図に戻ったのもつかの間。国道から離れて、21.9Kの関の戸をすぎたあたりからお腹が痛くなり、道の下でピークに、、、ま、、、まずい

「漏れる」

すると遍路道から離れた11号沿いにアポロマークのガソリンスタンドがあるではないか。遍路地図の解説編にガソリンスタンドは自動車の給油のための施設であり、お遍路さんお断りの札がない事を祈る。なんて戒めの言葉があるが、色々汚したり、いつまでも出て来なかったり問題がある人も多いのだろう。

ともあれ、田んぼの向こうに見えたので、あぜ道を突っ走り、水路を飛び越え

「トイレ貸して下さい!」

と。トラック野郎の一番星ばりに凸激して、危惧していた断れる事もなく。無事、事なきを得た。後にも先にもお腹が痛くなったのはこれきりだが。女性のお遍路さんはこのような打てず区間はトイレマネジメントが大変という事は予め。四国は道の駅が多いのと、コンビニも少なくもないのだが、山間部は要注意である。地図には「10:35う〇こ」と記してある。


今日は国道を避けて、旧街道を延々とゆく。

さて、遍路地図の次のページが単調な事、単調な事。3万分の1の地図を延々と横に歩いて行くだけである。途中の伊予土居で12:00時で正午のチャイムが鳴る。このあたりで飽きてくる。ただ、逆算すると、残り8Kmほどにまだ3時間半の余裕があるので、長野までの終電に間に合わない事は無さそうなので、ここは安心して歩いて行く。


前から不思議な愛媛ナンバーの字体。県名一文字の時代で「愛」の愛知と間違わぬように妙な字体でこちらを、二文字の「愛媛」としたのだろうが、最近ようやく普通の字体になったようである。

2月の気候は寒すぎず暑すぎず、歩行速度を伸ばすのには良い。平地歩きならかなりアベレージが伸びるであろう。根々見のバス停の所で、国道の反対側に出てまだなお進み、豊岡小学校を過ぎて13時11分。

地図のページが変わる。ここでいよいよ。愛媛県は最後のページである。下段には愛媛最後の霊場65番三角寺、その先には愛媛、徳島、香川県境が描かれている。

今回の旅は、次回の国境越えに備えた、登り口までの旅である。


向こうに海が見える、いい感じの木造駅舎の伊予寒川駅


伊予寒川のあたりで、伊予三島駅を打ち終わりとするので、遍路道から逸れて国道へそして、県道123号へと入ってゆく。このページに入ったあたりからは直接は見えないが海辺の香りがしてきており、標高は海抜なのだと思うと、次回の県境の三角寺〜雲辺寺がどうなるか。ちょっと予測がつかない所を考えるようになった。

後半は安心して歩みが遅くなったか、伊予三島駅には14時55分着。

行きのオレンジライナーを三島川之江BSで降りて遍路姿に着替えて、礼をし、三島川之江BSから、伊予三島駅までは遍路として歩いて、伊予三島駅で区切りの礼をしておいたので、次回は、伊予三島駅、三島川之江BSどちらから歩いても良い事とした。

これでいよいよ県境越えとなるのであるが、この後、厳しいコロナ渦がやってくる事になるのである。


今回から帰途は鉄道となった。8000系電車のリニューアル編成のアンパンマン仕様に当たる。思い出しながら書いていると、あのとき乗ったのは一瞬8600系だったけななんて思う変貌。指定席車はウッド調で、8600系より高級感があり、乗り得な感じさえする。特急「しおかぜ」を岡山方面へと向かう、思えば8000系電車の特急に乗るにも、「宇和海」だったり、帰りが松山空港なので松山へ戻ったりがほとんどだったが、今回遍路旅で、発心の時以来の鉄道での瀬戸大橋経由となった。

土佐ステージで慣れ親しんだ2000系気動車特急にも後継車が現れた。紆余曲折があったようで、TSEを経て、2000系気動車の開発に始まり、8000系電車となり。いよいよ置き換えとなった8600系電車は空気バネ式の車体傾斜を採用したものの、新規開発した気動車の2600系で同様の車体傾斜機構を採用した結果、土讃線のハードな運用で空気不足(名目は)が発生し、2000系同様の振り子式ながらベアリングガイド式を採用した2700系が登場。JR北海道では諦めてしまった高速化の努力が未だ進行中なのは頼もしい。遍路歩きで歩いていると、「金を余計に払っても乗りたい」と思わせる存在感がある。

区切 伊予三島駅または三島川之江BS 


2022年7月12日火曜日

(8)三島川之江BS〜65三角寺〜66雲辺寺〜67大興寺〜かんぽの宿観音寺

 2022年4月16日(土)(1日目)

区切 三島川之江BS 6:15

 前回が2020年であるから、今回はコロナ渦で1年が空いてしまった。途中、四国遍路の納経が停止されるなど、とても打ち出る事ができない状況であったが、ο株の流行も落ち着き、新型コロナ予防接種も3回目が終わるなど。地方間の流動はだいぶ緩くなった。

それでもいざ四国に出かけようとすると、肝心の夜行バスの運行が無いようである。便利だった、名古屋からの便は設定が無いようで、東京からの便は週末を中心に設定があるようなので、行きだけ、バスを設定し、帰りは鉄路で帰る事にして予定を立てた。選択したのはパイレーツ。発地は渋谷のマークシティである。徳島ステージでは、「エディ」に乗る時に、今治行のパイレーツを見ると

「あれに乗るのはいつだろうか」

なんて思っていたバスであるが。(前回は名古屋から乗ったので乗らなかったのであるが)いざパイレーツを目前にすると感慨深いものである。目下ご時世、ガラガラかと思ったら、そこそこ満員。次回、名古屋から乗ったバスで拍子抜けする事になるのだが、今回は、造船関係の外国人が戻ってきたからなのか、異国語での会話が聞こえる。ご時世、物騒な雰囲気で、早々にカーテンを閉めて寝てしまい。翌日6:15、三島川之江のバス停に到着。

ここで、伊予国(愛媛県)から讃岐の国(香川県)へ。菩提の道場から涅槃の道場へ移る事になる。

ここは変則的は打ち方、前回、三島川之江BSから伊予三島駅まで歩いて足跡を残したので、ここで前回の打ち終わりの伊予三島駅ではなく、遍路姿で歩いた足跡が残っている、三島川之江BS(バスストップ)

を区切として擬制する。

さて、今回、先人のブログを読むと、快速で進めば、雲辺寺で国を超えて、観音寺市内まで行けるとの事である。しかしながら、海抜に近いここから、三角寺を経て標高900米の雲辺寺をを越えて、また海抜に近い観音寺に戻るというコースで、距離も30kmもある。これは足摺岬まで往復した時以来のタイトなコースになるのではないか。しかしながら、歳の頃同じくらいの先人が歩いているのだから。ここは歩くしか無い。


三角寺へ登る道から三島を見る。
さようなら菩提の道場、伊予の国

BSを出発し、三角寺まで上る。ここ、かなり急な坂なのであるが、思いのほか調子が良く、三角寺には寺が開く教科書的な時間に到着。

65三角寺
7:00着
7:15発

三角寺からは余裕が無い。というかここの下りをいかに快速で下るかで、今日の到達ポイントが決まる。地図で見ると、一旦徳島県に入って池田町。池田PA。阿波池田っていうあたりが違和感があるのだが、そこまででおよそ三角寺から13K。ここに到達する時間で、ケツが決まる。というか今日は、かんぽの宿観音寺に宿を取ってあるのでエスケープポイントが、雲辺寺に上れなければ阿波池田しかも土讃線。あまりエスケープとしては使えない。何しろ歩き切らねばならない。過去に宇和島で夜の10時まで泣きそうになりながら歩いた事もあるから、これは歩くしかないと思い歩き出す。

緩やかな下りで、軽やかに下ってゆく。常福寺の所で8時45分。よし、時速4kmペースを守っている。ここから国道192号線となり、金生川に沿って歩く。阿波池田方面へ向かい高知や徳島へ抜ける車が多いのか、結構車通りの多い道であるが、歩道は整備されてあるので、騒音と排ガスが嫌であるが、歩くには適した道である。

曼陀峠との分岐で9時42分。ここで先人のブログを読むに、雲辺寺を越えて下りるには、ここは遍路道ではなく、境目トンネルで、一気に抜けてしまった方が良いようである(後で考察すると、曼陀峠も舗装道のようなので、この先の急斜面を上るロスを考えるとどうかとも思うが)ここは先人の記録どうりのルートで確実性を取る。


時間短縮で国道をゆく
逆目トンネルは大型車が行き交い怖い

境目トンネルは記事で読んだとうり、かなり際どく、とにかく轟音がひびく、上に粉塵が舞う。大型トラックもひっきりなしでたまらない。何とかトンネルを抜けると一度、徳島県に入る。四国4県ここで接してないのは高知県だったか。何しろ4県の境目みたいな所。


一度、徳島県に入る

下りに転じて歩いて行き、佐野郵便局の所で川を渡り徳島自動車道を潜ると10時55分。2時間で雲辺寺に着けるだろうか。ここから上ろうとすると勾配が半端ではない。まずは凄い急な階段の出現。すると地元のおじさんが話しかけてくれた。

「きついのはここから1時間だから。上にのぼれば、楽だよ」

との事。地元の年配の言う人の事は大概当たっている。1時間急坂を登って、1時間緩坂をのぼる、だいたい並の足で13時といった所だろうか。


佐野からのコースは急峻な坂を一気に300m登る。2kmを1時間と山の見積で歩くと良い

しかし、何しろここの出だしがきつい、遍路地図を見ると距離にして1300米で標高を300米上らなければならない。こういう時に最近のスマホには、GPS高度計機能がついている。確かにここは標高で300m、キツい坂を上りながら時々計測していく、400m、450m、、、、、と息を切らしながらも快速で上る、苦しい。600m。クソまだ舗装路に出ないか、

670m、やった舗装路に出たぞ


きつい坂を登れば天空の尾根をゆく舗装路ここも四国電力の保守も兼ねているのか、鉄塔が沿っている遍路道。徳島から思っていたのだが、何かと電力会社の保守用道路を通る区間も多い。

ちょうどこれは曼陀峠から続いてきた道に出たようである。このきつい上り勾配を上るのが良いのか、曼陀峠を来るのが良いか。雲辺寺には簡易宿泊所があるらしいが、標高が900m後で聞くことになるが、春先でもまだ寒いので泊まるのを断念して下る人も居るらしい。ここの道の取り方は難しい。自分は、無理してでも歩き切って里に下りる選択である。

700mを越えても、舗装路ながら雲辺寺の900mまではまだ200m登らなければならない。先程の道よりは良くなったが、やはりきつい。流石に速度は落ちているが、快速で登っていく。駐車場を過ぎて880m。まだ登るのか。ここら辺で足の具合がおかしくなってきた。とにかく辛い。駐車場からの残りの標高差20mを登り切って。

66番
雲辺寺
13:00着
13:30発

標高が900mあるとだけあって植生が違う。地元の長野で言えば、小諸の方の丘の上だろうか。もっとも長野ではすぐに、人里でも標高1500米とかとんでもない高さになるので、四国は急峻とはいえど、標高はさほど高くはない。(というか長野が高すぎ)。

雲辺寺では人が賑やかだ。どうも快速遍路の競技をやっているのか、サポーターとランナーが登場する時間らしく、ロープウェイで登ってきた、サポーターが、ランナーを送り出している。

「こ、、、、ここを駆け上がって、下るのか」


涅槃の道場、讃岐の国へようこそ

自分も時間がある訳ではないので、納経を済ませたら、次の67番大興寺までの逆算ではおちおちしていられない。67番を打ち損ねると宿をかんぽの宿観音寺に取ってあるので、翌日が凄く損をする事になる。明日以降、身にしみるのであるが、大勢に影響する失敗と、大勢に影響しない失敗がある。今日は実はこれから大勢に影響する部分で大きな得をするのであるが、翌日以降大勢に影響しない、大きな痛手を被る事になる。

さて、足が痛いが、痛いのは上り坂だけのようで、下り坂は、快速で下っていく。自分も決して遅い速度で下っている訳ではないと思うのだが、さっきの快速遍路の人たちが、転げ落ちるような速度で、走って下っていく。

「一体どんな記録を作るのだろうか」

見るからに、小型のリュックを背負っているだけなので荷物はサポーターが持っているようである。体だけならどんなに楽なものか。納経帳と御影帳と教本と地図しか収まっていないが、山野袋は重く首にのしかかり、軽量化しているものの、背負いの着替え、雨具と、携行する水が重い。もっとも水は2Lを背負って出るが、行程、昼をすぎると、1.5Lを消費してだいぶ軽くなっている。

さて、登ってきた時とは逆に、800、750、700、、、と時計と高度計を見ながら下りていく。67番が打てないと諦められるなら、諦めるのだが、数字が悪くない、500、400ときて、こちら側は極端に急ではないが、そこそこ急な道を150mまで下らなければならない。時折聞こえるロープウェイの音にその方角を見ると、歩きの速度から見ると凄まじい速度で「搬機」が空を舞い、下り、そして登っていく。200m、150m

やったぞ、舗装路に出た。

15:08分。67番大興寺までは5kmほど。これは行ける。

この先に民宿青空屋があったが、小綺麗な今風の民宿だったので、15時だし、本来ならここで泊まるのが、賢かったかもしれない。しかし、先へ行ってしまった、これがこの後数日に渡って尾を引くことになる。

150m地点まで下ってからしばらくは、多少の痛みはあるもののさほど不調は感じられなかった。ただ、この辺りに限界点があったようで、ここで休まなければ、いけなかったようだ。岩鍋池を過ぎ、分岐を右に曲がると、平地でも足が痛むようになる。

まずい。

でも後残りたかだか1kmちょっとである。されどこの1kが辛い池の間を抜けて坂を上り、やっと大興寺かと思ったら、裏口で正面は回り込んだ反対側。

聞いてないよと思いたい所、いよいよ足が痛い。

67番大興寺
16:30着
17:00発


大興寺に着くが、まだ階段が見える

16時半を過ぎた駆け込みの時間に辿りついた。同じく駆け込んだ、車遍路の人たちと一緒に階段を上る。

痛い

何だろう。手すりに捕まらないと登っていかない。思い返せば今日はここまで30km程、山のアップダウンを標準速度を落とさずに歩いて来たので、ここへ来て足に来てしまったようだ。

大興寺を打って、17時を過ぎ、後は宿へ行くだけ。先人によれば、ここからが辛いというのだが、同じように歩いたのだから、自分も同じようにきつかった。一歩歩くだけで、ズキっとする痛みが襲う。宿までは4kmほど。途中夕食と夜食を買いにコンビニに寄ったとは言え、宿に着いたのは18:30を過ぎて19時近くなった頃。日も落ち、宿がライトアップされていた。宿に入るまでのアプローチがきつかった事きつかった事。

引きずるような足取りで今日の宿に到着。

区切 かんぽの宿観音寺 18:45










2022年7月11日月曜日

(7)かんぽの宿観音寺〜68神念院〜69観音寺〜70本山寺〜みの駅

 2022年4月17日(日) (2日目)

区切 かんぽの宿観音寺 6:05発


足の具合を考えて早朝に出発

 昨日は健脚の人のブログどうり、伊予三島から三角寺と雲辺寺を経て大興寺まで打って。これは歩いたぞと思った。この分だと今回は坂出まで行けるのではないだろうか。そういう浅はかな思いで、格安で出ていたとは言えオーバースペックな宿に泊まり、ユックリしたつもりが、朝の3時に起きてみると、足が痛い。足の何処かというと、大抵は足裏に来るのだが、今回は太ももの表側と、付け根が激痛。ストレッチなどして、痛みを取ろうとするもイマイチ。

確か、高知ステージの神峯寺で、この部位が痛んでしまい。宿の女将さんに、お守りを貰って翌日、事なきを得たのであるが。今回、山野袋を探すとお守りが無い。痛い時はさすって、痛みを除けていたのだが。何か先行きが悪い。そして事実となる。

6:30、痛い痛いともがいてばかりでもしょうがないので、早めに宿を出る。素泊まりの宿を朝をべらぼうに早く出るために泊まる事もあって、過去の記録では3:30とかに出た事もあるようだが、少々休んで6:30に出る。

宿を出て、坂を下り、観音寺市街へ。そして市街地を歩く頃になると、慣れて痛みが引くどころか、どんどん痛んでくる。

「おいおいまじかよ」

途中、道に迷ってる方に次の本山寺へ川の右岸がいいか左岸がいいか、

「左岸のほうが近いですよ」

などと教えながら、なるほど宿を早く出て7時に打って出たか。と思いつつ7時50分。4kmの距離に1時間20分。かかっている

68番神念院
69番観音寺
7:50着
8:16発


68番と69番は同居している

市名どうりの観音寺に到着。ここへ来て事件勃発。足が上がらないのである。足を上げようとすると太ももに激痛が走り、手すりにつかまって上るのがやっとである。平坦地なら歩けるようであるが、もう80も近いような足取りである。これは参った。

この寺は観音寺と神念院が同居しており、本堂と大師堂はそれぞれにあるのであるが、納経所は1箇所に同居、なのでそれぞれの本堂と大師堂で4回読経をし、納経所で600円支払って2寺分を書いてもらう。皆とまどっているようだが、意外とコンパクトな伽藍に2寺分、ギュッと詰まっている。

観音寺を出て財田川に戻るが、先程の道に迷っている方に左岸の方が少し近いですよなんて言っておきながら橋を渡ってしまい、右岸に。いやぁ、足が痛くてたまらないのに、なんで遠回りしてしまったのだろう。次の本山寺は左岸にあるのだから右岸を歩いたら、決して狭くは無い河川敷にかかる橋を2回渡る分だけ損なのに。

しかし右岸は土手上の遊歩道っぽくなっているので、河川敷へ下る階段や、ちょっとした縁石の上でよければ座る場所はいくらでもある。地図を見ると道路橋を3本続いて予讃線の橋が1本、次の橋と4本目で対岸に出るようで。一番近い1本目の橋が稲積橋かと思ったら違って稲積橋は次。もう、こんな具合で、牛歩で歩く。歩けない訳ではないが、痛い。歩かないと進まないで、4.9kmを1時間45分かかって10時ちょうどに本山寺へ着く。

70番本山寺
10:00着
10:30発


本山寺は塔のある立派な伽藍

塔のある立派な寺だななどと思いながら、本山寺を出るが、ここでもう1時間半くらい余計に時間を食っている事になっている。そもそもの予測では本山寺には8時半過ぎにはついて9時過ぎには出られる予定。71番弥谷寺は約12Kの見積で12時、遅くとも13時発。72曼荼羅寺には14時着で14時半発、15時に出釈迦寺に着けば15時半に出て、甲山寺に16時に滑り込み〜善通寺は間に合わないだろうからホテル着。

というのが筋書きだったが、どうも山の予感がする71番の弥谷寺を越えて善通寺の谷に出られる予感がしない。運が悪い事にエスケープ用の鉄道の予讃線は、みの駅から大きく海沿いを迂回して多度津に至るので、弥谷寺からは自力で歩かねば駄目そうである。



日曜日、若さ溢れる原付軍団。なぜかほぼ全車スクーター型。交差点を曲がるのに3回。これは予讃線殺しの学校指定の型の「通学用」バイクなのだろうか。地域性かね。もう構っていられないほど、体が痛む。


とにかく国道11号沿いを歩く。追い越していくお遍路さんに気遣ってもらう。歳は50過ぎだと言うがシャキシャキ歩いて来た。そして、遅い僕に合わせて歩きながら話しかけて来てくれた。

「この先、高瀬川を渡った所でお接待をやってるから行ってみな、休まないと無理だよ。」

どうも話を聞く限り、地場で、もう何周もしているのか、お接待が出るポイントまで熟知しているようだ。丁寧にお礼を言って別れる。そのお遍路さんは、高瀬川の手前で、近道らしい脇道に消えていったが、残念ながら、まっすぐ進んで高瀬川を渡ったお接待ポイントは今日は人も無人接待のお品も無かった。自販機で給水して凌ぐ。高瀬の所で、12時42分。約6kmといった所を2時間。

遍路地図で道程を計算してみると、時速3kmといった所。無茶苦茶遅いという訳でも無いのだが、問題は足の痛みである。痛みがあるからには、どこでブレーキがかかるか分からない。そして決定打は7.4K地点を過ぎたあたり、ここで昨日、かんぽの宿に入る時に感じた「無理痛」が来てしまった。ちょっと歩むのも辛い。弥谷寺までは頑張って打って、バスで善通寺という選択肢も脳裏をよぎった(高知でエスケープを準備時の手法)が、もはや最寄りバス停を探し、時間を調べる力もない。

石に座り、高瀬の次の駅から善通寺までを考える。次の駅は「みの」駅である。ジョルダンで検索しても、三野が無い、、、ウィキを見るに、どうやら、地元の請願で平仮名の「みの」という駅になったらしい。まあともかく、検索かけて、善通寺は予讃線ではなく土讃線。乗換が必要。多度津で土讃線の接続があるので、善通寺には14時には着くようだし、明日の検索をかけると、6時過ぎに善通寺を出ると7時20分には戻ってこれるようである。多度津での乗換時間がもどかしいのと、エスケープΓの字を書くような行程なので運賃も安くはないが。今日は打ち止め。

しかし、便利になった、発心した時は、ガラケーの時代。検索をかけるにはPCが必要だった、列車も冊子の時刻表で時刻を引いていたし、乗りテツの勲章のブ厚いのを1冊、リュックの横に挿して携帯していたw。高知ステージの高知市あたりでスマホになり、愛媛ステージに入ると、GoogleMapによる現在地表示とジョルダンなどの乗換検索ができるようになった

「何はともあれ、エスケープ!休足!!!!」

おかしいなぁ、昔はこんな事なかったのに。足を引きずりながら、みっともない姿でみの駅に13:30着。ここで接続が良くて善通寺には14時半についてしまった。調子こいてホテルには18時着なんて言ってあったものだから交渉すると、15時半からなら入れますとの事。食を探すにも時間的にも中途半端なので、四国名物、「駅のセブンイレブン」で弁当買ってその場で食べて、夜の分も買い込んで、ホテルに倒れ込んで、15時半。

ここからは記憶がない。よほど痛かったのだろう。ただ、明日の予防に努めたのは良かったようで、痛いところを探して、ストレッチ法を試して。風呂に入る時、夜に起きたときもシッカリと足を手入れした。これが、翌日効くことになる。それと、神峯寺の麓の宿で貰った先達からのお守り。これは今回、忘れてしまったが、次回、御利益を得る事になる。旅の途中でいただく心付けだが大先達と思われる人が彫ったお守りは、とかく助けてくれるようだ。

区切 予讃線みの駅 13:30










(6)みの駅〜71番弥谷寺〜72番曼荼羅寺〜73番出釈迦寺〜74番甲山寺〜75番善通寺〜76番金蔵寺〜多度津駅

 2022年4月18日(月)(3日目)

区切 予讃線みの駅 7:20発

昨日の大ブレーキから明けて一夜。早朝の善通寺駅。本来なら鉄道を使わず打ち通す所をエスケープしてしまったので、また土讃線〜多度津乗換で〜みのまで戻る。送り込みなのか、朝一番の「あしずり」号が中村行きで出て行く。系統分離になって久しいのに中村ゆきとは珍しい。短い区切り打ち遍路必須の万一の時の離脱手段は考えているが、エスケープを利用したのは、道中初めてかもしれない。よりによって最終日なのだが、一旦予讃線から離れてしまうのが不安である。しかし、善通寺まで戻ってくれば、今度は土讃線が沿っているので弥谷寺から善通寺まで歩き通せれば問題は無い。昨日は昼夜兼用食を食べてから、ストレッチをするなどして、だいぶ痛みは引いて、駅の階段を上る時に激痛が走るという事は無くなったようである。少なくとも昨日よりは具合が良い。

多度津で乗り換えて、みのには7時20分着。ここで、歩行速度を計測しておく。無理をせずに歩いて1kmを15分を切る速度で時間に直すと4km/h。とりあえず大丈夫なようだ。昨日、息も絶え絶えで、みの駅にたどり着いたときは2km/hを切っていたから不安は残るが、善通寺にはたどり着ける予感がする。

昨日の打ち残しを歩いて7時50分には弥谷寺の登り口に着く。

「何だ、この程度か」

と思ってしまったが、この後の弥谷寺の様相とその先道中を考えると、昨日のエスケープが御大師様の思し召しだという事がこの後分かる。

上り口で、12mの大型観光バスが上っていくのが見える。久しぶりである。昔なら

「シマッタ」

と思うのだが。よりによって月曜日。でも遍路ツアーは土日では終わらない事多々であるし。久々に見た団体は喜ばしい事である。今回は彼岸で天気が良いのか。ツアー客が多かった気がする。

弥谷寺は地図で見ると平坦なのであるが、遍路地図に「注189」と書いてあるのが気になる。

71番弥谷寺
8:10着
8:48発

経過時間を見ると分かると思うが、休んでもいないのに時間がかかっている。ここはとてつもない階段が現れた。境内に入ってから100米の上を登るなんて聞いてない。と言いたいが、これは皆さんブログで書いてある。弥谷寺は長い階段が待っている。さきほどのバスツアーの方々は年配のご婦人方で、バスで回っても、この階段はどうにもならず、皆さん必死に登る。そう、車で回ってもそれなりにキツい所はキツいののである。

しかし、伽藍が立派である。階段を上ると岩に囲まれたお堂が出現し、室内にある大師堂から見える遥拝場は荘厳である。やはり讃岐の寺は伽藍が凄い所が多く、一国参りなら讃岐をユックリ回るってのがお勧めかもしれない。

弥谷寺を出て、遍路地図の遍路道をゆく。しかし、ここが、竹のやぶが多くて、道が悪い。しかし、遍路道ではあるようで、踏み固められているので。間違いではなさそうなので、杖で払いながら歩く9時28分には高松道の畔に出た所で、弥谷寺の階段で痛めつけられた足の具合も大丈夫そうなので、最低でも善通寺に辿りつけそうな予感がしてきた。しかしこの竹藪の道が次回後日、五色台での遍路道の選択ミスを誘発する事になる。


竹藪の遍路道をゆく

高速脇からため池の畔を抜け、国道11号を抜けてまたため池を過ぎると、曼荼羅寺である。讃岐は、ため池が多いので、目印にはなるのだが、地図で見るのと、想像が違っていたり、そもそもため池だらけなので、一体どのため池なのか、間違いの元にもなるので、これまた注意。ちなみに今の居住地の長野県の上田市、とりわけ特に隣の東御市が水利が悪くため池が沢山あり、航空写真で見ると凄い水たまりに見えるのだが、香川県は全域にわたってため池だらけで、規模がでかい。さて

72番曼荼羅寺
9:50着
10:10発

曼荼羅寺を打つと出釈迦寺はすぐ上。ここで少々足の具合に注意ランプが点灯し出した。無理が出ないように気になる所であるが。

73番出釈迦寺
10:30着
10:50発

出釈迦寺から讃岐平野を望む
いよいよ結願の地

ここはテンポよくこなす。なんとなく霊山寺からの霊場の連続が短く、発心で、

「こんなものか」

とまずは、油断していた頃を思い出す。寺が多いので、納経料の小銭がすぐに無くなってしまうのも讃岐ステージの特徴か。小高い丘の上から善通寺の街を見ると、いよいよ、讃岐の平野部に来た事を感じる

本当ならエスケープせずに歩いて来たかったのであるが。丘を下って、平地に下り、甲山寺はすぐ。

74番甲山寺
11:30着
11:50発


修行大師
同行二人でどうにか先が見えてきた


本来なら善通寺に12時に入れるかとも思っていたが、やはり速度は落ちているか。これは予讃線沿い、道隆寺に辿りつけるか、金倉寺まで行けるか、最悪の善通寺で落ちる事はなさそうだが。

讃岐平野独特のお椀をひっくり返したような山の平野を歩きながら、甲山寺の裏手は石灰石採掘のために掘られていたりと。微妙な気持ちになる。何せ、山奥の巨大な露天掘り鉱山ながら、見た物はベルトコンベアだけだったが、最大の石灰石鉱山は土佐ステージにある鳥形山の鉱山であるが、讃岐でも小規模な鉱山が結構あって、独特の山も削られているようである。

こんもりした山が特徴の讃岐平野をゆく

甲山寺から弘田川沿いに歩き、工場プラントの脇を抜け、四国こどもとおとなの医療センターの脇を抜けて、善通寺に至る。先人のブログを見ると、讃岐は道が分かりにくいと言われるが、ここのあたり、讃岐ステージ用に最新版の第12版を用意したにも関わらず、遍路地図がほととんどアテにならず。なんでこんな何でもない町中でなんて迷った挙げ句、善通寺の正面に着いた。

横着して横入りするなという御大師様のお言葉だろうか。

75番善通寺
12:25着
12:55発


さすが善通寺。伽藍が巨大だ。



とにかく善通寺は大きい。長野で言えば善光寺だろうか。正面から入ったので伽藍をめぐって、戻ってくるまで、弥谷寺と別な意味で時間がかかる。そういえば、善光寺はご開帳である、これは戻ったら善光寺にお礼参りもしないとかもしれない。そう思いながら、とても広く立派な伽藍を巡って、後にする。

善通寺を出ると、あとはほとんど平坦である。どう歩いても変わらないような碁盤の目を歩き、善通寺グランドホテルの前を通り、土讃線の先を曲がると後は県道25号に沿う。


邦画の一幕に出てきそうな
善通寺グランドホテル

遍路道は例によって、県道の大通りを避け、田んぼの真ん中の道を行くように案内されているが、ここで、讃岐マジック。善通寺ICの真ん中を横切るように案内されているのは良いが、その先が少しおかしい。どうも地図道理に歩けないのでgoogle先生で確認する。まぁ、警戒はしていたのと、県道25号は目視できる位置に見えるので、何しろ少し県道から離れて歩いて行けば良い。

76番金倉寺
14:10着
14:30発

金倉寺はありがちな、ちょっと小さな霊場といった感じであるが、金の大黒様が居る。どうか、お金ができますように。ちょっとここは願かけ。14時に金倉寺に着いて、次の道隆寺を打たないという手は無いのであるが、どうも足の具合が悪く、16時ちょい過ぎが多度津駅の門限。ギリギリ道隆寺を打つと、長野に帰るのに間に合う、最終のマリンライナーに間に合うか微妙な所。ここで、打ち終わりとする事にして、勤行する。ちなみに、その行程、最後のお寺では勤行次第をキッチリと読経して、観音経をあげる。



金倉寺には名前のとおり金色の大黒様が


金倉寺から、道隆寺まで4km、1時間で着く短い道であるが、ここが複雑。途中、讃岐の人は優しい、道を間違える人も多いのか、丁寧に教えてくれる。国道11号をまたげば1本道のように遍路地図には描いてあるが実際には細かい道の右左折が加わり、県道205のBPを超えて豊原郵便局を過ぎ、豊原小学校の前を通れば、道を間違えたという事はなく、もう先は見えたようなものである。

ただ、僕はここで、目的地が道隆寺では無い。多分、お参りして納経すると、長野への終電に乗り遅れる。道隆寺は多度津の駅前しかも進行方向である。こういう大勢に影響を与えな場合は次回にしておいた方が良い。そもそも今回は金倉寺で観音経を上げて納めにしてしまったが伊予と讃岐の国境を越えた上に、12寺も打っているのである。

讃岐の人は優しい、豊原小の先で多度津の駅にベクトルを向けると道隆寺に行くには道間違えに見えるらしく

「お遍路さん、道が逆ですよ」

とか

「まだ5時前だし間に合うのに(讃岐弁)」

と言われるが、ここが区切り打ち遍路の区切る時の独特の雰囲気。

やはり足が悪いのか多度津駅には16時着。やはりここで、歩行速度が落ちた。足の具合が悪い。とても痛く、新しい町役場を建設中の駅裏に出てしまったので、階段を上って駅正面に行かねばならない。ここで階段を上ろうとすると。

「痛!」

これはまずいと思い、エレベーターに乗ってしまう。駅裏に町役場を建設中だけあって、跨線橋にエレベーター完備である。まてよ、、、エレベーターに乗ったという事は、次はこのエレベーターの口から始めないと(三角寺の伊予三島駅先打ちといった反則まがいがある割に、足跡は全部つけるなど、と細かいルールがある)

考察するに、金倉寺からは足が痛くなり、予定より時間がかかってしまったので、道隆寺を打つと最終のマリンライナーにはやはりギリギリで間に合わなかったと思う。ホームに上がると、サンポート南風リレーが来ていたので乗車、高架を走り、坂出で乗換。予定より1本早いマリンライナーに乗れた。

これで今回は、前回と同じく、岡山乗換で、名古屋19時半頃の最終の「しなの」号で長野に戻って日が変わる前に自宅に戻れる。

後日談であるが、この後、疲れたのと足が痛く1日寝込んで、次の日も足が痛く

「肉離れしてないか」

とアシスタントが言うので、送迎付きで医者に行くと、レントゲンを撮らされ、名物医師いわく、

「どうせ、鍛えないで歩いたんだろう、骨は大丈夫。ちゃんとコンディションを作ってから行くように。それからちゃんとストレッチをするとか。もう若くないんんだから、ノーメンテナンスで40kmも歩こうとするなよ」

とお小言

「この前は何だっけ?」

と先生が看護師に聞くと

「小淵沢です」

と看護師。

「たまに、善光寺だの、小淵沢だの行で足を痛めるのが来るんだよな」

との事。そういえば、たまに、善光寺まで歩いている人をみかける、、、、。とりあえず、足の激痛は運動不足だった所、雲辺寺を一気に越えた上に観音寺市内まで歩いた結果だと分かった。本来なら坂出まで行けるかなと思っていたが、多度津で打ち止め。しかし、遍路地図を見るにこの先、平坦でもなさそうだし、足を痛めた割には、大勢には影響はないようである。

区切 予讃線多度津駅 16:00

2022年7月10日日曜日

(5)多度津駅〜77番道隆寺〜78番郷照寺〜79番天皇寺〜80番国分寺〜国分駅

 2022年6月9日(木)(1日目)

区切 予讃線多度津駅 7:36発

前回の打ち終わりの4月18日からのリベンジである。今回はこの超細切れ遍路の中では最長日程の4泊5日の予定である。行きは、長野まで特急「しなの」で出て、名古屋駅から名鉄バスで丸亀まで乗車。実は前回も苦労したのであるが、バスの運休が相次いでおり、たまたま発車オーライネットを見ていたら、名古屋〜香川線が復活しているではないか。前回は検索では出て来なかった。しかも運良く早割で予約できたので、4000円と、とても安かった。名古屋までの特急の方が高いくらいだ。乗って見ると乗客は5人のみ。

「これでは倒産してしまう」

まだまだコロナ渦。毎日運行に変わったは良いが先行きは不安である。とにかく黄金の5日間と格安で往復できる手段。ここは秋以降と考えていたが、一念発起、結願まで行ってしまおうと思い四国入りした。ちなみに。心中5日もあるのだから結願しない事はないとは思うが、前回の観音寺の大ブレーキもあって体力もさほど変わらないと思われるので、

「当たり前に結願しない、全てはお大師様のご意志」

と心に刻んで、前回の区切りの地の多度津駅に降り立つ。20年余の四国巡りが、これで最後かと思う一方、意外とあっさりしている朝であった。



前回工事中だった多度津町役場。わざわざこちら側で区切ったので出会えた

新築の多度津町役場を過ぎると、77番道隆寺はすぐそこ。前回、「道隆寺はそっちじゃないよ」とご丁寧に何度もお声がけいただいたが、今日はすぐにたどり着いた。確かにここは観音寺方面から歩いてくると、分かりにくいかもしれない。

77番道隆寺
7:50着
8:20発


今回は気候が良い季節だったからか、お接待が多かった。歩き出していきなり自転車のご婦人から飴をいただいた。お手紙を見るにどうやら、カトリックの方のようだ。異教徒の方でも、こうして御大師様のご縁を大切になさり、一日一善で用意されているのだろう。讃岐のここまで来ると、我々が同行二人で長い道中を歩いて来て、いよいよ結願が近いという事もご存じのようで、とても有り難い。

道隆寺を過ぎると一旦、今日の宿の丸亀を過ぎる、なんでこんな所に宿をと思うだろうが、前回のブレーキ、予讃線があったから助かったようなもの。アパホテルの安いプランを発見したからであるが(結局鉄道での往復と食事を考えると遍路宿の方がユックリできるのだが)どうもこの手の打ち方の方がシックリ来るようである。今日の目的は国分寺まで行くことであるが、途中でのギブアップポイントを考え無理な位置に宿を取らない事にした。


チラリと見えた丸亀城

丸亀城をチラリと見て、今日の宿と夕飯をアテにして、丸亀の市街地を歩いて行く。するとおお、出たではないか、番外霊場ジョイフル寺。


何故か吸い込まれてしまう番外霊場ジョイフル


ジョイフル
9:45着
10:15発

感じの良い復刻された街並みをゆく


 久しぶりにここは打っておこうと思い、ジョイフルで食事。しかし、ジョイフルで食べて1000円超とは閉口。今までハンバーグを食べてももっと安かった気がするが。昨今のインフレか。愛媛ステージから有るたびについつい入ってしまうジョイフルであるが、ここでエネルギーチャージを行い、歩き出す。次の郷照寺までは区間距離7.2Km、平坦路。

78番郷照寺
10:55着
11:15発

前回、大ブレーキがかかりながらも、丸亀までは歩けないかと思いつつ、最終日も足が痛く、多度津に辛くも駆け込んでしかも道隆寺を打ち漏らしていたが、当初は78番郷照寺まで打って坂出で終わろうかと思っていたくらいである。ちょっとここの区間、朝から歩いて昼近くなっている事を考えると、どうだろうか。足が健脚なら丸亀は確実、坂出も不可能では無かった気がする。ただ、この先の区切り方、宿の取り方を考えると、大勢にはさほど影響は無かったのかとも思うが。何せ、勇気ある撤退も大切である。

そう思いながらも今回はさほど足がご機嫌を損ねる訳でもなく、今晩はビジネスホテルであるから、打てようが打てまいが国分寺までは行きたいと思いながら歩く。そうこうしているうちに多度津から坂出に出る所で痛恨の道順ミス。郷照寺から出るときは遍路地図にある五叉路に注意である。讃岐は案内札が少なく、道の間違いが多いと皆して言うが、自分もウッカリここで、坂出ICの方へ進んでしまい、慌てて戻る。大勢に影響の無いミスで良かった。Google地図と遍路地図を突合していると、農作業中のおじいさんが手を止めて、来てくれて、親切に道案内ご接待。

「坂出の街はそっちじゃなくて(讃岐弁)すこし戻って、中学校の方にいかないように・・・・」

これまた、讃岐の人は丁寧に、1箇所づつ戻る道を教えてくれた。ちょっと道を間違えたが、ここは何しろ平坦、なので助かった。

「南無大師遍昭金剛、南無大師遍昭金剛、南無大師遍昭金剛」

前回、足の怪我を始めて経験しながらも多度津まで歩かせて貰った事、大きく道を間違えず、大難が小難、小難が無になった事に、感謝しながら歩く。

坂出の街はアーケード街である。遍路道もアーケードを貫いて行く。アーケードを抜けて予讃線を跨ぐと天皇寺はすぐそこである。ちなみにこの予讃線を跨ぐところ、踏切撮りするには良さそうなカーブではないですか。しかも坂出の高松寄りなので、岡山で新幹線連絡するマリンライナーや、予讃、土讃特急が行き交う、幹線。予讃線も電化複線四国では珍しい風景。


遍路歩きでなければ電車が来るまで待って写真を撮りたいポイント

79番天皇寺
13:30
14:00

ここは神社なのか、お寺なのか全くよく分からず、本堂、大師堂、納経所を探すのに苦労した。天皇寺というくらいだから、崇徳天皇に縁のあるお寺のようで、みかけはどう見ても神社で、鳥居の中でまとまっている。解説編を読むと良いのかも知れないがこういう所に足を踏み入れると、夜にスマホを見ると、崇徳天皇とか、廃仏毀釈とか、Youtuberが教えてくれる。なるほどと上手くできたシステムだ。

天皇寺を出てピッチをあげようとすると、

「お遍路さんいらっしゃい」

とお店で接待を受ける。こういう時は呼び込みなのか、無料接待なのか、構えてしまうが、

「冷たいお水にお茶に、カップラーメン如何ですか。」

と来るとこれは受けねばならないと。腰を下ろす事になる。今回は予定がユッタリしているからか、割と雑談をしながらお接待を受ける事が多かった。接待する側も密にならないように、工夫して、無人接待所としたり。こちらは、飲食店基準で、お接待いただいた。今回の旅では何度も聞く話になるが、

「コロナ渦でお遍路さんがゼロになった所から少しずつ増えてはいるけれども、3.11の震災の前には遠く及ばない」

との事である。何せ自分は本来なら緑札でも良いような年季なのに白札である。だから人で混雑している頃を知っているのであるが、お接待しようにも、この陽気のいい季節柄でもなかなかお遍路さんが通らないという事情。遍路をする側からすれば、空いていて歩きやすい側面もあるのだが、地元としてはとてつもない痛手であるようだ。ここでは野宿で歩いている人と一緒になった。そういえば郷照寺に置いてあったザックの人だなと思ったが、テントを張りながら、歩いているという。昔は野辺に直に寝ていたが流石に虫さされが酷く、テントを持ち歩いているという。今日も含めて4日で大窪寺に至る予定だという。同じ行程を歩いている訳であるが、自分が休んでいる間も歩むのだろう。ただ、先人のブログを読むと、坂出付近からは4日という人が多いようで、5日あてている自分は安全パイを取り過ぎなのか。でもこの先、読むと分かるのだが、見事にこの型にはまって、早朝に出て15時には宿に入るという、典型的な遍路歩きをする事になる。白札で恐縮であるが、お礼の札をお渡しして、接待所を後にする。

なんだかんだで15時を過ぎると納経の時間が気になってくる。納経はお参りの後で、自分の場合は、般若心経、ご本尊様のご真言、光明真言、お大師様のご宝号と、一通り、本堂と大師堂で唱えて15分。伽藍の移動と、納経、小休止を含めると最低でも20分はみておかないといけない。一転、朝は門が開いていれば、一通りお参りしてから、7時に納経してすぐに出るという手もあるのだけど、ローソクと線香は7時から17時までというお寺もあるので要注意である。

そうこう歩いているうちに加茂川の駅の所で反対側へ渡る。今日は割と具合は良いのか、野宿氏に追いついてしまった。お互い、疲れているのでジェスチャーで進路を確認し合うが少々ここから国分寺までが複雑である。

通りの多い11号BPに出る。動物注意は良いが怖いマークである。この付近一帯、イノシシが出るらしく、特に80番から先の五色台はイノシシが山から出て来ないようにフェンスで囲まれていたりする。

ここを下へ。飯山は長野県で知れた「いいやま」ではない模様w

一旦、野宿氏と別れて地図どうりに歩くが国道11号のBPを一旦経由する。ここは、川沿いから、一旦トンネルを潜って、階段を上って、車線どうりに左ベタに行くのであるが、讃岐には珍しく、詳しい道順案内付きの看板が出ていた。ここ、11号が高架であり、かつ旧道と一緒に予讃線を超えるので、複雑である。野宿氏はまっすぐに行ったようであるが、翌日予讃線からここを見てみると、旧道から、高架下に入るルートもあるようで、そちらの方がアップダウンが少ないかもしれない。いずれにせよ、あの野宿氏、初回では無いなという感じ。自分も年季が入った、山野袋にボロボロの菅笠。初回ではないように見えるようであるが、年季だけは入ってるけど、この道は初回なのである。

予讃線を超えるところのジャンクション的な交差点を下り、左に曲がると間もなく国分寺。16時着。教科書的だ。今回は疲れは出ているものの、足の調子は良かったようである。いよいよお寺の番号も80番台。ここを打てばあと8寺である。

80番国分寺
16:00着
16:30発

区切 予讃線国分寺駅 17:00

(4)国分駅〜81番白峰寺〜82番根香寺〜天然温泉きらら

 2022年6月10日(金)(2日目)

区切 予讃線国分駅 6時30分発

国分駅に戻って来た。ここからスタートする。ここで何を血迷ったか、足への負担を考慮して、元来た道を戻り出した。本来の遍路なら、国分寺裏から遍路道を登るのだろうが、1km〜2km長そうだが、松浦寺まで戻って、表参道の車道を登る事を選択。

まずはこの選択で、ババを引いた事は1kmちょと歩いて思った。もう戻るに、損は確定だし、これはそのまま行くことに。仕方ないので11号を戻り、加茂のあたりから通常なら遍路道に指定される集落道に入る。ちなみにこちらは自動車での遍路の推奨ルートである。

ここが結構距離があり、参道の入口の松浦寺前に着いたときには、8時20分。

道の選択も間違ったのか、よほど憔悴していたように見えたのか、歳の頃同じくらいの若いお兄さんが、愛犬の散歩に出ようとしたところ

「ちょっと待って、お接待するよ」

とお声がけいただき、家に戻っていった。悪いなと思いつつ、お接待は断れないルールであるので待っていると、ペットボトル2本とお菓子をお接待いただいた。今回は天候もあるのか、皆さんやさしくしていただいている。お兄さんのお母様も出てきていただき、小休止、

「昔は、この参道をどんどん観光バスが登っていったのに、最近はお接待しようにもお遍路さんに会うだけでも大変なんですよ。」

との事、確かに、ここは本来自動車の通りだろうけど、実は僕の前に1人居たのだが、この道を選択する歩き遍路の方が居ない事も無く、少なくなったとボヤきは昨日も聞いたけれども、この後、色々な所で聞く事になる。

お接待をいただき参道に入ると、勾配がきつくなる。シマッタ舗装されているけどキツい。これは距離の短い遍路道からアクセスした方が正解だった。

しかしながらこのショット


瀬戸大橋を望む景色は最高。少々高松市内を覗いてここは坂出が見渡せる場所。ドローン屋稼業をしているが、俯瞰で瀬戸大橋を撮るとなったら、こういった場所から望遠で狙うのが正攻法かな。

前日は予定どうり、こなした足であるが、どうも、この上り坂はきつい。それでもブレーキになる事もなく。

81番白峰寺
9:40着
10:10発

このお寺は崇徳天皇陵の隣にあり、宮内庁が管理する厳重な区画もある。こういう所に来るとYoutubeで色々教えてくれるのがGoogleシステムなのだが、明治からの天皇を覗けば、近畿以外に陵墓がある少ない、配流で、この地で生涯を終えた不遇の人生。詳しくはお調べいただくと勉強になる。天皇寺もそうであるが、神仏習合の名残、お寺と神社が合わさっている所は多いが、ここは立派であり、なおかつ陵墓であるから、荘厳である。

小休止し、五色台を縦走し、82番根香寺へ向かう。五色台は一度上ってしまえばプリンみたいな丘陵であり、丘の上のアップダウンは少ない。それでも、時速2km〜3kmくいらいに落ちているようであり。どうも足の具合が悪い。前回のように歩きすぎで太ももの筋肉を痛めたのではなく、靴が合わないのかもしれない。こういう時は、次は高松で都市部なのだから、ABCマートでも探して買ってしまって吉なのである。こういった場合自分のような細切れの区切り遍路では、我慢してしまい、結果、面倒だから、次の行程まで靴を買い換えないといった、事をやらかしてしまうのであるが、そもそも、靴に問題があったのは、愛媛ステージの久万高原の時に、トレッキングシューズからトレイルランニングシューズに変えたのがいけなかった。

前回やっていた快速遍路の人たちは、トレイルランニングシューズで山を「走って」いたから、ただ単に合わないだけなのかもしれないが。何しろ足の内側が、擦れるので、これは、通常なら靴屋を探して変えるのが遍路のセオリー。今回はテーピングを手に入れて、残り4日の行程をどうにかする事にした(結果なんとかなったのだが)

途中、両手ストックの快速遍路さんとすれ違い。こちらが牛歩の歩みで歩いていると、根香寺の直前で追いつかれてしまった。

「だいじょうぶかい、具合悪そうだよ」

確かに、50過ぎの人もシャキシャキ歩けるこんな所で、まだ40も半ばの人間がユックリ歩いているのだからそう言われても仕方ない。どうもこの人、北海道から来たようで、今回で3回目という事。菅笠に金剛杖ではなく、両手ストックの軽装だから、今流行の快速遍路かと思ったが、普通の遍路のようで、

「鉄道と平行している所は、どこか1箇所に連泊して、荷物預けて、軽装で、行ける所まで行って電車を上手く使うと無駄が無いんだよね、何しろ軽くて歩きが早いよ」

との事。おお、なんと、自分と同じような手段でこの愛媛〜讃岐ステージで鉄道を上手く利用している人が居るんだと。確かに遍路宿をどんどん取っていく手法だと、1日を無理する事なく、朝早く出させてもらって15時には入るくらいの余裕で宿を取っていかないと、宿の人に迷惑をかけてしまう。その点ビジネスホテルでは、気遣い不要であるから、夜まで無理歩きなんかもできる。これは野宿にしてもしかりである。北海道氏と一緒に根香寺着

82番根香寺
12:3,0着
12:50発

根香寺を13時前に出るとしたら、ひょっとしたら83番を打っても、ホテルでゆっくり、できるか。甘い予感がよぎった後、はて、?どのコースで降りようかなと、北海道氏に尋ねようとしたらすでに姿が無い。

シマッタ快速で出られてしまった。

ここで今日、2度目の過ちを犯すのだが、一旦五色台みかん園まで元来た道を戻って鬼無に下りるのが正解。それが、どう遍路地図を見間違えたのか、そのコースでは遠いように見え、香西寺経由で下りるルートを取ってしまった。

香西寺ルートから高松市内を臨むプリンみたいに見えるのは五色台ここから続いている。


この遍路道が酷い。前述の通り、メインルートではないので、まるで低山登山の下山のようなガレた、急斜面の下り坂で、所どころ、藪になっている。例によって、完全な道間違えではないから、ある程度歩き始めてしまうと、戻るだけ損。これも「お大師様のご縁と教えだろう」と、すでに、足にきているのを耐えながら、高度計アプリ(CommanderCompass)で高度がどんどん下がっていくのだけを心のよりどころに歩いて行く。

それでも急場を下りるのは1時間だった。13時50分には人里に着いた。

しかしここからが地獄だった。どうやら五色台の本当の高松の駅よりに下りてしまったらしく、明日の行程から考えると馬鹿らしい、12km近くを戻らねばならなくなった。よく地図を見れば、鬼無の所に根来寺から2.9Kと記載がある。そしてここは山を下るには時間は短かったが、1.5kmくらいしか歩いていない。さらに悪い事に、途中、讃岐の人はやさしく、せっかく、香西寺までの道を教えてもらったのに、香西寺のさらに港よりに下りてしまった。道路の看板には一宮寺17kmの文字。時間は14時30分。気が遠くなってきた。一体何を間違えれば、15時には宿につけそうなんて思ったのだろう。確かに、山を下りてすぐ。ならそうであるが、山を下りてから、ここは寺の打ち方が難しい。ひょっとしたら、順番どうりに拘らなければ、香西寺に下りるなら、80番の国分寺から83番まで往復してから、五色台を下りれば、屋島まで近いと。ここの周り方は、順番どうりに拘らないなら色々ありそうだ。

とにもかくも、歩くしか無い。まずは鬼無の分岐点が遠い。ロスった香西寺まで2km近く歩き、高松貨物ターミナルの脇を抜ける。ここで地図をちゃんと見て、貨物ターミナルの先で予讃線を1回くぐって、キナシ大林病院の先を右折。本来なら遍路地図に書かれるであろう裏道を歩いて行く。このあたりで16時過ぎ。だいたい、最後に打つ寺の到着時刻の予定に入れる時間である。この時点で、83番一宮寺は明日の朝に打つことは決定。今日は、必死に歩く事にする。

鬼無をすぎたあたりで、地図の遍路ルートの6.7K地点と合流し、残りがおよそ6Kと推定。この時点で16時30分。時速4kmの歩みなら、宿に着くのは、18時と推定である。鬼無からは香東川の河川敷公園を歩いて行く。かかる橋を1本2本、と数えながら歩くのがしんどい。犬をつれた人に親切に道を教えてもらう。

「あの高速がかかってる大きな橋の先、3本目を上って左ね、まだまだだよ」

30km近く歩く羽目になって、なんか気持ちが折れそうになるが、観音寺の悪夢ほどは足に来ていない、これはいける。県道12号に上って香東川の橋を渡り、信号5個を経て天然温泉きららには18時20分到着。河川敷公園で心が折れて、休止したのが響いたか、時速4kmや出ていなかったようだ。

ここは先人のブログでお勧めだった場所で、83番一宮寺の至近の宿。83番を打ち終わったら、それで泊まれば良いし、打ち損ねても早朝に出れば良いで立地が良い。本来は健康ランド的な温泉施設なのであるが、宿泊ができる。利用システムがちょっと複雑で、健康ランドのほうでチェックインして、別館になっている宿の建物に入る。どうもこの別館、独身寮を改造したようでアパート風であり、部屋ごとのポストなんかもついている。


天然温泉きららの部屋はツイン仕様の不思議な部屋これは金剛杖ホルダーかな遍路宿なら床の間があったりするが、ホテルでは困る金剛杖の置き場所失敬にならぬよう大抵は机の上とかに立てかけるのだが今回はホルダーを利用。


近くにガストもあるのであるが、今日はだいぶつかれていたのと、このチェックインシステムなので、小銭をもって、健康ランドの建物へ行って、ユックリと温泉につかり、施設の食堂で夕食をとり、今日を終える事にした。

明日の予定であるが、今日30km歩いて、この程度の疲れなら志度まで行ってしまうのではないかとも思う。ただ、観音寺の悪夢。雲辺寺越えは一気に超えたものの翌日の足に出てしまったから。八栗辺りで切った方が無難なのか。結願がもう見える所まで来て、どうしようか。日程としてはじゅうぶんに余裕があるので、これはお大師様の声にしたがって、自分の体の具合に任せる事にした。

泊 天然温泉きらら 18時30分着

2022年7月9日土曜日

(3)天然温泉きらら~83番一宮寺〜84番屋島寺〜琴電八栗駅

2022年6月10日 (土)(3日目)

天然温泉きらら6:40発

 さて、宿では6時15分からおにぎり弁当なら出るとの事なので、本館に行き、チェックアウト処理を済ませて、朝食を食べる。四国ではこの手の朝食セットは定番なのだろうか。早朝にとりあえず口にしておくのにちょうど良い量と、リーズナブルな値段で、コンビニでもよくみかける。


6時40分に天然温泉きららを出発し、昨日は満身創痍だった道を少し引き返し

83番一宮寺
6:50着
7:00発

昨日は遅くなってしまったので、朝イチに83番一宮寺を打っておく。札所の近くに宿があるというのは本当に便利だ。欲をかけば、同じ時間に宿を出たとすれば、少し戻って打っている時間、先へ進めるのだが。それは強欲というものだ。この先の予定、どうにも、この悪い脚力では2日では進めそうにない。今日明日を諦めて、3日行程にするか、欲かいて、2日行程で結願して最終日を、何か考えるか。これまた強欲というもので、一体欲というものは何か考えさせられてしまう。他の人のブログなどを見ると通常ここから2日で結願してしまうし、事実行き会う人、それくらいの速度で歩いている。ただ、自分は後の予定、前回のブレーキが相当効いているのか、ここは鉄道路線に沿っている事を利用して瓦町に2泊して、琴電志度線にたどり着けば、志度線沿いに、ギブアップポイントを決め、志度線の終点の琴電志度駅に至っても次は琴電長尾駅を通るから。足の具合次第でどこからでも引き上げられる態勢とした。

四国は梅雨入りしていないと言うが、この日は朝から雨、カッパを着るほどではないが、菅笠で充分しのげる程度の雨。ここの所、クラシックスタイルで歩く人が少なくなった気がするが、菅笠を被るクラシックすたいるは1ミリちょっと程度の小雨なら地図の防水だけ気をつければ、難なく進めるのが良い。

ここは地図どうり、一気に南下していく。地図のページの妙であるが、道こそ少し離れているとはいえ昨日損をした5kmをグッツと平行して戻る格好になる。一人歩き同行二人は便利な地図であるが、ノースアップではない構成なので、スマホでも良いから、正規の地図と突合して、2、3日先の行程を確かめた方が良いようである。

不平を言っていても仕方ないので、平地なので、歩行速度を測る、4km歩いておよそ1時間。まあまだ。国道11号のバイパスを歩道橋で渡ると川(御坊川か)が出現するので、この川から離れないように海沿いの国道11号の旧道に出れば良い。ここ旧、国道11号も充分に広い道なのだが、高松自動車道の高架に沿ってさらに高規格な国道11号があり、ややこしい。

とにかくここは、川に沿っていれば間違いが無い。途中、横断禁止の箇所があって、少し戻ったり、すると地下道があったり、後からついた道が、鋭角の複雑な交差点を構成していたりするが、とにかくこの川の左岸から離れなければ良い。

国道の国道11号にぶつかって9時24分。まずまずではないか。志度線に沿って、大通りをゆく。牛丼の松屋ほか、昨日あたりでは、寄りたくても寄れなかった店が建ち並ぶロードサイドを抜けていくと、10時半に琴電屋島駅前。屋島寺と、八栗寺を両方やっつけるとなると、微妙である。そして、ここからが急勾配。一宮寺から12.2km、宿から14kmほど歩いた所で、足が悲鳴を上げはじめた。これは悪い予感だ。そして年配の人に置いて行かれる。なんとなく今日の落とし所が目に付く。

表参道をしばらく登っていくと駐車場があり、今日は土曜日とあって、沢山の人出。何だろうと思うが、屋島と言えば観光地なのだろう。楽勝で往復してきた若者たちとすれ違う。それに引き換え、自分の醜態は。恐らく30分程度で駆け上がる力はあるはずなのだが、椅子があるたびに座り。若者どころか年長者にも抜かれながら。小一時間かかってしまった。やはり、足の具合が良くない。

84番
屋島寺
11:30着
12:00発

讃岐は弘法大師ゆかりの地とだけあって、伽藍の見応えがある寺が多い。ましてや屋島は源平の戦いゆかりの地。観光客もとても多い。勤行をし、納経をする。しかしながら、これだけの客足で、納経所はガラガラというのは違和感がある。やはり遍路客は少ないのか。きっと10年前はもっと混んでいただろうし、コロナ前だってそこそこ人出がいた筈だ。今日だって、コロナ渦の真っ最中から比べれば人出は多いのだろう。それだって、他の札所の閑散とした雰囲気と比べればの話だ。

屋島寺を後にし、八栗側へ降りる道を探す。これまた伽藍が大きく、昨日の根香寺の悪夢もあるから、無謀に予測で降り口に向かわず、慎重に降り口を探していると、清掃をしている方が声をかけてくれた。丁寧に、道の勾配や、降りるポイントを教えてもらう。先達諸氏、言っているが讃岐ステージは標識が少なく分かりにくい。平地歩きだし、高山に登るわけでも無し、遍路地図を最強なんて思っていると、とんでもない事になったりする。

屋島から八栗方面を見る。天候が悪い。向こうの山を上らないといけないのかな。

本来の予定であれば、ここは屋島寺と、八栗寺の間で切る事になっている。そして、遍路宿を取るなら、この間と、愛媛ステージに居る間から予測はしていたが、昨日が失敗をしながら踏破距離が長いと欲が出る。かといって観音寺の悪夢もある。果たして山を下りて13時。八栗寺に登るかどうかの決断の分界点で、13時30分。


結果は、琴電志度線全線走破の旅。

「明日、八栗から、長尾まで歩けばいいんです」

通常のお遍路さんにはあり得ない行為を行う。琴電志度まで行って戻る。

「不正乗車はしてません」


車内補充券、今やなかなか見なくなった。

ホラ、ちょっと切符の買い方を間違えたら、不思議な券をいただいたので、無効印を貰って来ました。これは車内補充券ですね。琴電の券売機は四国独特の食券タイプwwwな上更に、使いづらい。


名古屋の「ほうからやってきた志度線の車両」
志度線は、琴平線、長尾線系統とレールは繋がっておらず
全検などの重整備は仏生山まで陸送されているよう
瓦町駅の無茶な改装の経緯といい、琴電の破綻といい、時代の申し子

瓦町駅が地平の時代で想像が止まっている自分は、そごうが無くなって、天満屋の時代も知らない僕にとって、旧車博物館だった憧れでしかないのだが、(爆)。もう時代は4回ほど変わっているようで。規格が小さい志度線をどうするかが、瓦町駅改修の難題だったかと記憶しているが、車両も名古屋の地下鉄から来た車両のようである。


ほんとうに琴電の券売機は使いづらい
簡易改札で交通系電子マネーが使えるので
志度からの帰り分はタッチ!

今日は、瓦町に戻ってアパホテルに連泊。これは万一、今日の足が速かった場合に備えた予約だったが、結局1日早い結願はならず。ま、これで予定道理、これからの日程はだいぶ余裕がある、朝出て15時には戻る遍路スタイルになりそうだ。琴電を乗り潰してホテルに着いて、15時。チェックインで混雑している。ちなみに、土曜の高松は猛烈にホテル代が高いので要注意。なんで同様に遍路宿に泊まらずにと、不審に思う方も居るだろうが、「大人の事情」で安かったんです。


区切 琴電八栗 13:50