2009年10月27日火曜日

忽然と姿を現した斜張橋




ここの所コマーシャルで連続で群馬へ行く機会が多いのであるが、朝一番の目的地が嬬恋村である。嬬恋村へ向かう国道145号は今、世間を騒がせている八ツ場ダムの建設予定地を経由する。メディアで騒がれている現在も予算が執行されている部分については盛んに工事が継続中である。最も、本体部分の入札を凍結と報じられているとおり、本体の施工はまだであり、本体部分に支障する、国道とJR吾妻線の付け替え工事がメディアで報道されている構体である。
国道145号を渋川から長野原へ向かっていると最初に現れる構造物がこれである。吾妻線の付け替え部分の橋梁である。通るたびに工事が進捗していたようだがしばらく通らなかったうちに、とうとう覆いが外され、完成した姿が表に露出した。
鉄道では、最近流行の主塔を低く抑え、ワイヤーがコンクリートに覆われ露出していない斜張橋。北陸新幹線以降、この手のデザインの橋が多いようで、ひと目で鉄道橋と分かった。本体部分の工事はほぼ終わったと思われ、軌道や電力の工事を待っているようである。奥の天空にそびえる道路の付け替え橋はメディアでよく目にするが、この橋はあまりテレビに露出しないが、完成してみると鉄道写真に出てきそうな、結構存在感のある橋である。
吾妻線の現ルートは郷原駅を過ぎると吾妻渓谷に沿って走り、ダム本体の予定地を突っ切り、水没する川原湯温泉に到達するが、付け替えルートは、郷原から左岸から、対岸の右岸に渡り、トンネルで勾配を駆け上り、ダムサイトより高い位置に移転した川原湯温泉に到着。そこからは湖面の上を走って長野原へ向かい、長野原駅手前で左岸へ戻るルートのようである。
この立派な橋の運命はいかに。現在、計画が宙に浮いている状況では今後の展開はよく読めない。55年公団線のように未成線になってしまうのか、それとも付け替え部分は共用されるのか、よく分からないが、小生的には、吾妻渓谷の崖っぷちを行くこの先の線形の険しさからして、災害防止の観点から、工事中止の保証として付け替えは行われるような気がするのであるが。

2009年10月21日水曜日

うっすら雪化粧


週1回くらいの割合でコマーシャルで長野へ行っているのであるが、いつも見る安曇野の景色の遠景の山が、うっすらと白くなってきたようだ。ドーナッツにかかった砂糖のような具合という表現か、ほんのうっすらと雪化粧しているようである。
安曇野へ行くと感じるのであるが、水が非常に綺麗なのである。野山を巡る水路はどこも、水田で水を使うシーズン以外でも豊富な水が流れている。野山の小川が綺麗なのは当たり前であるが、東京などでは「ドブ」と言われてしまうような街中の排水路の水でさえも清流のような水が流れている。何が違うと言えば、その水量だろうか。たいがいの街の中の排水路は水の流れがなくよどんでいて悪臭を放っているのが普通であるが、安曇野の街の排水路は流に勢いがあり、水量豊富で、排水でよどみ、臭いが発生する前に中和され流されていってしまっている感じに見える。
どこかの湧き水のなのであろうか、何故、街の隅々の排水路までこんなに水量が豊富なのかが謎である。

2009年10月18日日曜日

生コン

家に帰ると、テーブルの上にミキサー車が二台。日産ディーゼル、クオン、コンクリートミキサー車。呆れた様子でカミさんが言うには泣いて婆上にねだったらしい。しかも同じものを二台。
全くもって意味不明なのは家には無くした同じものがもう一台いるはずなのである。
何故、息子はミキサー車にこだわるのだろうか。まさか、二歳児が宇部興産の、あのダブルストレーラの積荷の巡り巡った最後の姿がミキサー車に積まれた生コンだって事を知ってる訳ではなかろう。

2009年10月16日金曜日

モーニングステイション 仙台駅



AM9:30 東北本線仙台駅

コマーシャルで街にいると意表を突かれる所に線路が隠れていたりする。杜の都仙台。ホームセンターのバックヤードで仕事をしていると

「ぷぉーっ、ぷぉーーっ。」

という警告音が響いてきた。

「東北独特の構内に電車が接近してくる時の音だ。」

やがて

「カタン、カタン。」

という車輪がレールを叩く音が。

もはや持病みたいなものか、思わず携帯電話を取り出してしまう。

雑多な資材の山の向こうを見ると、百万都市の町並みに埋もれるように車両基地が存在していた。朝のひと仕事を終えた701系電車がユックリと車庫に入庫して行った。

2009年10月15日木曜日

やきそばフライ



熊谷とその周辺部でしか食べられないB級グルメフードの代表格と言えば、「フライ」だろうか。最近はテレビで取り上げられる事も多く、「地場」の人でなくても「知ってる」人も結構いるようであるが、まだまだ、「エビフライですか?」などとトンチンカンな答えをする人がほとんどである。テレビなどにたまに露出するようになったのは、ホントここ数年だから、熊谷というロケーションのマイナーさからして、知らない方が当然。

写真の焼きそばの右側の物体がその「フライ」。表現してみれば、できそこないのお好み焼きといった所だろうか。フライばかりが先行して話題になっているが、このように焼きそばとセットで頼むのが「地場流」。

熊谷界隈には、看板に「焼きそばフライ」と書かれた店が無数にある。それこそ街道沿いから路地裏まで。大抵はオバちゃんが駄菓子屋的に副業にやってるカウンターとテーブルが2つ3つの狭い店がほとんどである。普通のオバちゃんが家庭料理の延長でやってる店が多く、実際の所、「熊谷っ子」に言わせれば結構「ハズレ」が多くあまり「美味くない」食べ物である。と、いうか、美味いかマズイかが両極端の食べ物なようで、美味しい店は非常に混雑している。美味しい店と言えば、市内の八木橋デパート至近の「いわ瀬」か、隣町、吹上のものつくり大学入口の「山下」が両党であろうか。食べる側も、いわ瀬派と山下派に分かれるが、小生は根っからの山下派。あっさりと正統派のいわ瀬に対し、山下はこってり、ガッツリとしっかりした味付け。

山下に行くと「小小」でとか「大ダブルで」などという言葉が飛び交っているが、「やきそばとフライの大を2つ」のような意味で、やはり、やきそばとフライはコンビで頼む人が多い。メニューは、やきそば、フライ、そしてなぜか、ところ天の三種類のみで、単純そのもの。今はB級グルメブームでだいぶ客層が変わってしまったが、かつての山下は建設系の客が多く、汗をにじませながら、やきそばとフライのデカいのを平らげ、胸焼け気味で「ゲップ」とした所でところ天をツルツルっとやって午後の仕事に向かうというのが、かつての光景。

何しろ安い。フライと焼きそば両方食べてもで600円(それぞれ単品で300円)とはB級グルメの王道である。

余談だが、吹上町内にある「仙道」というフライ屋は山下の暖簾分けの店で、さくまひできの実家である。

2009年10月14日水曜日

遥かな旅路



今週は連休で完全にヤラれていた。休んでいた訳じゃなく、コマーシャルで、連日の大渋滞にハマり相当に消耗した。


あーー。こんなムードの汽車でどっか行きてぇなぁ。

現実は空の財布を眺め、ため息をつき、新聞屋バイクにまたがって、近場を散歩するか、小一時間早く出発し、コマーシャルの途中で東北の街をプラプラ歩くのが趣味になってしまった。


先週プラプラ歩いた、越河駅の前でこんな火の見櫓をみたのだが、櫓の脇についているコレ何だろう。碍子のようにも見えるが、ちょっと違う。同軸ケーブルから裸線への繋ぎ部分への接続に使われるケーブルヘッドのようにも見える。
「まさか、焼けたブースタートランスのケーブルヘッドではないだろうか!?」

2009年10月9日金曜日

モーニングステイション 越河駅



AM6:40東北本線越河駅

太古の福島盆地は湖だった。福島市街に出入りする道は、鉄道も道路も急勾配を介する。東北本線は湖底の福島市街から南は松川、北は越河まで一気にお盆の縁を駆け上がる。今もって機関車に重連級のハイパワーを要求する急勾配を上り詰めた場所。宮城県に入ったところが越河だ。

因縁だろうか、南北の盆の縁の駅は鉄道史によく出てくる場所だ。機関車たちが急勾配と戦った歴史。ミステリーにつつまれた松川事件。越河では東海道新幹線の建設に衝撃を与えたブースターセクションでの火災事故が発生した。

緩やかにカーブした構内。そんな過去は知らず、穏やかに朝日が差している。



2009年10月8日木曜日

風台風

メディアが各地の甚大な台風被害を伝えている。今日はラッキーな事にコマーシャルが休み。朝のニュースをみると愛知県で大型トラックが風で横転した映像などを流しており、背高な小生の車はひとたまりもないななどと思いながら、いやいや、こんな日は運転したくない。

かみさんは仕事だったので、雨降るなか、自宅で待機し、午後には雨は止んだか、相変わらず風の強い状態。
夕方、子供を保育園に迎えに行くと、交互通行になっており、無数の高所作業車の列が。
「切れてる」
見ると配電線が切れてるようだ。すでに新しい電線は張られ
ているが、両端に停電を示す赤いフラッグが下がっており、仮に給電してるのか、仮設のケーブルが渡されている。
「まもなく、復旧かな」
などと、思っている場合じゃない、まだ風の強い危険な中、大変である。

さて、自宅に帰ると会社から電話が。本社のある愛知県の街が停電し、銀行業務がストップ。明日は給料日だというのに支払処理ができなかったとの事。明日から連休だし、10日払いの引き落としはあるし、参った。
とりあえず営業所で一時金を現金で建て替え払いをしてくれるらしいが。意外な所で影響を受けた。

2009年10月7日水曜日

旧街道を行く

先月行ったミニ旅行の写真である。シルバーウィークの真っ最中の日曜日。小生は休みだったのだが、あいにくカミさんは出勤。せっかくだから何処かへ行こうかと思ったが、普段コマーシャルでハンドルを握っていると、わざわざ渋滞している高速道路へ向かうのはウンザリなので、お金もかからないし、空いてる場所へ行こうと、旧中仙道へ、旧街道を走る原付ツーリングに出かけてみた。
意外にも比較的、道筋がはっきりしている鴻巣以南の県南と違って、県北は道が途切れがちで、頻繁に屈折を繰り返す。戦災で焼けた熊谷市内を走る区間では、八木橋デパートの売り場を突っ切るという仰天な場面も。
カメラ片手に原付で「ぶぅぶぅ」走り、気に入った所で停めて写真を撮る。なかなか良い休日の過ごし方じゃ。。ところで、旧街道を走っていると、時折、リュックを背負い、地図を片手に歩いている人を見かける。もしかして貴方も旧街道探索の方?

県北の旧中仙道の特徴的なシーン。街中をゆく県南の区間とは違った趣。(熊谷)


八木橋デパートを貫く部分での碑(熊谷)


ネギ畑をゆく(岡部)


古い消防小屋と火の見櫓(岡部)


現道から大きくカーブして屈折。道を見失ってしまいそう。大きな木が目印。(岡部)



「こち亀」に出てきそうなシーン。(深谷)


誰?(岡部)


続く旧街道(本庄)

2009年10月4日日曜日

きっぷケース

切符をしまった場所が判らなくなってしまって、改札口の前で困った事のある人多くないだろうか。小生、しょっちゅうである。財布の中に入れたはずが、カバンの中だったり、ポケットに入れて、落としたんじゃないかって冷や汗をかいたり。あれは改札口の前で本当に焦るものである。列車の発車時刻が迫っているのに見つからない時は本当に心臓に悪い。

ここの所は、この首掛け型のチケットホルダーを使うようになって解決した。外国人旅行者がやってそうなスタイルだが。こうしておくと肌身離さず持っている感じもして、安心感もある。夜間、寝る時や、邪魔な時にはは服の下に入れてしまえば良い。 切符は勿論、大きくてがさばる航空券も入って便利。

旅行中に、ちょっとした事をメモしたメモ帳やコンパクトデジカメ、インターネットで取り出したプリント資料もこの中に入るし、何しろ、すぐに取り出せて便利である。

2009年10月3日土曜日

宇部興産専用道路


ここの所、小生が帰宅すると、決まって鉄道ジャーナル誌のこのページが開かれたままになっている。勿論、息子の仕業である。息子は小生を見つけると、水色のトレーラーを指差し、しきりにこれは何かと聞いてくる。

マニアックすぎる。

宇部興産専用道路のダブルストレーラーの石灰石ホッパー車である。ロードトレインに分類される専用道路でしか走れない2両連結の特殊なトレーラーだ。しかし、この手の車の名前を子供に教えるのは非常に難しい。うちの息子、現在、凄い勢いで車の名前を覚えているのであるが、1車種につき、一つの呼び方でしか覚えられないので、複数の呼び方がある車は混乱してしまう。例えば下の写真の車。


職業ドライバーの小生たちから言わせれば「パッカー車」であるが、そう言うと息子は
「うぅぅ・・・。」
と言いながら
「違う」
の表情。カミさんが、この手の車の事を「ゴミ収集車」とこれまた長いフレーズで教えているので、ちゃんとそう答えてあげないと、駄目。2歳児には、やっぱ1車種につき1つの呼び方で統一してあげないと覚えられないようだ。

小生が幼少の頃の場合、コンクリートミキサー車の事をお袋に「生コン」と積載物の名前で教えられたため、ああいうトラックの事を中学生の頃まで「生コン」と言うのだとばかり思っていた。そして、友人と街を歩いていて、ふと目に入ったコンクリートミキサー車を見て、
「生コンが走ってるよ!」
などと友人に言ってしまい、後でエラい恥ずかしい思いをした事があった。

そういった事もあって、この水色のトレーラーの事を何と呼ぶかカミさんと相談した。しかしいざ、考えてみると、形態を示す「ダブルストレーラー」。ただ単に「トレーラー」。運搬装置の「ホッパー車」。場所とか道路で「宇部興産」、積荷の「石灰石」等など色々出てくるが、難しい。結局、日本中探してもここでしか走っていないという事を重視し、「ダブルストレーラー」で教える事に。

でも、そもそも、このトレーラーの普通のトレーラーとの違いを見つけて指摘してくる2歳児って、、、。