2015年4月30日木曜日

α7フィルム機がやってきた


α7フィルム機がやってきた。もちろん中古なのであるが、お値段がビックリの6900円。どうもグリップにベタつきがあるのと傷があるのでランクB。保障はついてないが、レンズをマウントして空シャッター切ってみた感じ問題なさそうだ。まぁ6900円だから万一、不具合があってもそれなりに諦めがつくというか。
 今からフィルム撮りを始める人は機械式を選ぶ傾向にあると言われるとうり、ミノルタが作った銀塩カメラの極地であり、最終形であると言われた機材、ランクBとは言え6900円とは何とも悲しい。ちなみにカメラグランプリ2001を受賞。銀塩、フィルム機として最後に同賞を受賞した機材である。
 何故来たのかというと、α8700iのファインダー内の液晶の液漏れが悪化し、とうとう、読み取れなくなったから。過去に修理に出そうと思ったらすでに部品が無く、「軍艦上部ディスプレイ」で確認して下さいというアナウンスだったが。ファインダーを覗いて、露出の値が分からないというのは、いささか支障をきたす。
 そんなもんでしばらく放置していたのだが、何気なく、α7っていくらするのかなと思っていたら、何と美品で1万ちょい。小生が買ったような、何か汚いなどの、難あり品だと7000円といった所が相場。いやいや、キヤノン使いの夏男君も、いやぁ、α7だけはもうちょい、2、3万くらいはして欲しいと思っていたようで。安く手に入ったのは嬉しいが複雑な気持ちである。

 まだ使い込んでいないので、なんともインプレできないが、レンズをマウントして、空シャッターを切ってみた感じ。操作系はほぼ、α7デジタルと同じである。デジタル機特有の設定がないので、その分のスイッチがないので、スイッチ類はα7デジタルと比べると、かなり少なく、スッキリした印象。
 ただ、モードスイッチや、便利だった、露出の+-ダイヤル、AELボタン、連写ノブ、露出ダイヤル、AF/MFボタンなどは、ほぼ、α7デジタルと同じで違和感がない。
 それまでのモデルでは、軍艦上にあった、ディスプレイが背面に移っており、ここに撮影データが表示される。軍艦上面にも小型のディスプレイが残っており、絞りとシャッター速度は表示される。これは親切だ。(SONYのαになって、結局は軍艦上にディスプレイは戻るのであるが、、、。)

 さて、ここで改めて、小生のα遍歴を追ってみようか。


α8700i

 1992年購入。
 これは高校に入る時に買ってもらった機材であり、初めての自分のカメラであった。ただ、周囲に写真に詳しい人があまり居らず、ほぼ、「P」モードでの撮影と後述のカード機能による撮影がほとんどであった。用途は旅行写真。今で言えば、コンデジなどで撮るような写真を撮っていたが、ちょっとしたテツ撮りもやったりしていたので、これ1台で色々こなしていた。最も旅したカメラでもある。
 機材としては、α7700iと共に平成一桁を代表するカメラであった。カードを差し込むと、様々なシーンを再現できるのが売りであった。私はS(スポーツ)カードとT(トラベル)カードを持っていたが、今思えば、シャッター速度優先と絞り優先で、解決できるのではと思ってしまうが、まぁ、Sカードは速い被写体を考える事無く追えて、Tカードは考える事なく絞り気味にして、旅の撮影で、背景がボケないようにできたので、あながち、悪いシステムではなかったと思う。
 ある意味ミノルタが一番輝いていた時代の機材かもしれない。ちなみにTBSの秋山さんと共に宇宙ステーションミールに持ち込まれたのもこのカメラで、白い「ミール」バージョンの限定版が販売された。

α7デジタル

 2006年購入。
 大学に入り、鉄研であったために、ある程度テツ撮りを教わったのであるが、時代はデジタル黎明期。35万画素、80万画素、100万画素とコンデジタイプのデジタル機が普及しだし年々進化していた時代において、小生もしばらくはカメラはコンデジに傾倒していた。デジタル一眼が現れたのは2004年頃であったか。2006年に買ったのであるからα8700iは10年の長きに渡ってメイン機であったかのように思われるが最後の5年ほどは、コンデジに用途を奪われ、テツ撮りからも遠ざかっていた。
 正直言えば、もうミノルタの斜陽は目に見えていた時期で、このデジタル化を期にキヤノンとニコンにマウント変えした人が多かったように思う。小生、α7フィルム機に少々憧れていた事もあって、それと非常に良く似たこのマシンは610万画素と若干画素数に不満があったものの、選択してしまった。結局この機材でテツ撮りを始めたようなもので、80-200F2.8のHIGHSPEED APOを中古(中古で15万もした)を買ったのもあいまって、変な時期にAマウントから身を引けなくなる結果となった。
 機材としてはカメラグランプリ2005を受賞したとおり、画素数やAFエンジンをα7フィルム機ではなくαSweetから引き継ぐなど、若干性能がスポイルされている面もあるのであるが、バランスが良いと言われていた。特にCCDセンサーはポジフィルムを意識してるのか、独特の発色をするため、コアなファンも多かった。

α77

 2012年購入。
 現在のメイン機。α7デジタルの購入から6年が過ぎ、いい加減610万画素がボトルネックなのと、撮影性能もキヤノンのハイミドル普及機のEOS7Dと比べるとどうしようもない差を感じるようになってきた。そこへ2011年に満を持して現れたのがα77。特徴的なのは光学ファインダーを廃してEVF(有機EL電子ファインダー)となり、ミラーレスとも言える設計。これは賛否両論で意見が分かれる所であるが、私はドツボにはまってしまい。これを待っていたんだとばかりに、熱が上がってしまった。端的に言えば「簡単に撮れる」。
 現在、α77IIが出たが、おおむね7年サイクルで寿命が来ると言われている、昨今のデジタル機事情、次のフルモデルチェンジまではこれを使いたい。



 4台のαが並ぶ、全機、実働を維持しているが、実際の所、デジタル機はα7デジタルは性能的に引退に近い。α77がメイン機。そして、フィルム機も、前述のとおり、α8700iのファインダ内液晶に問題があるため、今回加わったα7フィルム機がフィルム撮り機として稼動しそうだ。


 フィルム機としては、機械式のSR-T101の方がメインと言える存在なので、α7フィルム機は、101と2台持ちで、101に手に負えない、先進のAF/AE機能が必要な場合に出動する存在になりそうだ。













2015年4月29日水曜日

春の足利




以前、足利に行ったことあるのであるが、今回。しばらくフィルムを通してなかったので、機械式カメラのSR-T101の慣らしもあって足利へ行ってきた。前回。だいぶポシャった感じであったのだが、今回は遊び切れないくらい、楽しめた。SR-T101の撮影内容は2週間ほどかかかる見込み。この辺が今時のポジフィルムのクオリティ。今回はコンデジとスマホのカメラで同時撮りした内容。

 渡良瀬橋。森高千里の渡良瀬橋の歌詞から足利に入る人多い。実際歌詞に歌われている所に行くと?アレと思う。渡良瀬橋より中橋の方が綺麗だし。八雲神社より織姫神社の方がメジャースポット。床屋の横の電話ボックスなんて、本当に市街地としては外側の方。多分、そういうメジャースッポトじゃない、普段の少女の目線の足利を唄ったんじゃないのかな。
 歌詞で彼氏が足利にやってくるシーンがクライマックスであるが、恐らく東武伊勢崎線の足利市駅から降りて、渡良瀬橋を渡って、八雲神社を経由して、少女の住む床屋の傍の、北西部へ歩いていったのだと思う。


足利は渡良瀬川を挟んだツインズシティ。北のJR両毛線の足利駅サイドと南の東武伊勢崎線足利市駅サイドに市街地が分かれるが旧市街は北側。南側は新市街で、東武駅を中心に50号まで、住宅街や大型店など。結構雰囲気が違うが、数本の橋で結ばれている。
 観光客はなぜか、若い女性が多い。


実際の所の足利学校と並んで、いちばんの観光名所は織姫神社かな。縁結びの神様。春の祭りという事もあって、若い女性や家族連れで賑わっていた。

織姫神社から市街を望む、これは南西方面。市街地が途切れる方向かな。それでも、眼下に渡良瀬川と両岸の市街地が見える。


物外軒の特別公開をやっていた。少し歩きつかれたので、正座して、ゆっくり庭を楽しむ。疲れが抜けてゆく感じがいい。こういう時間を忘れそうな、文化な午後ってイイ。


街中ハイクコースとしてはいちばん北西の端。結構まだか、まだかと距離がある。床屋の傍の電話ボックス。あえて保存してある。電話機はグレ電である。歌詞の頃は緑電話だと思ったから。ここは最近、標準の、緑色のISDN電話に変えてしまってもいいと思うのだが。


八雲神社。本当に歌詞に出てくるところって、観光客とは隔絶された、ひっそりした所が多い。ここも織姫神社のすぐ前であるが、ほんとうに、静かで、うっそうとした緑が綺麗な所。誰にも邪魔されない静かな時間を過ごすのはいい。


フィナーレは市立美術館。蘭華さんのライブ中「ねがい歌」。すげぇ上手いなぁ。と思ったらメジャーデビューするようで、7月22日に

蘭華「ねがいうた/はじまり色」(avex trax)2015/07/22発売  
AVCD-83309 税抜価格:\1,111

決定。結構好きなタイプである。

さて、ここは井上陽水の長い坂の絵のフレームのように、美術館で考えながらユックリといきたい所なのだが。この美術館が想像以上に良くて、勿体無い事をした。これは歩きとは別に2時間とか時間を取って来たほうが良い。せわしないハイクの途中に寄ってしまって失敗した。


気温は高いけど、終始くもり気味だったけど。夕方になってから、空の青みが出てきたかな。中橋。やっぱり橋や街のロケーションとしてはこの橋が最高だな、ツインズシティの感じがよく出ている。
足利まつりはGW中開催。期待以上でした皆さんもぜひ足を運んでみてください。


ちょっと入場料が高いけど。臨時列車も運行中。


はい、で、美術館で時間がなかっ理由は、その臨時列車。大平下-岩舟まで行って見て撮った。あの新潟で出会ったT18編成。引退するようだが、最後の花道がこの足利藤まつり号での運用。茨城方面からのお客様を水戸線経由で輸送するために、交直両用の485系が抜擢された。
前回新潟では3つ目サイドしか取れなかったので1500番台の4つ目サイドを狙ったのであるが、時間的にちょっと、というかかなり厳しかった。それでも、何とか、黄昏時の麦畑をゆく感じは出たかな。

両毛線 岩舟-大平下 2015.04.29 α77+MINOLTA HIGHSPEED APO 80-200 F2.8


おつかれさまでした










2015年4月28日火曜日

撤収

東電道の撤去も、とうとうフラワー通りまで来た。最後のスロープの解体。4月末。連休前に撤収完了の見込み。半年間お疲れさまでした。
 新47番下では暗渠排水の復旧が行われた。実際の所は素焼き管なので、経年と機械の大型化とプラウによる深耕をする人も居たりで破壊されてしまっているのであるが、丁寧に復旧してもらった。30PS級までしか入らないウチの水田下からは綺麗な状態で出てきた。プラウで転地返しした上に、70PS級が入るとズタズタになってしまう。


さて、耕運、
「ガン!ガンッ!」
硬っ!!



2015年4月23日木曜日

今年初めての6m、Es


家族でウィルス感染してしまい、発熱、下痢、嘔吐。

結局寝込んでいたのであるが、スマホをいじっていると、Es(Eスポ)出ているっぽい。
6mのEsはなかなか難しい、休日と重なるかどうかが最大の問題。ここの所開くも平日ばかり。今年はまだ、6mEs開いてないなぁ、昨日は国内も開いていたようであるが、と、、VFOを回してみると。ン?VK(オーストラリア)が開いている。

最初、CWで聞こえていたのであるが、パイルアップに勝てず、撃沈。

更にVFOを回すとフォーンで聞こえる。あぁ、、パイルアップになってるな、ウチのアンテナじゃ、55しか振れないよ。と思いつつ呼んだら、アッサリつながりました。タイミングかな、、。



2015年4月21日火曜日

竣工


11月より続いてきた、行田線建替。とうとう完成したようだ。

若番側より、新75番方向を望む。こちら側から資材の撤去が進む。

老番側より新74番。鉄板を撤去した跡がずっと路のように連なる。契約は4月まで。貸している鉄板下と柵の内側は、草ぼうぼう、早く起耕しないと、、。

半年弱、活躍した東電道。用水路をまたぐ箇所。
70トンクレーンの荷重にも耐えた。


入り口側より工区を望む。奥で撤去作業。
盗難防止のため、これでもかというくらい溶接がなされている。


もうすぐ工事もおわり。




2015年4月20日月曜日

モービルのCWパドルの位置を固定。

走行中に打つわけではないのであるが、モービル内でどこがパドルが一番良いか考えたら、結局、パワーウィンドウスイッチの上になった。そもそもモービルのスイッチは操作性とリーチを巧みに考えてあるのであるが、パワーウィンドウスイッチの位置はリーチも近く、手首を着けて打つこともできるので、場所としては非常に良い。ローカルのモービルCWをやっているOM局のパドル位置をみさせてもらった事があるのであるが、やはりこの位置であった。ただ問題はスイッチの上に固定してしまう訳にはいかないので、反転式のギミックを作ってみた。


こんな具合で設置されている。結構すんなり収まっているし、非常に打ちやすい位置にある。(ケーブルは、ドア下から周りかつジャックを設けるように処理した。)

パドルを使わない時はまず、マジックテープでついているパドルを外し、、

蝶番を反転させると。パワーウィンドウスイッチが現れる。
この状態が定位であるが。

先日、北本市に移動運用に行って、このパドル位置で打ってみた。固定が難しいモービル内のパドル位置において、ここは、正しい姿勢で打てるし。なかなか良かった。探した蝶番がステンレス製で見た目は良いのだが重いのが難点なのであるが。ちなみに現況強力両面テープでついている。パドル使用時にはスイッチ上に反転するので、重力は両面テープ部にかからない。マジックテープを使っているので心配だったブレであるが、ピコパドルと違って底面積があるのと、蝶番の出っ張りに沿って取り付けると左右動が起こらないので、軽いパドルながら、左手で、抑える必要もなく快適であった。





2015年4月19日日曜日

サヨナラ 第1回 ベイエリア


Web版はこちらへ




サヨナラ

ムーンライト松崎



(一) ベイエリア



 私はベイエリアにいた。昼下がりから、年に一度の同窓会とは名ばかりの宴が開かれていた。もう40を過ぎるというのに20年も前の大学時代の仲間が集まり、近況を語り合っている。
 40を過ぎるとなると、ひととおり、結婚を経験し、子供をもうけ、特段、話す事といったら若干の近況と、若干の昔話。自慢じみた話にうっとおしさを感じながらも、自分も自慢じみた話をしてみたりするものだ

 ただ時代背景からか、一度も結婚したことのない者や、あえて子をもうけない者、私みたいに「X」がついている者も居る。
 長いテーブル席の私と対角の位置にミキは座っていた。本当の名前は美希子。「子」がつく名前が好きだといいながら、自分の事はミキと呼んでほしいらしい。
 楽しそうに子供とじゃれあうミキに少しのうっとおしさを感じながらも、それを打ち消すように、私は隣の伸二や浩史とじゃれあっていた。全く、私は結婚というものを2回もしておきながら、子供も居るといのに、ミキの一挙一投足にため息が出そうになるなんて、本当に馬鹿げている。
 宴も終わり、皆、帰途につくことになった。こんな間昼間から宴が行われているのも、同窓会と名のつくものが、多方面に散り散りになった仲間を集めるからであった。
私は伸二と車で来ていた。車で来ていたからには、酒を飲める訳もなく、そんな私を気遣ってか、伸二も酒を飲まずに居た。




 店の外に出ると心地よい風が吹いている。都会であっても海辺。こういうのをベイエリアというのか。
 バスがないから、K線の駅まで歩くという、ミキと浩史たちを見送り、私は岸壁に係留されていた古船が気になったので、スマホをああでもない、こうでもないと、いじりながら苦戦しつつ、被写体として収めていた。

「センパーイ、行きませんかぁー?」

おどけた表情で伸二が私のVM4の横で呼ぶ。

「ははは」

「やれやれ」

が混ざったような表情で、私はVM4まで戻り、ハッチを開けた、そこには私と伸二の撮影機材が所狭しと置かれていた。
 そう、ここへ来る前、早朝に約50km離れた東北本線の撮影地で列車撮影をしてから、ここへ来ていたのであった。いい歳をこいて、仲間からは呆れられているだろうに。
 荷物の整理をし、運転席に座ると、私はVM4のエンジンスタートボタンを押し、そこを離れた。開け放たれた窓から、初秋の爽やかな風が入ってくる。
 北海道から来ている伸二は、これから、この足で札幌へ帰る。私は羽田まで送る約束であった。

「そこを右に曲がってください」

 伸二が言う。さすがだ。ナビどうりの走行に慣れてしまった私と違って、測量技士をしている伸二は一度通った道は忘れないらしい。
 ベイエリアの40ft海上コンテナトレーラーでも悠々と曲がれるような巨大な交差点を右折すると、片側だけで4車線ある道に出る。中央分離帯を隔て向こうの道の歩道を、ミキたちが歩いているのに追いついた。私はクラクションを2、3回鳴らし、窓から手を出し、大きく振った。アホな浩史が、おどけたしぐさで大きく手を振っているのがチラリと見えた。ミキはすまして、子供の手を引いているようだ。
 エアコンを入れ、窓を閉めた。静かになった空間に

「ふぅぅ」

と思わず。私の溜め息が響いてしまったが、伸二は気づかないふりをしているのだろうか。
 VM4はT道に入り、首都高Bラインへと足をすすめる。レインボーブリッジが右へ去り、東京港トンネルの3連信号が見える所で

「ふぅぅ」

とまた、深く溜め息をついてしまった。さすがに伸二が

「どうかしたのですか。」

と訊ねる。


「いいや」

と短く答えただけで、VM4は、片側3車線の東京港トンネルのいちばん左の車線を法定速度で走っていた。




※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、出来事とは一切関係ありません。



連載が始まります。


久々にムーンライト松崎の名前でリリースします。
だれもが、持っていそうな青春のひとコマを綴ります。
原文はできているので、不定期でアップします。



2015年4月17日金曜日

タッパー1号

移動用のダイポールを作ろうと思ったのであるが、お手軽に
パッチンコアに1.5D同軸を巻いて、製作。データはこちら
の記事を参考に製作。手持ちの適当な秋月で売っていたのコアを使ってしまったが、データどうり巻いたらちゃんとSWRが落ちていたのでOKかな。計測は、ワニ口で、ダミーロードにつないで、アナライザー計った。ダミーロード計測だと、21MHz以上はリードの長さが影響してしまうようで、50Ω抵抗で計測した方がいいのかもしれない。いちおうデータ上では50MHzまで使えるようであるが、実測では21MHzまでOK。ハイバンドと50MHzで高いのは。多分、リードの影響であろう。


外観はこんな感じで。ちょい、ボルトが長すぎたのと側面から出せばよかったかな。紐通し用の穴も空けた。

部品で単価が一番高かったのはパネル型のMコネクター、、、。ローカル局曰く、秋月の安いやつでいいようなので、ストックしておけば良かった。とりあえず、すぐに欲しかったので、仕方なくwwちゃんとしたwwコネクタを使用。

ローカル局いわく、昼飯代くらいでできるという事だったが、、、。数をつくらないと、1個当たり単価は下がらないなぁ、、。でも、まぁ、コネクタさえ安ければ、だいたい1000円以下になると思われる。


新潟の115系の検査が大宮に

最近、取引先のO君が、ビジネス会話以外に、テツ情報を流してくれる。どうも信頼できる筋らしく、やたらに詳しい。
で、北陸新幹線開業にともなって、直江津-長野間がしなの鉄道に移管されたため、長野で検査していた115系が大宮で検査を行う事になったようである。しかも、自走ではなく配給で。しかも、EF64ではなくEF81で来るという。新津工臨もEF65だったので、どうも軽量の車両なら、EF81、65が充てられるようだ。
しかし、長野総合車両センターは在来線地図上では、長い尻尾の末端に、ポツンと浮いた感じになった。


んなわけで

配9738レ 吹上-北鴻巣
α77+80-200F2.8ハイスピードアポテレ

牽かれているのは4両組の新潟L11編成。

おまけ。新津工臨もあったようだ、切りそこねて画面カツカツ。失敗。




2015年4月13日月曜日

移動用パドル


捜し求めていた。パドルが手に入った。

CQ出版社扱いであるがGHD製のジェミニ。

収納状態はこんな感じでこんなサイズ。ここから、ネジを緩めてスライドさせると、パドルが飛び出してくる。


FT-817と比べるとこんな感じである。難点は、マグネットになっていないので、自分でつけるか、片手で抑えながら打たないといけない。

マグネットシートかマジックテープを貼ると良いと説明書に書いてあったので、マジックテープを貼ったのであるが、どうも、マジックテープだとフラフラしてしまいイマイチ。

至近距離でローカル局が移動運用していたので、話のネタに500mwで呼んでみたが、ちゃんと届いているのであるが、焦って、呼出時の、自分のコールサインを打ち損ねるという大失態。、、、う~~ん。タッチも微妙にフニャッツとした感じで独特である。



とにかく荷物を最小に収めたいFT-817による移動運用には最適である。

まだアンテナシステムは試行錯誤中であるが、6月に予定している5エリアへの旅行までには、何とかしたいものである。あ、、、その前に腕のほうも、、、。それが一番の問題なのであるが。なかなかコールバックが一発で取れずに苦戦中。まぁ、ホームでは免許上、なまじパワーは出てしまうので、ハイパワーかけて、取れないというのは恥ずかしいが、この手のQRPはCQ側が一番弱いわけで、、、

2015年4月10日金曜日

もうすぐ竣工

昨年の11月より続いていた行田線の建替工事であるが。おおむね完了した模様である。

新47番より老番側を望む。新47番は立派な耐張鉄塔。若干の角度がついている。この角度が問題で、水路をまたいでこちら側に引っ越してきた模様である。

新74番の基礎部から新74番、新75番を望むナンバープレートも装着されている。。背高であるが、用地節約のため、新76番は基礎部が狭くなっている。保有地に建替えた老番側は若干開脚が広い。
鉄塔の工事は終了した模様で撤収にかかっている。盗難防止で、鉄板は全て溶接してあるので、敷設は早かったが、撤収は、溶接部をディスクグラインダーで切断しながら行っているようで。結構、手間を食っているようである。


あいにくの雨天の撮影。新74番より若番側。まだスーパーハウスなどがあるが、撤去が進む。この用地は小生の土地なのであるが、これが終わらないと、耕作が進まない。今月いっぱいは貸してあるので、草は生えていないだろうが、起耕結構忙しい。



2015年4月4日土曜日

皆既月食はNG

今日は、半年ぶりに皆既月食が。しかも、時間は短いものの日本全国で皆既状態となるとの事で話題であった。しかし、関東の予報は曇り~小雨。

今日は2ndと東京方面へ出かけていたのであるが、帰ってきて、あてもなく空をみると、なんと雲の間から、欠けた月がクッキリと出ているではないか。慌ててカメラを持ち出し、吹上-行田のポイントへ。ポイントに到着した時間には、もう少しで皆既になるといった状態で欠けている月が見えていたのであるが、アングルを見つけているうちに雲にスッポリ隠れてしまった。

残念。どうせ、皆既になる時間が10分くらいしかないのなら、家からポイントまで来るこの10分にずらして欲しかったと思ったのであるが。

、、でせっかく、来たので、勿体無いので桜をからめて、長時間シャッターで軌跡を撮影。


高崎線 吹上-行田 α77+MINOLTA 28-105 3.5sec

2015年4月2日木曜日

今日の安中貨物。桜が満開。

今年は桜の開花宣言から、満開までが早かった。
西郷村に行っている頃に熊谷で開花したと思ったら、一気に満開。
こういう時に限って、コマーシャルがMAX忙しい。

昨日は雨、明日からも怪しい。今日は晴天。ネタと抜け出し時間と、考えた末、夕刻の安中貨物に決定。


5097レ 吹上-行田 α7+KONICA MINOLTA 17-35 (35mm)

花見のラストチャンスとだけあって、元荒川の街中は平日にもかかわらず凄い人出。このポイントは、遊歩道も終わっった、終点みたいな所なのであるが、街中から歩いてくる人がチラホラ。昨年は何日か通ったが、今年はこれ1回になりそうだ。なんとかネジこんで1枚!