2015年8月27日木曜日

時代は移り行く


24系の廃車回送があるっていう事で。体調が悪いのであるが、行ってきた。正直。廃車の回送っていうのはあまり好きではないのであるが。それでも近所を通るので最後のお別れに行ってきた。
やってきたのは元あけぼの編成と思われる青森車。長野への廃車の道程である。つい最近まで、「あけぼの」で通いなれた道を、最期の地へと向かう姿はなんとも寂しい。そして、車体の痛みも任を解かれてから、久しい事を物語っている。

先日。北斗星の運用が終わり。残存の24系の去就が注目されるが、「ブルートレイン」の保存車として僅かに残る可能性はあるものの、着実に勢力を減らしそうである。東京や上野から矢継ぎ早に定期ブルートレインが発車していた時代も、遠い昔語りとなりつつある。

2015.08.27 11:10 高崎線吹上-北鴻巣
配9826ㇾ EF64 1053+24系8B
α77+SONY24-70F2.8T*(28mm)

2015年8月19日水曜日

シキ850C 変圧器 大物車輸送

なぜか、夏男殿からシキが運転されるという情報が入り、撮影に。
実は、結構色々なネタ列車の情報をもらっているのであるが、電力マニアとしては、変圧器の輸送は、撮ってみたい。

と、思うは簡単で、夜間輸送のようで、なかなか難しそうだ。情報では、熊谷貨物ターミナルに朝の05:10着とこの時期に日の出とほぼ同時に到着するようなダイヤ。この列車の大宮の出発が03:50であるから、その時点では、まだ暗い。北鴻巣通過が04:30~40といった所で、サン・サーベイヤーで見てみると8月19日の日の出は5:01で。04:30~04:40の時刻は太陽は日の出前で地平線下-6~7°の位置に居るようだ。

撮れるか撮れなないかギリギリ。ギリギリアウトでないか、、、。前日、-6°とはどれくらいの暗さかをロケハンしてみたが、ISO6400で、流さないとダメ、、、まいったなぁ

果たして



4:49分にやってきた。太陽は-3°何とか明るくなってきたかな。流さなくとも止まった。
しかし暗い。しかし色情報は乗っているのでRAWからどう現像するかで、色味とノイズがだいぶ変わってしまうのだが。このWebは背景が黒なので、かなり暗めに現像してみた。

EF65PF+シキ850C+ヨ8500
α77+24-70F2.8T* 1/200 F2.8 ISO 1600 (現像時+0.63EV補正+ノイズリダクション)
2015.08.19 04:49 高崎線 北鴻巣-吹上


これはJQ1ZNAの鉄道の日記念運用に使うカードの候補かな。
こちらは少し明るめに現像してみた。


2015年8月16日日曜日

幻の鉄道建設公団AB線 ~道北の未成線~ 興浜線(1)

リメイク_リバイバル_アーカイブス

この記事は1998年8月に取材されたものです。
取材1998年8月 ムーンライト松崎

幻の鉄道建設公団AB線
~道北の未成線~
興浜線



「かつて北海道には網の目のように鉄道が敷かれていた。」

鉄道廃線に興味がある方はもう当たり前のように聞いている事である。
今や鉄道廃線王国の北海道だが、道北にはほとんど完成していながら、55年廃線の憂き目にあった未成線が埋もれている。美幸線がそれである。工事の進捗率はほぼ100%と言われレールまで敷かれていたのにも関わらず、ほんのわずかの差で開業に至る事ができなかった。また枝幸で美幸線と接続し、オホーツク海縦貫線の最後の開通区間になるはずだった、興浜北線。今はなき深名線と羽幌線をショートカットする名羽線もまた大部分が完成していた。そんな道北の未成線たちを覗いてみた。


序章

 サークルの合宿がたまたま北海道だったので、その行程で興浜線-美幸線-名羽線と連続して回れるだろう。この取材はそんな甘い予測でスタートした。過去3回の北海道旅行は18きっぷと周遊券で鉄道路線は全部制覇してしまい、鉄道で行けるめぼしい所はだいたい見てしまったので、今回はマイカーで新潟からフェリーで乗り付けた。未成線取材の前日は別の自動車組と、釧路から知床一帯を観光し網走へ。この時点で夜になり夕飯でも食べようかと、網走駅の待合室を覗いてみると札幌行き夜行の特急「オホーツク10号」を待つ連中がたむろしているではないか。結局、自動車組と鉄道組とで駅前のファミレスで食事を取り「オホーツク10号」を見送った。その後素直にサロマ湖方面へ向かって道の駅寝をすればよかったのに、オホーツク10号を追いかけて北見に先回りして乗っている連中を襲撃してしまった。この時点で、23:30を回っており、釧路から走りどおしだったので、さすがにダウンしてこの辺でビバークする事にした。サークルにたまたま北見出身の者がいたので、健康ランドを紹介してもらい、ここで、夜を明かした。

  翌日、7時ごろに健康ランドを後にしたのだが、地図を見て後悔した。北見から興浜線の未成線区間が始まる雄武まで、150キロもある。北見からオホーツク海に出て、そこから雄武に着いたのが12時ちょっと前だったか、そこから枝幸に着いて14時、この時点で焦りが出て、相当取材が雑になりはじめる。枝幸町役場で話を聞き美幸線に沿って美深まで出た所で16時半。役場で話が聞ける限界の時間だった。美深の市街地を出る段階で、17時になってしまい、現地に行くと日暮れギリギリになり、熊が出ると怖いので名羽線の散策は断念する事なってしまった。

  それでもひとおり写真は撮れたたはずだと思って、埼玉の自宅に帰った後で、撮った写真等のデータを整理してみると、あまりの取材不足に愕然とした。ペーパー資料はそこそこなのだが、写真と現地調査があまりにも少なく、説得力に欠ける。

「ああ、北海道で気づいていれば!」

と後悔したが、もう帰ってしまってからでは遅い。あきらめて原稿を書き始めるが、名羽線に至っては写真すらない。これではさすがにダメだと思い、北海道在住の友人のE氏に電話してみると月曜か火曜なら空いているとの事。北海道旅行後で予算が極端に厳しい時期であり、何せバイトがギッチリ入っている。しかし、スカイメイトがあと半年つかえる年齢である。どうやら3万もあれば往復できそうだ。結局バイトの谷間の2日を上手く使って、今度は飛行機で再び渡道する事になってしまった。
やれやれ、甘い計画の立て方の代償がかなり高くついてしまった。これも鉄道を使わずに現地に行ったバチであろう。

今回の取材において旭川在住の友人のE氏には多大なご協力をいただいた。再調査にあたっては自動車まで出していただいてナビゲートしていただいた氏のおかげで何とか公開に至る事ができた。まずはじめにこの場で感謝の意を表したい。

幻の鉄道建設公団AB線 ~道北の未成線~ 興浜線(2)

リメイク_リバイバル_アーカイブス
 この記事は1998年8月に取材されたものです。
取材1998年8月 ムーンライト松崎

幻の鉄道建設公団AB線
 ~道北の未成線~
 興浜線(2)





建設の経緯

  興浜線は釧網本線、湧網線、名寄本線、興浜線、天北線と繋いで、オホーツク海沿岸を縦貫するルートのひとつであった。実際に営業されていた興浜線は浜頓別-北見枝幸間の北線と興部-雄武間の南線に分かれていて、最盛期の路線図を見るとオホーツク海沿岸のルートは興浜南線の雄武と興浜北線の枝幸の間だけが途切れている事が分かる。

  興浜線は北は天北線の浜頓別、南は名寄本線の興部から伸びるかたちで、興浜南線(興部-雄武間)が1935年(昭10)に、興浜北線(浜頓別-北見枝幸間)が1936年(昭11)それぞれ開業していた。残る興部-北見枝幸間は戦後の昭和41年に鉄道建設公団のAB線として、雄武方から着工され、雄武から枝幸町の西音標までの区間で路盤が完成した。しかし昭和50年代に入ると既開業区間もいよいよ存続を危険視されるようになった。(ちなみ未成線区間の輸送密度はだいたい600人日/キロであるとされ、シリーズ1作目の岩日北線とほぼ同じである。)そういった状況下で昭和55年を迎え、当然のごとく建設が凍結されてしまった。また既開業区間も第1次特定地方交通線の指定を受け、南線、北線ともに1985年(昭60)7月に相次いで廃止され、バスに転換されてしまった。廃止にあたって三陸鉄道のように未成線区間を完成させて第3セクターのオホーツク本線とする構想もあったが、地元負担が大きく実現には至らなかった。


 

廃線をみながら


紋別の先で見た名寄本線の廃線

序章で述べたとおり、取材した日は北見に泊っており、7時ごろに北見を後にした。しかしざっと見積もっただけで枝幸までは200Km近くもある。未成線の遺構を見つける度に車を止めていては、枝幸に着いた段階でお昼過ぎになってしまい、美深で打ち止め、名羽線へは行けない公算が強い。昨日のうちに少なくとも紋別あたりまで移動しておけばよかったと後悔するが全てが遅かった。

  北見を出て、国道333から道道685を経由してサロマ湖方面に抜けた。サロマ湖を見ておきたい事もあって、東側のルートを取ってしまったが、距離的には留辺蕊、遠軽、湧別と抜けるかつての名寄本線ルートの方も面白いかもしれない。距離は大して変わらない。

200Kmという距離は時速70Km/hぐらいで走れば3時間。スピード違反をして100Km/hで突っ走れば2時間で着いてしまうだろう。北海道、特に道東、道北に来て驚いたのは全く走り方のスタイルが違う事だ。町と呼べるものは20Km~30Kmごとに並んでいる感じで、町と町の間の信号は「全くゼロ!」。市街地以外はほとんど追い越し解禁の白い点線のセンターライン。国道と道道の主要な交差点でさえ一時停止の看板が立っているだけの始末である。であるから当然に地元の車は速い。

北海道に来た初日に夕張と浦幌のあたりで速度取り締まりをやっており、危うく難を逃れた経緯があり、法規を守るような速度程度で走っているとあっという間に後ろにつかれ抜いていく。だいたい見るからに、100Km/hが標準といった所か内地では、有り得ない。まぁ、ここは我慢の子で。迫りくる後続車は、なるべく先に行かせて、耐える事にした。

  サロマ湖から先は国道238号を走る。この国道がまた一直線でやたらと速度が出る。ところで、この国道、名寄本線とも沿っていたはずである。川を渡る際に山側に気を付けていれば、突然廃橋が現れたりする。紋別の先で名寄本線の橋脚等を発見しながら、10時前に興部に着いた。かつての興浜南線はここから分岐して北へ伸びていた。興部駅跡は何処かと市街地を見てみる事にしたが、資料がないためさっぱり見当がつかない。何か手がかりはないのかと、とりあえず道の駅(道の駅おこっぺ)に寄ってみる。

  さて、この道の駅、噴水に前にD51の動輪が置いてあったり、ライダーの宿泊に使える気動車が置いてあったりで、どうも駅だった臭いがする。建物の反対側に回って見ると何と名寄本線の転換バスのロータリーになっていた。「これは」と思い近くで犬の散歩をしていた人に聞いてみるとまさしくここが興部の駅だったとの事。なるほど併設されている町の施設の入口の横に「思い出の興部駅舎」と書かれた名盤が置いてある。



  興部を出ると国道はいよいよ興浜線と並走するようになるが、まだここは廃線。未成線の区間に入るのは雄武から先である。この廃線区間も左手に橋脚や築堤を見る事ができる。

雄武に着いてからもまた駅跡地を探すのに苦労した。とりあえず興部がそうだったからと雄武でも道の駅に寄ってみた。だいたい元が駅だったところはなんとなくオーラが出ているものだ。町の中心にあってやけに用地が広かったり、町外れに位置するタイプでも、なぜか一本道があったりするものだ。ここの道の駅「道の駅おうむ」も市街地にあってやけに用地が広い。そして、その姿にギョッとした。


「なんじゃこのタワーは。」

  UFOを思わせる大きなタワーが建っており、雄武町地域交流センターと書かれている。その中に入って行くと観光案内所のような窓口があっり、ご婦人が暇そうにしているので興浜線について聞いてみた。それによるとやはり、ここが雄武駅の跡だとの事。では昔の駅舎はどうなったのかと聞くと、この交流センターは去年(1997年)に完成し、いつかは分からないが昔の駅舎はかなり前に取り壊されて長らく更地だったようである。さらにこの先に建設途中で放棄された興浜線のトンネルもあると付け加えた。



幻の鉄道建設公団AB線 ~道北の未成線~ 興浜線(3)

リメイク_リバイバル_アーカイブス
 この記事は1998年8月に取材されたものです。


取材1998年8月 ムーンライト松崎

幻の鉄道建設公団AB線
 ~道北の未成線~ 
興浜線(3)


   とりあえずは放棄されたトンネルを探してみたい。雄武を後にし、再び国道を走る。しかしご婦人の言っていた放棄されたトンネルがなかなか見つからない。左手に水管橋と化した公団規格の橋が現れたりするのだが、トンネルは見当たらない。それ所か気付くと、あっという間に7Kmも走ってしまい元稲府の駅予定地をも過ぎてしまった。慌てて駅予定地を探そうとするのだが、これまた容易ではない。こんな事なら雄武の役場に行っておけばよかったと思った。しかしどちらにせよ、先に述べたように調べるとしても後に日程がどん詰まりになってしまい、美幸線沿線を見る事ができるかどうかも怪しくなってしまう。そこで、今回は美幸線と名羽線を加えて3線同時企画にして、水増しをして、道北の未成線のイメージを伝える事にして、各駅ごと調査は省略する事にした。

  あのご婦人の言っていたトンネルは後の2日目の調査で見つける事が出来た。2日目はE氏が郵便局で、旅行貯金をしている間に、付近を散策したみた。タワーのある道の駅から線路が延びていたと思われる方向に歩いて行くと公園がある。築堤を崩したようであるが、これは建物を建てるために山を削ったらしい。駅からの角度からしてこの公園付近のようなのだがと思って周囲を見ると、何時の間にか老人ホームの散歩用の庭をキョロキョロと物色していたらしい。これはとんだ失礼をしてしまった。不審人物と思われては困ると思い慌てて老人ホームを回り込んで歩いて行くと、その先は住宅地になってしまっていて見当が付かない。

「困った」

と思っていたところ地元の人が歩いてきたので聞いてみた。

「興浜線?ああ、そこですよ」

「ヘッツ!?」

と思っても見当たらない。その人に案内してもらって、指差す方を見ると、なるほど住宅の間に築堤らしきものが見える。それにしても大抵は不審な人だと思われるのだが、歩いて行って案内してくれるなんて、ヤケに丁寧だなあと思った。肩から一眼レフカメラを下げ、デジカメとメモ帳を片手に持っていたのでどこかの雑誌社の取材だと思われたのかもしれない。

  さて、エンコラと築堤に上ってみるとなるほど、住宅が建つ丘の下を潜るトンネルが見える。これが前回ご婦人が言っていた放棄されたトンネルであろう。前後を見てみると、なるほどトンネルは道の駅と老人ホームを結ぶ線上にある。てっきり山をくり貫くトンネルだと思っていたのだが実際は住宅街にあったようだ。おそらく道の駅と交流センター、老人ホームは同じ時期に開業したのだろう。新築された建物だったので鉄道の臭いがそっくり消え失せていたのだろう。しかし、未成線の路盤に新築とは・・・。これでは「今後の再生の検討は・・・」と聞くまでもない。

  反対側は塞がれているとの情報があるので、敢えてこの先に踏み入れる事は止めた。


水管橋と化しているPC橋(元稲府付近)



雄武の市街地にひっそりと眠っていたトンネル


  再び、元稲府から海岸沿いに走ってみよう。北見音稲府、北見幌内と進むが、この辺、右はオホーツク海、左は牧場といった風景となる。並走している興浜線の未成線は左手にチラチラ見えるのだが、無残な姿だ。築堤は壊され農場に取り込まれていたりする。そして壊すのが面倒だったと思われる橋やアンダーパスといったコンクリート製の構造物だけがポツンと取り残されていたりする。あとで枝幸町の役場で聞いたのだが、建設が中止されてから土地を売った地主は線路敷を買い戻して農地に戻している人が多いようである。

農地に戻された路盤。
壊すのに手間がかかるからか、コンクリート製の構造物だけが
ポツンと取り残されている。(北見幌内付近)


  幌内の市街地を過ぎたところで、幌内川を渡る。興浜線も立派なPC橋で越えている。この幌内川を渡るあたり、非常に景観が美しい。一旦車を止めて幌内川を渡る橋に登ってみる事にした。国道は幌内川を渡った所で国道238号と道道60号が交差しているのだが、この60号が興浜線と交差する所では、築堤が大きく崩されていた。おそらく拡幅の時に壊されたのだろう。その壊された断面を登って橋の上に出てみた。同じ事を考える先人が多いのだろうか、獣道のように踏み固められた跡があったので、結構簡単に橋の上に出る事が出来た。

  しかし景色が美しい、左手にはオホーツク海が静かに広がり、右手の山並みからは幌内川がゆっくりと水をたたえながら流れてくる。よく水面を見てみると、肉眼でも見える程、ものすごい数のサケがいる。後で調べたところ、ここは道内でも有名なサケの観察ポイントのようである。


幌内川を渡るあたりは自然が美しい。


未成線の橋の上からも遡上してきた無数のサケを見る事ができた。


  幌内川を過ぎると、枝枝幸、北見音標と進む。北見音標を過ぎたあたり、枝幸町の西音標で完成した路盤は果てている。路盤は音標で果てているが、計画線はこの先、風烈布、乙忠部、北見山臼、徳志別、岡島と進み南枝幸で美幸線と接続し、北見枝幸に到達する。南枝幸から北見枝幸までは美幸線の路盤が完成している。雄武-北見枝幸間が48.5Km、路盤が果てるあたりが、雄武から20Kmちょっと。だいたい50%ぐらいの完成率か。公団の資料や未成線大全科では50%となっているから、やはりほぼ半分ができていたと考えていいだろう。予算の投入の状況から察して、もし仮に建設が続いたとして、完成は1990年(平2)頃だったと推定される。


Vario-Sonnar 24-70F2.8T*



私の場合、どうも広角側の描写が甘いというのが、悩みであった。80-200F2.8Gが古いレンズながら描写がいいので、好んで使っていたのだが、そうなると、どうしても標準~広角の絵図を避ける傾向になってしまった。

広角の持ち球は、MINOLTAやKONICA MINOLTAブランドの普及型のF4~5のズームなのであるが。やっぱり、もうちょいカリッとして欲しい感があった。F1.8クラスの普及型単焦点を導入したものの、運用してみた感じ。単焦点は小型軽量で、写りも良いが、F1.Xとまでいかずに、F2.8で良いから通しで使えるレンズはやはり欲しいと感じた。

しかし、ここへ来て、大三元レンズの中間域の24-70mmF2.8がリファインされた。

SONYの広角側の上位モデルはツァイスになるのだが。6月にVario-Sonnar24-70F2.8T*が初期モデルから後継モデルになり、型番がZからZ2へと変わり、Z2の登場でZが在庫処分となり、価格が落ちてきた。モデルの大きな変更点はAF性能(SONY、E、AマウントのツァイスはAF付)のようで、ツァイスをとりあえずAF化したような構成から本格的なAFとなったようで。4倍の性能差との売りであるが、光学特性は大きく変わらないようだ。AFを使うシーンが極めて少ない、テツ撮りではAF性能は全くとは言わないがあまり重要なファクターではなく、これはまたとないチャンス。

そして今月、あろうことか、大手カメラ量販店が税抜きであるが、中古価格に迫る150K円で出してきた。これは!と思ったが、もう在庫寡少なようで。結局Kチェーンで、150Kとまではいかないものの、中古に少しの追い金で買える値段で交渉がついたので、かなり無理をしたが手に入れた。


手に入れたといっても代償は大きく。ロードバイクのジャイアン1号は、手放す事にした。いや、ほとんど乗らないので、乗っていただける人を探していたのであるが、オークションに出したところDEFY1のタマは希少らしく、かなりの競争の上、結構な金額で落としていただいた。

引き取りに来ていただいたのであるが。大事に乗ってくれそう、かつ、手慣れた人に引き取ってもらえたので助かった。


さようならジャイアン1号。

あまり乗ってあげられなかったけど

新天地で活躍してください。


さてさて、色々やりくりで、稼働していない勿体ないものの処分で何とかT*の資金が手に入ったものの、実戦はというと。そうそう、予定がすぐつくものではなく。夕暮れに機関車を撮ってみた。

ここ、定番撮影地のはずなのであるが、草の伸びが激しく、試し撮りにはイマイチであるが。



めいいっぱい引いた24mm。ISO400、1/640 解放のF2.8から1段絞りである。

変哲のない。夕暮れ時の高感度気味な感じである。ヘッドライトがボォ~っと光っている。
以前、同じ撮影地で似たような画角を普及タイプのF4クラスの広角ズームで撮ったのがこれ。


露出の出し方が全然違う絵図であるが、薄暗い日暮れの写真って好きなのであるが、F4レンズではアンダーを避けて明るいほうへ補正気味。F2.8T*では冒険して、若干のアンダー気味をもって、青白い構成にしてみた。機関車のディティール回りを見るとF2.8のT*で撮った写真の方が機関車がスッキリと見える。あとは微妙なアンダーにしたら、ホワイトバランスは晴天モードで固定であるが、全体に青い雰囲気となった。
やはりこれくらい違わないと高かった意味はないなぁ。

とりあえず、本格的な投入を行いたいのだが、はて、何処に出かけようかな。





2015年8月7日金曜日

レヴォーグ、エアコン故障その後

レヴォーグ、VM4のエアコン故障であるが。

2015年8月1日(土)~2日(日)にかけてのフィールドデイコンテストでは、自動車のエアコン故障で、早期撤退を余儀なくされたが、とりあえず、日曜は熱中症気味で、気分が悪かったので、3日の月曜のディーラー休みが終わった、火曜の朝に車をディーラーに持ち込んでみた。何しろ日中は全く効かない、夕方になると、かろうじて、助手席側だけ効くという状況であった。

さて、診断に時間がかかるかと思ったら、10分ほどで、診断が終わり、車体前から見てエアコンコア右側の取り付け部のOリングからのガス漏れとの事であった。見ると、見た目であきらかに漏れた跡がついている。激しい漏れである。どうもOリングから漏れると、徐々にではなく、一気に破綻するようで。夜間は効いていたのに、日中はダメになった理由はその辺のようである。

腑に落ちないのは、短時間の検査で、エアコンコアの交換と、いう事に。価格を見ると5万円ほどの、作業のようであるが。もちろんメーカー持ちのクレーム処理となった訳であるが。とりあえず、ガスを充填しておいてくれたようなのであるが、持って2、3日で抜けてしまうとの事。部品が届くのが7日の金曜で、作業が土日との事であったが、10日の月曜から盆休みに入ってしまうようで。そうなったら、作業が17日の盆明けになるようで。いつ抜けてしまうか分からないガスが気が気でない。何しろ急いで欲しい旨頼んで後にしたのだが。

さて、その後。5日の水曜の夜に乗ってみた所、ガスはあっけなく、抜けている様子。全く、近所に飯を食べに行くのにも、軽トラで行けば良かったと後悔する有様であった。これは、非冷房で盆を越す羽目になったら大変だぞという事に。



果たして。部品は。6日の木曜に届いた。当初の話では、金曜の夜から作業に入って、土曜作業って話であったが、それでは土日月で、出かけてしまう予定なのでやはり、盆明けになってしまう。交渉し、なんとか6日の木曜中に預けて、7日の金曜昼までには作業を終わらせてくれる事になった。

、、、さて、なんとか、木曜に預けて、本日、引き取り。当たり前だけど。冷房は、キンキンに効いている。

しかし、気味悪いなぁ、サービスに効いてみたら、バラしてみた所、エアコンコアもOリングも損傷がないという。Oリングが切れたならともかく、何故無傷で抜けたのだろうか、、、。そして、なぜ、高価なコアを交換したのか、その決済があっさり降りたのか。リコールにならない、隠しオプションの不具合なのか。誠に腑に落ちないが。どうも、この手のエアコンの故障は持病になりやすいので、あまり気持ちの良いものでなないなぁ。


2015年8月2日日曜日

フィールドデイコンテスト2015参加


ここ数年予定が合わなかったので参加できていなかったのですが、今年はフィールドデイコンテストに参加できました。移動運用しないと不利なコンテストなのですが、コマーシャルの関係で、長距離移動はできなかったので、市内の荒川の堤防上で運用。お声がけいただきました皆様ありがとうございました。


今回移動したのは、埼玉県鴻巣市荊原地内。荒川の堤防上。何しろ、イレギュラーの連発であった。まずは消防団の暑気払いがあったので、今年からは18時からと、早くなった開始時間には大幅遅れ必至。それでも、モービルに荷物だけ積載して、酒を飲まずに参加して、20時前に運用地に向かい。移動中も、モビホで430MHzを何局か取って(今年から運用ルールが変わり、マルチが変わらなければ、こういう運用もできるようになった)。
設営開始。

アンテナ群は、まずはHFは、フルサイズのG5RV。これ1フィードでマルチバンドに出られてロングワイヤより性能がいい(らしい)。6mは自作4エレ八木。430MHzは、ダイヤモンド改21エレの、根元部分のオリジナルの10エレ部分をスタックで使用。2mはSG-7900、モービルホイップであった。

なんだかんだで設営が23時になってしまい。とにかく、皆さん起きているうちにと、430MHzと、あとはまだ開いていそうな7MHzを何局か。深夜帯は3.5MHzで交信した。本当は、しっかり、サーチして全局呼んでCQを出したい所だが。2時を過ぎてしまった。ここで、朝は4時に起きる事にして。仮眠を取る。

さて、朝4時に起きて、VFOを回してみる。7MHzはまだオープンしていないようだ。ロシア語と思われる、コンテストが盛んに入ってきている。それでも沖縄と、北海道の奥で声が聞こえたので。取った後は、また3.5MHzでひとさらいして、50MHzに移る。

この辺で太陽が昇りはじめてトラブルが起こりはじめる。
まず50MHzのアンテナは同調点がずれているらしくSWRがおかしい。一旦下ろして、調整したところTマッチの接触不良。SWRは落ちたが時間を食ってしまった。

次は恐ろしいトラブルが発生。CWのマクロキーヤーが暴走しだした。意図しない、符号を打ち出した。コンテストナンバーを送る段で、JH?とか意味不明な符号を。折角コールをとっていただいたのに、相手の方は呆れてQRZと次の局を呼ぶ始末。キーヤーは捨てて、手打ちに切り替えるも、これまた、今度は下手糞で、焦っているのと暑くなってきたので、ミス連発。

どうもこの時点で車内が30度を超えたらしく、USB<>シリアル変換がご機嫌を損ねて。多分、間違った符号を出してしまったのはプッシュミスだろうが、原因は、インターフェイスが不調で、再起動したら、違った設定を開いたのが原因なようだ。その後、気温が上がると、符号そのものが出なくなる事態に。イライラするので、6mAND_DOWNでは稼いだ6mCWはやめる事にした。

結局、6mは八木まで上げて、調子が出ず。

ここで例によって軽井沢に移動しているローカルのJI4OMC/0から、6mが絶好調とのQSPが入る。どうも5エリアや4エリアも入ってスキャッターが出ているのか何だか。何しろ、AJDに迫る勢いである。マルチも6mAND_DOWN以上行っているようだ。これは負けたか。

このタイミングでマルチ稼ぎから局数稼ぎに方針を変えて、430MHzで、本気モードでCQを出して局数を稼ぐのだが、なんとか50局を超えたあたりで、体がダウン。なんと、車のエアコンが不調で全く効かなくなってしまった。どうもスバル特有なのか、熱がボンネットに篭ると利きが悪くなるようで。文字道理滝のように汗が出る始末。汗を噴き拭き。水を飲みながらやるが、長時間は持たない。何しろエアコンが送風になってしまっていて、外の方が涼しい始末。

後は、2mに出てみたり、また6mを覗いたり。最後にHFは21、14、7とひとさらいしてここで8時半。もう帰りの心配になって来て、マルチ稼ぎはやめたので、HFのアンテナはしまう事にした。G5RVを片付けて、9時。

この時点で、精密機器の不調は絶頂に達し。PCも危ない状態に。ポインティングデバイスが動かない、周波数取り込みが上手くいかないなど、何しろ普通でない。

10時を過ぎ、最後の本気モードCQを430MHzで出すが、空振り気味で全然レートが上がらない。
そうこうしているうちに、どうも脱水気味になってきた。フラフラ来た。以前、脱水症状で入院した事があるので、この段階での無理な頑張りは、危険であり、ここで倒れようものならアンテナ出しっぱなしで多くの人に迷惑をかける。

とにかく、アンテナを撤収して帰る力を残しておかないと。ここは勇気ある撤退で10時半で上がって撤収に入った。アンテナを撤収して、荷物を積み込んで、近くなので、家について11時半。もう、フラフラで、倒れ込むように寝てしまった。あのまま運用していたら、本当に、まずかった。

さて、暫定リザルト。

  Band   QSOs   Pts  Multi
 3.5MHz    25    25   15
 7MHz      18    18   16
 14MHz      3     3    3
 21MHz      5     5    5
 50MHz     10    10    7
 144MHz     5     5    4
 430MHz    56    56   10
--------------------------
 Total    122   122   60
Score : 122x60x2=14,640点


結果としては通常150局は行きたい430MHzが50局止まりだったのが痛かったか。
何事も趣味には目標を持ちたいが、埼玉県央のホーム周辺エリアで運用する時は430は150局。最低でも100局は超えたかったなぁ。

機器トラブルなど、色々あったが、楽しいコンテストであった。