2017年5月6日土曜日

第5次写真対戦?~さようなら新潟地区115系編





今回は夏男氏との第5次写真対戦となる予定が、直前の直前まで予定が合わずタイムアウトで単独で出発する事になった。福島や盛岡で併結相手が見つからなかった「つばさ・こまち」のようだが。とりあえず、行先は決めてあった新潟方面へ。E129系の投入で風前の灯となった115系を追う事にした。

5月5日(こどもの日)という設定と連休という事で、イベント列車は豊富であるが、半分狙っていた、貨物は完全運休のようで、「貨物ちゃんねる」を見てみると見事に運休の文字。辛うじて、カマの回送染みたスジと、止められないのか、石油輸送系のみが動いているようである。こういう日は貨物ターミナルの前に、空コンテナが置いてあって貨物ターミナルそのものが休みのようで、仮に撮れたとしても極端に積載の悪い「フレームライナー」なのは目に見えている。

飯山線 森宮野原
α77+MINOLTA 80-200 F2.8 HIGHSPEED APO

朝の7時頃に長岡付近でコンテナ筋があるのは覚えていたのだが、今日の運転はなさそうだし、その前にちょっと寄り道をしてみたい所があったので、信州中野で高速を降りて、国道117号を千曲川~信濃川沿いに小千谷まで下る事にした。

この時期、夜明けとともに、山が赤く朝焼けで燃えてきて綺麗である。そういえば、飯山線と並行してるんだなと思いながら、飯山線の始発を何処かで撮れそうとも思ったが、先を急ぐ事情があるので、ひたすら走る。すると、途中、森宮野原駅手前をまたぎ越す所で、ホームが見えた。

「アレ?ここは雑誌で良くみる所じゃないかな」

と思い停車。駅の方を見てみるとキハ110が2両待機している。このシーンは季節によっては、味が出るのだろうが。今日は薄ら明け始めた新緑の山と山間の始発駅といった風情であった。キハ110はオリジナル色と往年の飯山線塗装のリバイバルカラーの2両であった。

今の尺度からみると、ブルーとホワイトのこのカラーをキハ52等がまとっていたのはJR化後から、1997年にキハ110に置き換えられるまでの10年少々のような気もするが、自分のテツの走りはじめの高校時代に青春18きっぷでドアが開動作のみ手動だったキハ52の旅を思い出させ、もう30年近い昔の話なんだと思うと、魘されるようなカラーリングも、どこか懐かしく感じられる。ちなみに、キハ110の飯山線色は正面窓が大窓だからか、どことなく往年のキハ52に似て違和感なく見えて不思議である。


さて、先を急いだのはこれが目的であった。私が度々訪れているJR東日本の信濃川発電所。発電所の水路は通常は地下に配管である事が多いのだが、ここは、ダム以外にも、開削水路を通ったり、水路橋で渡ったり、地下区間もトンネルだったりと、何回来ても面白い場所なのであるが、今回は朝の通勤ラッシュ時の山本調整池の減水を見ようと朝の8時がらみを目標にやってきた。

東京の電車のラッシュ時にまるで電車が水を飲むように減ってゆくのは、先人のサイトや動画などで観ていたが、是非一度はこの目でみておきたいと思い、通りかかる予定がある所で、どうせ貨物も運休だし観察してみる事にした。

観察の様子は動画にしたので見てもらいたい。



ちなみに、ここのJR東日本関連では、宮内取水ダム、浅河原調整地、山本調整池、山本第二調整池の4種のダムカードがあったのだが、配布できる場所が立ち入り禁止のため、以前まではダム下の国道117号沿いにある小千谷発電所の正門に掲げてある看板の電話番号に、平日の日中に電話して調整池の所まで持ってきてもらわなければならなかった。しかし、少し登った第二調整池に発電所のPR館「おぢや~る」ができたためここで休日も含めて9時より配布している。ちなみにこの「おぢや~る」人気のようで、連休中は混んでいるようで、駐車場整理の方がスタンバイしていた。せっかくだから、見てから行っても良かったのだが、今度は弥彦での撮影に響いてしまいそうなので、次回のお楽しみにして、9時の開館と同時にダムカードだけをいただいて出発した。

弥彦線 矢作-吉田
α77+24-70F2.8T*


さてと、信濃川発電所で9時過ぎまで時間を消費してしまったので三条燕まで走って弥彦へ向かう。大鳥居が入るポイントが午前順光なので、10時台の列車に間に合うように向かったはずが、国道289号が、分かってはいたもののやはり流れが悪くて、現着してロケハンしているタイミングで10:32着の弥彦お花見号がE129系の4両で行ってしまった。「弥彦お花見号」と名打っているが、列車そのものは普通の変哲のないE129系であった。ただ弥彦線ながら4両の固定編成が充当されていた。

列車間が空いたのでしばし越後線方面へロケハンなどして戻ってきて(実はこの間にE129系が回送で戻ってしまった、、、冷静に考えれば上下の本数が違うので分かるものを、、、)E127系でやってきた9230M弥彦桜絵巻2号と折り返しの267Mを撮る。折り返しが通常の列車番号な事から分かるように吉田-弥彦間が定期列車の延長運転である。

さてと、写真の方は鳥居が水鏡に映ったのは良かったが、もっと寄った方がよかったか。それから、車両の前の黄色い小型重機はともかく、、、鳥居に電柱が刺さってるんですが、、、。


越後線 南吉田-粟生津
α77+24-70F2.8T*

気を取り直して越後線のやや西側区間に行ってみる。先ほどの列車間を利用したロケハンでは弥彦山が綺麗に映っていたのだが、、、風が吹いて、、、微妙な画に。鉄塔を山体に紛れさせたまでは良かったのだけど。車両も小さいし。しかし、越後線列車は能面みたいなE129系化されているものだと思ったら、115系が来た。どうやら特に本数の少ない柏崎行きは新車の運用効率の都合からか、115系のようである。

しかし構図的にちょっと遠いかなぁ、、、。

ちなみに先ほどの大鳥居の見える矢作のポイントで会った同業者の方に12時半ごろに村上から吉田に着く運用が青+初期新潟色(リバイバル)の115系で来ているとの噂を聞いたのだが、吉田側は通常の青編成らしいし、キープしておいた、ここのポイントの風や光線も残り時間が微妙だったのでこちらに来てみたのだが。微妙な結果となった。

いやいや、先ほどのE129系が戻ってしまった事や115系の運用情報など、夏男君と一緒だと、相方が、運用や撮影地の目星をつけてくれるのだが、こう流動的なダイヤ編成の初めての撮影地で、しかも運用や天候に恵まれると焦ってしまう。

越後線 北吉田-岩室
α77+24-70F2.8T*

さてと、だいぶ時間が空いて155M。実はこの間に能面E129系に気をとられて、1編成だけ残った115系緑色キムワイプ色を取り逃がすというポカを。そして、修学旅行色のような初期新潟色リバイバル編成を頭にやってきた155M。ギリギリ光線が顔に回るようなロケかと思ったら僅かに回らずに完全に横向き光線であった。しかもやはり水面はさざ波が立っている。水田は植えた翌日のようで、風さえなければ、鏡に映る絶好の条件だったのに残念である。ちなみに新潟の平野部は、ゴールデンウィークが田植えのようで、まさに最盛期であった。

越後線 南吉田-粟生津
α77+MINOLTA 80-200 F2.8 HIGHSPEED APO

取り逃がした魚は何としてでも負う。修学旅行色wを撮った場所に居た学生さんと思しき、同業者の方にキムワイプが柏崎行きになって向かうべく吉田に留置されているという事で、時間も40分ほどあるので、西へ向かって走る。越後線の柏崎方面は光線がキツいが、サンサーベイ(太陽光予測アプリ)で昼頃に弥彦山をバックに撮った場所付近で顔面に顔が当たるポイントを見つけた。

そして、今回はなんとかなるんじゃないべかと思いつつ。だいぶ余裕をもって着席したはいいが列車が来てみて。

「ありゃ、、、幌の影が出た」、、、、。



越後線 粟生津-南吉田
α77+MINOLTA 80-200 F2.8 HIGSPEED APO

それでも転んでもただでは起きない。半逆光は望遠圧縮の迫力で誤魔化すのじゃぁ!
逆向きに撮れる場所を見つけて、間もなく折り返してきた青い115系の157Mを撮る。背後に薄っすらと雪を被った山も見えるよ。

ありゃ、、、、草が。

これ、、、言い訳にはならないのであるが、現行α7もそうだと思うがα77のEVFの弱点が出てしまった。後ろから強い光線が来る、非常に天気の良い日は電子ファインダーは非常に見ずらい。コンデジとかスマホが強い光線下で見にくいどころかほどんど見えないのと同様に、ファインダーの隙間から入り込む光線で特に眼鏡の小生では、ファインダー内がテカってしまって、本当に見ずらい。だからって、電柱を鳥居に刺したり、草に気づかないってのは確認不足もいい所だが、、、、それだけ見ずらいのであった。



ここでタイムアップ。このまま長野に戻っても良いのだが、せっかくGWだし、宿をとってゆっくりする事にした。何度もブログに登場する弥彦であるが、いつも日が暮れてから、恨めしい目で宿を見ながら眠い目をこすりながら高速道路を走っていたが、今回はユックリ過ごす事にする。直前ながら、部屋はあったものの食事がないプランだったので、吉田のラーメン屋でラーメンを食べる。本当は三条ラーメンとも思ったのだが、吉田から、意外と三条は遠く、また道も流れてなさそうなので、吉田で名物の魂(SOUL)さんの「あえ麺」をいただく。


宿は、「みのや」さん。先月の湯田中と打って変わって全く逆パターンで、宿は良いが飯が無い状態だった。まぁ、地元の旨いB級グルメを食べて疲れて投宿するならこれも悪くないかなと。ロケ的にも神社の前。まさしく夜に神社に詣でて恨めしく見上げていた宿であった。泊まってみると何の事はないのだが、日帰り圏内でもゆっくりと投宿するのもいいものである。ちなみに和風旅館であるが、一人旅旅行者向けに洋室シングルがあるっていうのは、和風旅館としてのイメージはスポイルされるが、外国人旅行客や我々のような一人旅好きには、値段のリーズナブルさもあって有難い。




さてと、明けた5月6日は生憎の雨。しかも時折強く打つ、悪いコンディション。昼までに長野に戻る予定なので、あまりユックリもしていられないが、弥彦神社の前という絶好のロケーションの宿だったので、早朝にお参りして、朝食を食べてから出発してもまだ8時であった。どこかで1本、撮るか観光地に寄るか、1時間ほどの余裕があったので、どうしようかとも思ったのであるが、雨を逆手にとって柏崎行きの134Mを狙ってみた。

越後線 出雲崎-小木ノ城
α77+MINOLTA 80-200 F2.8 HIGSPEED APO

海が見たかったのでシーサイドラインを一旦走り、妙法寺のあたりで国道116号との距離が縮まるので、国道へ、小城之城の手前あたりで、山間をゆくよさげなポイントを発見した。下は水田なのであるが、今日植えるのか、田植え直前で水を抜いた状態だったので、雨天の山間部を行く感じに狙ってみた。もう115系は最後なので、ドアップで正面ブチ抜き構図で撮ってみる。雨も微妙な感じでやんでくれた。ヘッドライトがボォ~~っと光った。

う~~ん今回の撮影の中では一番良かったかな。

夏男君談

「ピントがベンチレーターに合ってますよね?」

余計な事を言うなw

当たりカットではパンタの位置が悪いの!レンズがボロいから緑のフレアも出てるし、、。

あぁ~~~一人での遠征に課題を沢山残した旅でした。ただ、昨年からずっと雨に泣かされていたので、天気が良かったのは救いかな。ただ今回は腕に泣かされましたが。写真対戦は第1回が一番良かった件、、、、。




さてと、、、おまけ、越後線も弥彦線も簡易電化なんですね。吊架線がありません。緑の鉄骨架線柱とも相まって特徴的です。





2017年4月20日木曜日

桜咲く善光寺平

前回、雨とドン曇りで不完全燃焼に終わった長野電鉄への旅であるが、転んでもタダで起きぬわけにはいかない。信濃竹原の鉄橋で撮影した際に木々に提灯が下がっているのに気づき、桜並木だという事が分かったのであるが、その日は、雨な上に、桜もまだかと落胆したのだが、それから一週間、休日の日が雲が多いながらもなんとか晴れ間が覗いてくれた。計算では、桜がほぼ満開に近くなっているはずであったが、今回は車で現地に乗り込んでみて、果たして。桜はちょうど満開になりかけであった。

いざ桜並木を見てみると、数種類の桜が混じっているのか、撮影の時手前に入る方の桜が寂しく、想像していた構図とだいぶ違っていたが、川向うと、駅側と、撮影できるバリエーションが非常に多く、午前中だけの予定だったので、アッという間に時間を消費してしまった。午後からはドン曇りのようだし、今回は腰を据えて、バリエーションを変えて、ここで撮ってみる事にした。



撮影順序的には一番最後であったが、今日一番の当たりカットだったので扉に持ってきた。信濃竹原の駅から鉄橋の方へ向かって歩いて行く道沿いから。桜が咲いていない時期は殺風景な下り坂であるが、桜が咲いてると一変、山並みをバックに湯田中から元小田急ロマンスカーHiSE車の、1000系特急「ゆけむり」が坂を下ってきた。午前11頃を境に湯田中から長野方面へ向かってくる列車が順光側となる。


長野電鉄 夜間瀬-信濃竹原
α77+MINOLTA 80-200F2.8 HIGHSPEED APO



続いてこれが最初に撮ったカットなので順光側が入れ替わって、鉄橋の湯田中側からのショット。午前の早い時間は湯田中方面へ向かう列車が順光となる。湯田中へ乗り入れる最初の特急が元JR253系成田エクスプレスの2100系特急「スノーモンキー」編成でやって来た。午後から曇り予報が出ていて背景の山が見え隠れしていたが、逆に主張しすぎずに手前の桜と列車が主張されて、春霞っぽい感じが出た。



長野電鉄 信濃竹原-夜間瀬
α77+MINOLTA 80-200F2.8 HIGHSPEED APO

桜並木と3500系。このカットでは、もう少し山塊がハッキリとして欲しかったが、これでも、時折スッポリと雲に隠れるコンディション下ではラッキーだった。3500系は元営団地下鉄日比谷線の3000系の車両で、車両性能の関係から、信州中野-湯田中の山岳区間で運転される。



長野電鉄 信濃竹原-夜間瀬
α77+MINOLTA 80-200F2.8 HIGHSPEED APO

土手上から真横を狙ってみる。築堤に盛土がしてあるのが、少々難点なのであるが、車体に桜並木が透過して人影が透けて見える。窓にスモークの入っていない3500系の方がシルエットが出やすいが、ピントを外してしまった。


長野電鉄 信濃竹原-夜間瀬
α77+SONY 24-70F2.8T*

一通り撮影して、午後からは本当に厚い雲が垂れ込めて来たので、早々に引き上げた。今年の長野市界隈の桜は、撮影した2017年の4月20日は信州中野界隈が満開で見ごろ、須坂まで下って、旧屋代線沿いに松代城跡まで行くと散り始めといった感じであった。





2017年4月12日水曜日

長野電鉄でゆく、湯田中温泉、鉄道撮影旅行の旅


「地方私鉄は乗って育てましょう」と言われても、不便だったり、乗っていては撮影が難しかったりするものであるが、今回は乗り鉄をしながら撮影旅行へ行ってみる事にした。しかも、たまには宿泊付きで、湯田中温泉へ。

旅立ちは長野駅から。15:37発のA特急「ゆけむり」に乗る。北陸新幹線長野開業時に寺院風の駅舎が取り壊された事が、風情が無くなったとなげかれていた善光寺口であるが、北陸新幹線開業で、木柱風のデザインの庇が完成して、金沢駅前とも似た現代美術的なトラディショナルなイメージ(何だそれ)な感じに、再び面目を一新した。「ゆけむり」は元小田急ロマンスカーHiSE車を使用した1000系特急列車で特急料金100円がかかる以外は展望席も含めて自由席。ちなみに元JR253系成田エクスプレスを使用した車両は2100系「スノーモンキー」と呼ばれており、こちらには元グリーン個室が残されており、予約制の個室として「Spa猿〜ん」の愛称で1室1000円(特急料金別途)で利用できる。


今回は「ながでん・バス2DAYフリーきっぷ」で出かけてみる。これは長野電鉄の鉄道線の特急を含めた全線と長電の長野エリアのローカルバスに乗車できる。3200円と往復の料金より高いが、撮影しながら乗り降りをすると料金がかかるのと、帰りは屋代線の代行バスに乗って帰ろうと思っていたので、フリーきっぷにしてみた。ちなみに鉄道線のみ2日間乗り放題の「長電フリー乗車券」は往復運賃で元が取れる2320円で特急料金は別途である。


40分ほどの乗車で湯田中駅へ。せっかく湯田中へ出てきたのに生憎の雨模様。反対側には古い駅舎が残されているが、こちらの現役の駅舎も昭和の高原ブームの頃の雰囲気をよく残している。列車が到着すると往年の名歌「美わしの志賀高原」が流されていた。この歌、かれこれ30年前(年齢がバレる)小学校の林間学校で志賀高原に行ったときに、バスの中で添乗員のおじさんwが歌っていたのを思い出すが。いやはや、なんとも、更に昔の1960年代の志賀高原のブームの時代を思い出す。


外国人観光客が多いからか、湯田中温泉の価格設定は平日にも関わらず高めだった。「じゃらん」で、平日直前プランなるもののがあったので、申し込んでみたら、値段の割に部屋がクラシックなので「むむぅ」となったが、食事は今度は値段に対して良い物が出てきた。エコプランみたいで、布団の上げ下げは「セルフ」。このタイプは初めてだ。泊まっている人もやはり外国人、それもアジア系ではなく西洋系の人ばかりである。一人旅向けプランって言うが、隣室に泊まっていたのは、ヨーロッパ系と思われる年配のご婦人の一人旅だった。


翌日は撮影をしながら移動してみる事にする。2日間有効の特急とバスが使えるフリーきっぷで来てみたが、10時になるまで、湯田中に乗り入れてくる特急が無い。宿でゆっくりしてから長野へ戻るパターンならそれでも良いのかもしれないが、朝食後早々に長野へ向かって善光寺等へ行こうとすると特急が無いので、各駅停車となる。そのかわり早朝時間帯の列車は長野へ直通する列車が多いようで、この列車は、信州中野で特急に接続した上に、時刻表上は運用が分かれているが、列車そのものは15分ほど停車した後、長野まで直通する。車内はほとんどが外国人といった様相である。

さてしばし停車した後、列車番号を変更して列車は長野へ向けて出発したが、信州中野の先、桜沢で降りてみた。まだ雪渓をいだいた、山塊をバックにした写真を撮ろうと思ったのであるが、昨日の雨に比べればまだ良いが太陽は出たり入ったりで、光線状態は良くない。列車を降りてまずは手近な踏切で。折り返し湯田中始発となる特急が「スノーモンキー」でやって来た。

長野電鉄 都住-桜沢
α77+SONY 24-70F2.8T*

続いて普通列車。元、東急田園都市線8500系車両を使った8500系電車がやって来た。長野-信州中野間では8500系3両編成がメインである。この車両は勾配抑速ブレーキがついていない関係で湯田中には乗り入れない。この区間ではそこそこの本数があったので、この場所で何カットか撮ってみたのだが、車体に帯が入っていない関係のステンレスの光り方加減もあったのだろうか、こちらの側からは半逆光のはずなのであるが、このポイントではこちら側の方が色乗りが良かった。

長野電鉄 都住-桜沢
α77+SONY 24-70F2.8T*

フリーきっぷの利を生かして、信濃竹原まで取って返す。ここは鉄橋を渡ってくる列車が撮れる有名なポイントであるが、ここに来る頃には、空模様が怪しくなってきて、ぶ厚い雲が配給されてきて太陽が陰ってきてしまった。この時間に戻ってきたのは11時を過ぎると湯田中から鉄橋を渡って来る列車が順光となるのであるが。まずは元営団日比谷線3000系を使用した3500系列車を撮影。長野オリンピックに向けた主力車として導入されたが、8500系の投入や屋代線の廃止で勢力を減らし、信州中野-湯田中間の山岳区間における折り返し運用をメインとしている。

長野電鉄 夜間瀬-信濃竹原
α77+SONY 24-70F2.8T*

湯田中から戻って来る特急を撮って帰ろうかと思ったが、特急が来る時間には、いよいよ雲が怪しくなってきて、4月だと言うのに、みぞれが舞いそうな空気になって来た。交換駅が近いので、非常にゆっくりとした速度で「スノーモンキー」がやって来た。背景の山が雲にかくれかかっているのもさることながら、光線の弱さに、春というか冬のような寒々とした画となった。

長野電鉄 夜間瀬-信濃竹原
α77+SONY 24-70F2.8T*


あまりにも寒いので、引き上げて須坂へと足を進める事にした。須坂からは2013年に廃止になった屋代線の代行バスで屋代へ出て戻る。須坂では30分ほどあったのであるが、蔵の街並みまでは歩くと結構ありそうなので、30分のインターバルでは中途半端。何か飲食店はないかと駅前のデパート風のビルを覗いて見ると、何と白看板になっていて、建物の上部分は閉鎖。隣に「イオン」があったが、イオンならちゃんとしたフードコートくらいあるだろうと思ったが、ここも心躍るような店がなく。いやはや、長野電鉄の車両基地のある駅だし、何しろ長野市の隣の都市であるのにこの寂しさは何だろう。ウロウロしているうちに昼飯を食べ損ねたまま、屋代線代行バスがやって来た。



長野電鉄屋代線は長野電鉄の車両基地のある須坂から、しなの鉄道(旧信越本線)の屋代までを結んでいた線で、かつては河東線というのが正式名称であった。廃止には紆余曲折があって、LRT化などの議論もされたようであるが、結局廃止されて長電バスによる運行となった。長電バスによる運行であるので、フリーきっぷにて乗車ができる。


代行バスは上信越道と旧屋代線に沿いながら国道403号をゆく。廃止から4年ほどであるが、線路敷は急速に整備が進み、早くもサイクリングロードなどに生まれ変わっていたり駅跡では再開発が行われていたりする。旧駅舎が残っている場所も多く、バスも国道から一旦、逸れて駅跡に停車する。それが、所要時間を引き延ばしているようでもあり、また道も狭小であり、須坂から屋代までは途中、旧松代駅で乗り継いで、1時間半程かかる。

ちょうど高校の下校時間と重なったためか、松代からの区間では、バスにしては乗車率の高い、立ち客で満員となった状態で、しなの鉄道の屋代駅に到着した。

去年からの雨男傾向からまだ脱してないようで、今回も初日は見事に冷たい雨。撮影に回った翌日も、雨天の中の最悪な状況は避けられたものの、撮影成果的には、はかばかしくないものとなった。長い信濃の冬は終わりつつあって、木々の蕾は膨らんで来ているようであるが、開花はもう少し先のようであった。




2017年3月28日火曜日

なごり雪

なごり雪という言葉は日本気象協会選定の「季節のことば36選」に入っているが、本来「あの曲」の発表の時にはそのような言葉はなく、実は曲名をつけるにあたって紆余曲折があったようで、季節のことば36選に選ばれたとき、伊勢正三の感慨は大変深かったようである。

さて。

長野の雪は4月のドカ雪で終わるというが、彼岸後の大雪が降った。どうも新潟方面よりも長野の山間部の方が降ったようで、彼岸前の暖かさですっかり茶色くなっていた、山の上がフレークをまぶしたように再び白くなった。

実は以前から狙っていた上田電鉄のポイントがあったのだが、なかなか背後の雪が白くなったタイミングで晴れる日が無く、ラストチャンスと思って、行ってみた。ポイントは三好町からその名も赤「坂上」の区間で、市街地でググッと勾配を登る箇所。

う~~ん。しかし、市街地をバックに坂を上ってきて、背後が山という箇所がったのだが、市街地ゆえに、建物の処理が難しい。加えて背後の山も山頂付近は曇って(多分降雪)いるような景色でスカッと晴れてくれない。背後からの光線も、雲間に隠れたり、急に強い光線が出たりとと不安定。

なんとかねじ込んで、縦横2カット撮ってみたが。本来は赤坂上付近の県道踏切が望遠圧縮すると迫力あるのだが、ここは架線柱が門型とうまくいかず。通わないと駄目だなぁ。

冬期間は長野の冬を甘くみていて、だいぶ寒さにやられていて、外出の足も重い日が続いていた。しかし、雪こそまだ降るものの彼岸を過ぎて急激に暖かくなってきた。ネタはいくつか持っているので、撮影のペースも徐々に上がりそうである。


上田電鉄 三好町-赤坂上
α77+MINOLTA HISPEED APO 80-200F2.8 




上田電鉄 三好町-赤坂上
α77+MINOLTA HISPEED APO 80-200F2.8 






2016年12月27日火曜日

群馬富岡世界遺産の旅(1)

年の瀬も押し迫り、まとまって休みとなったので、2ndの冬休みがてら、富岡製糸場世界遺産の旅~みたいな旅に出てみた。居住地の周囲に沢山、観光地があるだろうヨという事もあるが、どうも近くの観光地は秩父化wしてしまうようで。ぐんまワンデー世界遺産パスが発売されているようなので、上州路へと旅立ってみた。実は、まだ上信電鉄の全線走破をしてなかった事を思い出したという邪な想いもああったのだが。




高崎駅に降り立つと生憎の雨。今年は、本当に、撮影に行っても、旅行に行っても雨である。会津でも雪の筈が雨だったのは泣きそうになった。今年撮った旅行写真を見るとほとんど雨である。しかも強い。もはや諦めの境地。

さて、高崎から上信電鉄に乗って富岡へ向かう。上信電鉄の発着する駅本屋側ホームの外れの0番線に向かうと、鉄道むすめの「富岡しるく」が迎えてくれた。一般的には、鉄道乗車券と富岡製糸場のセット券が安いが、ワンデーパスを持っているのと、一度、乗りつぶしで下仁田へ向かうので、入場券は現地入手となった。



さて改札に入ってみると、

あれ?女性職員が持っているこれ?
懐かしいなぁ、、、
でもこれが使われているって事はもしや?


さて、乗ったのは上信150型。上信電鉄の車両は元、西武の車両が多いが、これは、西武の101系だった車両。国鉄型の101、103系と同世代のカルダン駆動通勤車である。地方私鉄にもインバーター車が入るようになった昨今。一むかし前の私鉄電車独特のサウンドを響かせながら走ってゆく。少し前まで、地方私鉄には多く残っていた、釣掛駆動車は絶滅種に近くなり、カルダン駆動の直流モーター車ですら懐かしいと言われかねない、雰囲気となったことに時代の移ろいを感じる。



沿線には、敢えて保存しているような、レトロな駅が多く過ぎてゆく。
通常はワンマンであるが、ラッシュ時間帯は改札員が居るようである。



一旦、上州富岡を過ぎて下仁田へと雨の中、坂を上ってゆく。
南蛇井は珍読駅名。







終点の下仁田駅。
レトロとボロの境目は何だろうか、、、
こういう昭和末期的な駅も少なくなってきた。


高崎駅で見た使用感のあるパンチの予感は的中した。
硬券が観光用の記念切符としてだけでなく、現役で使用されている。


下仁田から乗った列車で折り返す。
赤津信号場で日野自動車ラッピング仕様の自社オリジナル車両6000系とすれ違う。


群馬のJRと私鉄5社のコラボきっぷ、「ぐんまワンデー世界遺産パス」(大人2100円。子供1050円)2000円ほどで、群馬と、一部その周辺の私鉄の路線に乗れる、おトクなきっぷだが、不定期発売で、ここ数年は7~12月の下半期に発売されているようであるが、売られているかどうかはWebなどで確認が必要である。


一度通り過ぎた富岡駅へ戻ってくる。
富岡駅は実にモーダンwな姿に建て替えられていた



群馬富岡世界遺産の旅(2)


さて、雨の中、富岡製糸場へやってきた。世界遺産、富岡製糸場へは上州富岡駅から徒歩15分ほど。街中にあるので、自動車で来ると市街地に散在する駐車場を探したり、駅向こうの駐車場に停めざるを得ないのであるが、それを逆手に取って、敢えて商店街を歩いてもらう事で町おこしをする試みをしているようである。

実は以前、来た事があるのであるが、入場料を敢えて2倍とする事で大整備を行っているということである。現在の入場料は1000円。学生や児童の入場料は250円、100円と安く抑えられている。

現在、西置繭場は全面修繕に入ってるようであるし、館内の案内の雰囲気モーダンな感じになっている。蒸気機関のレプリカも登場した。

しかし、今回「モーダン、モーダン」とウルサイなぁ、、、、ここができたのは、大正ロマンのさらに前の前、明治一桁の時代の出来事であるというから驚きである。ちなみに、工場の動力として、当時最新鋭の蒸気機関が導入されたが、電気というものはまだ、日本には無かったという事実で、時代が分かるだろうか。




ガイドが始まるまで、スタンプラリーをしてみる。
木造煉瓦造り。
時代を感じさせる建物である。



時間になったのでボランティアガイドの説明(要、別途ガイドツアー料200円)を受けながら進む。これは、煉瓦の積み方について説明している所。積み方ひとつとっても奥が深い。明治一桁の時代であるから、重機もない時代、山から木や石を切り出し運び、煉瓦を焼くのも大変だったようである。この煉瓦を焼いたのが、渋沢栄一の地元、深谷の瓦職人で、後の東京駅の赤煉瓦駅舎へとつながってゆく。


ガイドは無線式になっていて、配布される機器を通して聴く事ができる。



ここは片倉工業の製糸場として、1987年まで、実際に現役で使われていた。もちろん機械は、戦後のものであるが、操業終了当時の姿を残したまま保存されている。ちなみに、地元の人はここの事を「カタクラ」と呼ぶ人も多い。




電車の中から見てアレ?と思っていたのであるが。
不思議な電動バス
あえてゆっくり走る事で街を観光するというのが趣旨のようである。






さて、高崎に戻って、まだ時間があったので、今回は上越線の渋川の先の敷島まで行って温泉に入る事にした。高崎駅に着くと、雰囲気が一変していた。高崎線から退いてからしばらく休車状態だった211系が3両、4両の短編成になって続々と復帰してきており、高崎発着各線の115系と107系を置き換えていて、時間になると、信越線、上越線、両毛線、吾妻線から、211系が大挙として集まって来る。ほぼ毎時運転されている線区なので、本当にあわただしく短編成の211系がやって来る。最近まで、これが115系や107系だったのであるが、こうも一気に211系になると、不思議な感じである。



果たして、敷島へ向かうために乗った水上行きは希少な115系の6両編成であった。


つい最近まで、味のある木造駅舎が、国道17号から見えていた敷島駅であるが、モーダンwな建物となっていた。駅舎前の赤いポストは変わらず置いてある。新潟方面は下道で向かうときに、車を寄せて投函できると、重宝したポストだが、健在。


ユートピア赤城にある、敷島温泉「ふれあいの家」は敷島駅から徒歩5分ほど。段丘崖を一段降りた所にある。複合施設内にあるが、プールなどがあるクアハウスと市民向け温泉がある。クアハウス500円。銭湯的な、ふれあいの家の温泉は300円(一般)である。
意外と駅から近い。渋川市は、大合併で、周辺の多くの市町村を合併しており、温泉豊富な土地柄、合併したそれぞれの市町村が、温泉施設を持っていたので、300円ほどで入れる安い温泉が各所にある。ちなみに、ここは元々、赤城村だったようである。


旅行に出かけても、撮影に出かけても雨、しかも強い雨が降る1年であったが。
最後の最後で素晴らしい晴天が迎えてくれた。

来年は良い年でありますように。
(シマッタ。自分の影が落ちてるよw)