2013年7月10日水曜日

文系少年と父親の像


夏男殿の母上から、大切にしていた本を譲っていただいた。新選日本児童文学。赤い鳥代表作集。、、、、おまけが色々ついてるなぁ。ありがとうございます。

昨日村長殿と写真を撮っていて思った。蓮畑の中で右に左にアングルを考えている。前述のように鉄道写真を教えてもらったのは村長殿なのだが、こう、現代写真的な撮り方は、あまりしていなかったような。本人も談じていたが、最近の氏の傾向のようで、鉄道誌でなく、写真誌向けの構図を狙ってるとの事である。Picasaで写真集を見せてもらったが、流石。流麗な紫陽花とコンテナーとか上手い。

プロとアマチュアの決定的な差というものがあるのであるが、プロは何時いかなる時でも、自分の味を出さなければならない。そこの所、小生は今、心が荒れているので、イマイチ、キマり手に欠いている。200ミリを生かして正面から迫力を得る手法はここの所の常用の画角なのであるが、昨日は、田園と青い空、そして209系の画がイチばんキマった画になった。ジリジリとした夏の暑さが伝わってくる。


2004年のフラグがついている写真だ。夏だろうか、こうやって街を歩いていて、ダァァッ!と一発コンデジで決めた無欲の勝利の瞬間。狙った感じのない、粗雑感がいい。


一転、冬。函館近郊。列車はいない。凍てつく静けさ。細い轍。ピリピリとした雰囲気が伝わってくる。


これは2005年7月のフラグがついている。結婚前のこの頃は函館に魅了されて毎年のように通っていた。何を撮る訳でもないのだが、雑踏の賑やかさから離れると、こう切ない感じがたまらない。


小生、特別な文学少年だった訳でもなく、写真に明け暮れた青春を送った訳でもなかった。ただ国語、それも現代文の偏差値だけが異様に高い数値を示していた。まぁ、国語的に高い部分で並の日本史をカバーし、駄目な英語を相殺して大学に入ったようなものだった。大人の趣味として深く入り込んでる訳でもない。非常~~~~に浅く。裾野が広い。それが持ち味なのだと最近思うようになった。

子供が小学校に入れば、色々と習い事をはじめたり、「心の基礎」が築かれる時期である。習い事はカミさんが決めるとして、父親として「男の趣味」の魅力をどう伝えるかと考え出しているのであるが、難しい。やりたいと思った事をやってくれればそれで、いいと思っているのであるが、世間の一般的な父親のように運動が専門でないというか「歩く」以外に運動で常人を超越できる分野がないので、その辺は可愛そうなのであるが。

幼少期に見た父親の背中に今何を感じるかと言えば、相当なメカマニアだったと思えば、書棚には硬~~い本が並び、4tトラックを操っていた。寝どころには違法だか合法だか分からない、CB無線が置いてあった。やはり、広く、浅~~~くの人だったのだと思う。運動を教わった思い出はない。軽トラに、乗用車に、トラックに、助手席に乗せてもらった思い出ばかりだ。

今年は、小生と同じ歳までしか生きなかった父親を色々な面で超えたと思った瞬間があった。機械式から、デジタルまでカメラを操り、真空管からDSPの新鋭機まで、2級相当の無線機を操り、4tを超え、10t大型を操り、北海道へ渡った。だから何だって事はない。ものの大小で比較する事ではないが、確実に36年を超え始めているのであろう。

書棚に並んだ司馬遼太郎とかの硬~~~い本に父親が何を求め感じていたかは遠い昔に存命でないので、不明である。しかし、小生、どちらかというと子供向けのクラシカルな絵本だとか、文学作品に傾向があるっていうのはウスウス感じていたからである。作品の中からコーーン、コーーンと湧き出てくる、情景が街に、野山に、映った時、シャッターチャンスが訪れる。

















2 件のコメント:

  1. 前に彩華にも絵本送ってくれたよな~。今でもあるわ~(笑)
    しかし暑い1日でした。まずは生きていることに感謝…。

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  2. 母の実家の本棚で35~6年保管されていた本達です。
    外側は日に焼けて綺麗とは言い難いですが、
    書き込みもなく中身は汚くはないと思います。
    読んでもらえると本も母も喜ぶと思います。
    ありがとうございます。

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