2015年7月18日土曜日

岩日北線(2) 現地の状況1


リメイク_リバイバル_アーカイブス
この記事は1997年2月に取材されたものです

幻の鉄道建設公団AB線
岩日北線


(2)現地の状況その1




では錦町から六日市まで計画線ぞいにたどってみる事にしよう。まず錦町駅から。錦町は前述のとおり、第3セクターの錦川鉄道錦川清流線である。この清流線のホーム端の車止めから見えるトンネルが未開業区間の始点の広瀬トンネルである。全長は1.7Kmあり、宇佐川沿いに迂回する国道187号に対してトンネルで一気に反対側の出市へと抜けている。何の事は無いトンネルだが良く見ると、信号ケーブルのようなものが通っている。「こんな開業準備工事が!」と一瞬思ったが、後で出市側から見ると近くに変圧トランスのようなボックスがありケーブルは近くの電柱へとつながっている。なるほど山間に電柱を立てるより安上がりだ。(しかしすさまじくデカい共同溝だ。)

錦町は第3セクター転換された錦川鉄道の終点である。

車止めの先に早速、未成トンネルが見える。

広瀬トンネルは電線の通り道として利用されていた。


出市に出た岩日北線は大野川沿いに最短距離で六日市側へ抜ける国道187号に対して国道434号とともに宇佐川沿いを上って須川地区から全長4.6Kmの六日市トンネルで六日市へ抜けている。錦町の宇佐川沿いの地区がルート選定の際に要請したのか、それとも勾配の関係からか、若干、遠回りをしている。

国道187号を錦町側から走って来ると国道434号との分かれ目付近で突如として山間から高架橋が出てくる。ここが出市駅の予定地付近である。近くの道を上って行くと、ホームの土台部分が完成している出市駅を見る事ができる。公団の工事はここまでで、以後のホーム上構造物、取り付け部の階段、駅舎などは事業者か地元の負担となる。したがって、築堤上にある他の周防深川、下須川、高根口の3駅はホーム土台等の「ここが駅」と特定できる構造物は無い。あいにくの曇り空だったが、山と山を高架とトンネルで次々に貫いている路盤を見ていると自転車でカッ飛ばしたくなってしまう。一見頑丈そうに見える橋も、良く見ると竣功以来、長い間管理者がいないまま放置されていたからか、欄干が至る所で朽ちて外れているなど、危険な個所が見受けられたので、よりかかたりして万一、落ちてしまったりしたら、公団も清算事業団も補償をしてくれないのでご注意願いたい。

出市駅付近の高架橋。

高架駅はホームの構体もセットで作られている
AB線独特の高い高架位置にある駅である。


さて宇佐川沿いにもう少し上ってみる事にしよう。深竜寺トンネルを抜けたあたりに周防深川駅があるはずだが、どうも辺りからは確認出来なかった。もしかしたら写真の位置ではないかもしれないがいちおうこの付近という事にしておく。ここで面白いのは、路盤が斜面沿いを通っているため、元からあった道が路盤をオーバークロスするように作られている。この道路部分も公団の建設のようだった。ちなみに写真の左にはお寺があるのだが、工事の際、一部を切り取られたのか、この寺のコンクリート壁に完成年を示す公団の刻印を見つけた。先の道路のように建設にあたって影響を受けるインフラも公団が作っているようだが、お寺の土台とは恐れ入った。

ところで、この周防深川駅予定地付近には雙津峡温泉があり、そちらへ向かう観光客も多いことから錦町としても何とかこの路盤を生かせないかと考えているようである。錦町駅前から途切れる事無く続いている路盤を見るとバスを走らせても良さそうな気がするのだが、ここまでの道路がキチンと整備されている現状を考えるとなにもこの路盤を改修させてまで走らせるメリットは無いように思える。むしろ遊歩道的な物の方が良いのか。しかし遊歩道やサイクリングロードとして整備するにも、高架部分は腐った手すりを交換しなければだし、長いトンネルは照明が必要だろう。金をかけて整備しても利用にあたって料金を取る訳にはいかないし、第一温泉に行くような客がここまで徒歩や自転車でくるのか。難しい。

周防深川駅付近の道路のオーバークロス橋

譲渡へ向けての調査か
国鉄清算事業団と思われる姿が見えた




岩日北線(3) 現地の状況2 まとめ


リメイク_リバイバル_アーカイブス
この記事は1997年2月に取材されたものです


幻の鉄道建設公団AB線
岩日北線
説明を追加

(3)現地の概要その2



さて須川地区へ向けて先にすすんでみよう。周防深川駅付近で国道434号は路盤をアンダークロスする。出市駅付近もそうだったが道路上には立派な高架橋で越える路盤が見える。一見立派で、何事にもびくともしないように見えるが、20年間管理者がいないまま放置されてきたわけであり、阪神大震災の時の山陽新幹線の高架橋がそうだったように、絶対に崩れないとは言えない。そのような危険性を考慮してか九州の呼子線など一部の未開業路線では道路との交差部分を撤去している所もある。錦町もこの路盤の有効的な活用法が無い場合は清算事業団と協議してこれらの路盤を撤去する事も考えているとの事で、まず撤去されるとしたらこういった道路との交点がまっ先に取り壊されるのだろう。

道路との交点
このような箇所は管理者不在で長期放置すると
危険なので取壊対象となるようである

山間を連続トンネルで抜いてゆく


国道434号は先ほどの雙津峡温泉を抜けると、センターラインの無い狭い道になる。狭くなる分岐点ではトンネル工事と拡幅工事が行われており、道路の方の整備は着々と進んでいるようである。そちらはまだ未完成なのでそのうち旧道と呼ばれる事になるだろう細い道を宇佐川に沿って分け入って行く。路盤も川沿いを大小のトンネルを連ねて真っ直ぐに走っている。やはりこの辺も公団建設線独特の高規格さを見せている。須川地区に入ると道は拡幅工事が完成しており、2車線で進む。下須川、高根口と駅予定地を過ぎ、11Km地点付近で路盤は宇佐川を渡って反対側の山に正面から突っ込んで姿を消している。これがこの区間最長の六日市トンネルで(全長4.6Km)山一つ越えた六日市まで一気に抜けている。

六日市トンネルの錦町側坑口とアプローチの路盤

六日市トンネルの名盤


道路の方はこの位置から六日市へ抜けるのが非常にやっかいで、センターライン無し、すれ違いもままならないような県道で抜けられるのみである。一応舗装はされているもののかなりの旧曲線と勾配が続く。片勾配なのかグイグイ上って来た割には頂上で平地になってしまい、あとは六日市までゆるやかに下って行く。鉄道トンネルのほうも地図で確認する限り、六日市へ向けてゆるやかな片勾配のようである。



さて、六日市トンネルの出口付近で路盤と再会する。トンネルをでたところで、中国自動車道と交差しているのだが、中国自動車道の橋脚は路盤をまたぎ越せる準備工事が施されており、築堤がくぐりぬけている。中国自動車道をくぐったところから先の路盤は無残にも取り壊され、整地されている。このあたり六日市の市街地ともいえそうなところで、六日市町が競売にかけ、一部は共同住宅としてすでに完成していた。錦川鉄道の延伸が断念されたこともあってか、六日市側では、この路盤をとっておいても仕方ないと判断したのだろう。しかし、鉄道が通るとの事で土地を提供した元の地主は一体どんな気持ちでこの現状を見ているのだろう。

もとの路盤も六日市インターの近くで終わっており、中心街とは離れているが、きっとこの辺に六日市駅が出来る予定だったのだろう。

中国自動車道との交点
築堤が残っている

無残に崩された築堤
六日市の市街地では築堤の撤去が進む

造成が終了し住宅が建ち始めた箇所


(4)これからの有効活用の可能性

路盤の現状は以上のとおりだが、今後の展開はどうなるのだろうか。先にも述べた通り、この路盤の処理は錦川鉄道が延長を断念した今、地元である錦町と六日市町に一任されている訳である。六日市町の方はすでに交通機関としての利用をあきらめ、用地を売却し、一部の路盤を取り壊している。今後も何らかの動きが見られそうなのは錦町側である。
錦町の企画情報課の話によると、町としての意見は何とか公共交通機関として残せないかと考えているとの事。しかし、町だけではなかなか名案が浮かばないため、1995年(平7)から1996年(平8)年にかけて地元TYSテレビ山口による地元への放送やTBSによる全国放送等で何とかこの設備を生かせないかとの意見を募集したところ、トロッコバスやサイクリングロード、果ては流れるプールなどの珍意見も出たようである。しかし、町の財政上の問題もあって、老朽化が進む、橋梁やトンネル等の改修費用の負担だけでも大変で、ただ単にバスを走らせる訳にもいかないらしい。事実トロッコバスなどとして利用するにも周辺の道路が整備されている以上、路盤を改修してまで走らせるのはどうかと思う。そういった意味で交通機関として路盤を利用するならば、赤字前提でまず採算性は度外視しなければならない。そんな体力が果たして錦町にあるだろうか。

ところで少々話はそれるが、川島令三氏の幻の「鉄路を追う」(中央書院)でもこの岩日北線計画が紹介されており、錦川鉄道から岩日北線、山口線を標準軌化してミニ新幹線気動車を走らせようという壮大な案があったが、私はこれは受け売りの領域を出ないと思う。確かに錦町-六日市間の路盤の大部分はそのまま残っているが、南半分は第3セクターに転換され、しかも会社の存続に関わるほど経営は厳しい。しかも六日市-日原間の約56Kmは全く手付かずであり、高規格の路盤が残っているのは岩日北線計画の全72Kmうちの4分の1にも満たない16Kmである。間南は山口県、六日市より北は島根県と自治体が違いお互いの歩調は合っていない。川島氏の提唱する新岩国から東萩および津和野までの直通計画は直通の相手側の津和野と萩には六日市-日原の未着工区間に手をつけるほどの都市であるとは言えない。むしろ九州方面からの直通の便を図って、山口線の高速化を考えた方が合理的なのである。川島氏は経営努力により黒字経営が可能とソロバンをはじいているが、私は黒字経営は不可能と考える。山口、島根両県が出資した高速鉄道計画もまず出てこないだろう。なにはともあれ、現実的に進んでいる路盤の活用計画は錦町レベルで、「取り壊すのはもったいないから何かに使おう」という考え方のみである。
自分は実際にはサイクリングロードや遊歩道のようなような利用方法しか考見出せないと考える。錦町の駅前に町営のレンタサイクルを設け、高架部分は柵を強化(実際、柵が朽ち果てて壊れている所があった。)トンネルには照明を設ける。1km以上のトンネルで照明設備を取り付けるのが大変なら、そういったところは平行している一般道を迂回すればいい。もちろん料金を取る訳にはいかないが、下手にバス等を走らせて大赤字を出すよりかえって経済的なはずである。幸い路盤は宇佐川に沿って走っているので夏の渓谷を自転車で風を切って走ると爽快だろうし、沿線に温泉もあるので、なかなか話題性もある。全国のこのような遺構を抱える自治体の中で、「どういう利用法でも残そう」という気運が実際にあるだけでも珍しく、評価できるので、町の厳しい財政事情もあるかもしれないが、せっかく作った路盤なのだから、ただ単に取り壊して売却すると安直に考えるのではなく、路盤の特性を生かした活用法を採用してもらいたい。

 

おわり



2015.07.18 追記

2002年に錦町-周防深川駅までの間は、雙津峡温泉への観光公園施設として、錦町により再整備が行われ、「とことこトレイン」の名でタイヤ付き遊覧車の運行が行われるようになった。実際の営業、運行は錦川鉄道へ委託されている。
土日祝日を中心に運行。鉄道事業法にもとづく、鉄道ではなく、公園の遊具施設として運行されている。

2015年7月16日木曜日

ヨッキ氏講演会

今日は、某有名サイト、山さ行がねがの管理人のヨッキれん氏が熊谷市の立正大学にて、講演を行うとの事であったので、行ってきた。
実はこの企画、最初企画そのものをヨッキ氏のTwitterで知って、大学にて専任講師をしている後輩に問い合わせた所、その後輩の企画であるとの事。
いやぁ、参ったなぁ、ホスト側が友人であるのだが、山いがの存在を知ったのも、その後輩がまだ大学院生だった頃、秋田時代の氏のWebを拝見し、細田氏との湯田ダムとか、尾去沢の探検あたりから読んでいたのであるが、、、さて、さて。深い話が聞けると思い行ってみた。


ヨッキれん氏はこういった、大学での講演は始めてだったという事で緊張されていたとの事であったが、スタートから廃道ナイトモードに突入。受講者のうち60人は大学生、残り100人が一般客のようで、どうもこの辺で、「噴いて」しまう、タイミングで、オブローダーとしての、素質が分かってしまうようで。

時間は90分。内容は、廃道ナイト的な要素もからめつつ、大学での講義という事もあり、地図の見方とりわけ、旧版地形図の見方。それから史誌の解説、等々。山いがを見ている人ならおなじみの、内容であるが、氏の調査方法の裏側などコアな話を聞くことが出来た。

所どころ、噴きながら。有意義な90分であった。


講演の後は後輩の研究室の視察。私達もOBながら図々しく同行させてもらった。しかし、G8氏。大学の専任講師とは随分偉くなったもんで。
それはさておき、ここは地形図や書物が所蔵されている場所であるが、史誌などを発掘して見入る、ヨッキれん氏とトリ氏。とりわけ、トリ氏のYLさんとは思えない爆弾発言には脱帽であった。


ここで重大な発見があったのであるが、国土地理院などでも閲覧できない、ここの所蔵物として、戦前の樺太の地図があった事。どうもヨッキ氏は海外であっても日本人が作った道には惹かれるらしく、ここに林鉄がありそうだとか、この道残ってそうだとか、興味深々の模様。

という訳で、今回は久々に大学時代のマニアックな仲間に会うことができ、廃道、新道、廃線、未成線、水路、発電所、送電線などなど、非常にコアでマニアックな話を真剣に討議できたのも収穫であった。

台風で足元の悪い中、ヨッキれんさん、遠路ありがとうございました。


台風11号 ほぼ改修が竣工した武蔵水路が活躍する

台風11号の影響で、埼玉県で大規模な大雨が降った。実は、しばらく、武蔵水路の改築事業については、工事の「たるみ」などが散見されたため、更新を見送っていたのであるが今回その威力をまざまざと見せ付けられたので。
今回の改修の目玉は、能力を従前の通常通水の毎秒、35トンから、毎秒50トンから55トンに拡大し、内水排除(つまり洪水の除去能力)の向上を図る事であった。
今回その本体部部についてはほぼ、竣工に近い状態となったようで、その様子を追ってみる。

2015年7月16日。この日は台風16号の影響で朝から激しい、雨が降っていた。しかしながら、通常目にする雨の範囲であったため、9時ごろまでは通常に営業を行うが、どうも様子のおかしい事に気付く。
まず、地域の内水排除がうまくいっていない。そして武蔵水路を見ると、どうも通常の放水量の35トン程度の水が流れているのである。嘘だろう。と思ったが。どうにも本当で、市域の水かさが増すばかり。
そしてとうとう事件が起きた


赤見台地区の調整池が限界に達し。もう淵まで水がある状況。警戒でやってきた消防隊員と話すと、どうにも、市内あちこちでこんな状況であるとの事。とりあえず、北部はもっと酷い状況だから、武蔵水路が通水しているようだから、早く停めて欲しいと要望を出しておいた。



不幸にも赤見台地区の内水を排除するはずの新水門はまだ稼動しておらず。どうにもしょうがないのであるが、もっと元荒川の水位を落としてもらわないとダメである。そこで、水資源機構に直接電話して聞いてみたところ「内水排除やってます、流れているのは全て洪水です」という、衝撃的な返答。イヤイヤ。まさか35トンも内水が流れているのか。今まで目にした、内水排除モードでは、せいぜい10トン強といった所であった。



さらに水路を見ると凄まじい事に。もう毎秒50トンはあるのではないのかというくらい、センターの隔壁ギリギリの流量である。まさかこれが、本当に内水なのかと思い、元荒川の新川面水門と、忍川の新佐間水門を見てみた。両方とも竣工したばかりのようであるが、(車が止まっていたので、おそらく手動であるが)稼動している模様。写真は佐間水門であるが、忍川から、凄まじい流量で水が武蔵水路に流入している。

しかし、新佐間水門で、口切溢れんばかりの、この水量であるから、更に下流の新川面水門での、元荒川から武蔵水路への水の流入は、限定的なものとなり、元荒川の水位の上昇が激しくなってきた。


この画像を流して、危険。氾濫の恐れありと、Twitterでつぶやいたら250RTをいただく程の関心であったが、川面水門でなかなか出て行かないため、どんどん上流部へ負荷がかかかり、水位が上昇する一方である。通常は川面水門が最終関門となって水を吸い込んでくれるのだが、今日はそれも間に合わない。完全に開ききっていないように見えたので、互いの水位を調整しつつ逆流しないようにしていたのかもしれない。


糠田排水機場付近。写真版が少ないが、荒川は上流部での降雨がさほどでないらしく、流れに余裕があったのが助かった。排水機を使う事なく、通常排水で間に合う量で、通常排水で目測で50トンほど流れていた。


しかし、氾濫せずとも、水の行き場を失った排水路の至るところから、水が噴出し。通行止めなどの箇所が増えていった。通行止めを行う市役所の道路部門も、看板やバリケードの数に制限がある中。設置に苦労していたようである。




これはうちのインチキな雨量計の値であるが、どうも早朝から、雨が降り出し、その後は力強いカーブで降り続きお昼までの10時間ほどの間に200mmを降らせたようである(あくまで、私のセンサーの計測値)

雨量はお昼の12時すぎに200mmを記録した後は、ほぼ小康状態となり、15時には水が引き出した。いやはや。これで水防警戒は大丈夫と思い、熊谷で予定している講演会に出る事ができたのであるが。
いやいや、まぁ、色々諸事情あって、更新していなかった武蔵水路事業であるが、今回50トンへの増強がされていなかったら元荒川の氾濫に至っていた可能性が高く。まだ初年度にして、威力を発揮した事になる。まだまだ、本来の運用では開くはずの川面と赤見台の内水の放水門が開かなかったなど、課題はあるが。今後の正規の運用開始が待たれる。




動画版もあります。

2015年7月12日日曜日

柳都Shu*Kuraの旅

さて、今回の写真ばかりで、長いスレッドの話題。学校の夏休みにはまだ早いのであるが、2ndを連れて、新潟へ、Shu*Kuraに乗りに行ってきた。


まず、これは、GWに夏男殿と信越本線の撮影行に行った時に、撮った写真なのであるが、海沿いを走るキハ40系Shu*Kura編成。原版を等倍に拡大して見ると、どうも車内の様子が楽しそうだったのである。後で調べたところ、1号車は「びゅう」商品として販売されており、イベントなどが行われているようである。

これは、いつか乗りに行きたいと思っていたのであるが、ちょうど、休みが取れそうだったので、ネット予約には間に合わなかったが、店頭では買えるようなので、日曜日の出発便の予約には、水曜日と直前であったが、熊谷駅の「びゅうプラザ」に行ってみた。

GWの撮影の項でも書いたが、十日町発の「越乃」、越後湯沢発の「ゆざわ」、新潟発の「柳都」、それぞれのShu*Kuraがあって、運転日によって違うのであるが、希望日の7月12日の日曜日は新潟発のようで「柳都」Shu*Kuraであるとこの事である。

そして、直前なので心配だった空席であるが、第一希望の北陸新幹線先回りコースは埋まっていたが、なんとか、上越新幹線先まわりの復路便に空席が見つかり予約ができた。(一般の指定席と違い、旅行商品なので、キャンセルなどに注意が必要)。GWに撮影した写真からも分かったのであるが、どうも人気のようで、直前になると結構埋まっているようである。ちなみにアテンダントによるサービスは付かないが、3号車は一般販売の、指定席となっている。

さてさて、どうなるか、出発の日曜日となった。


まずは、熊谷から出発。朝の通勤時間帯であるので、上り方向は、Maxの16両編成が行きかう。上越新幹線は、北陸新幹線開業によるダイヤ改定で、新潟方面への便が、かなりの減便となったが、北陸筋と上越筋が合流する、熊谷ベースでは逆に本数が増えており。下り方向への観光時間帯は上り方向は通勤時間帯のようで、日中は1時間に2本ほどしか停まらない、熊谷駅にも、上り列車は、頻繁に停車してくる。反面、下り列車は通過ばかりで、停車列車は少ない。
さて、新潟への足も16連のMaXときであったが、いつの間にか、新潟まで16両対応となったようで、切り離されるのかと思ったら、16両、全車両が終点の新潟までの運行であった。



新潟には10時半に到着。柳都Shu*Kuraの新潟出発は14時59分なので、水族館のマリンピア日本海へ行ってみる。バスで約20分ほど。万代橋周辺の信濃川河口流域と海を隔てる低い丘を越えて向こう側である。地図でみると何となく、不思議な街である。


さて、ひととおり、館内を回って、13時のイルカショーを見て、バスで新潟へ戻ると、柳都Shu*Kuraの発車時間にちょうど良い時間であった。


14時頃に新潟駅に戻る。新潟駅は高架化工事が進んでいる。まだまだ、新幹線脇に路盤が見えはじめたばかりであるが。新鋭のE129系の姿が多くなり、115系は見る限り、半分ほどになる等、どんどん時代は移ろっているようである。


ほどなくキハ40系Shu*Kura編成が入線してきた。顔つきこそ、キハ40系のままであるが、側面は大型窓になっており、車内は完全にリファインされている。ちなみに、ヘッドライト部が四角く見えるのは、LED式に交換されているようである。一瞬、白い板で塞がれているように見えた。



Shu*Kuraは十日町発の「越乃」と、越後湯沢発の「ゆざわ」があるが、新潟発の「柳都」Shu*Kuraとして運転される日は意外と少ない。横断幕が掲げられ、歓迎ムードである。



1号車は、びゅうパック旅行商品専用であり、アテンダントが出迎える。この座席はびゅうプラザで買えるほか、えきねっとによる、ネット予約でも購入できるようである。新潟県内発着、東京発着のほか、宿泊付きもあるが(2015年7月現在)、本日は新幹線往復による、熊谷発の日帰りコースで購入した。

キハ40がベースながら、車内は完全にリファインされている。1号車の車内は、展望ペアシート、くつろぎペアシート、ボックスシートの3種類。展望シートは海に向かって座るレイアウトとなる。2号車はイベント車輌、3号車は一般販売の指定席で一般的なリクライニングシートとなる。


発車後、まもなく、車内では食事と地酒が提供される。Shu*Kuraオリジナルと、酒蔵提供の地酒が180mL(1合づつ)ついてくる。2号車のイベントスペースには効き酒コーナーがあり、交代で蔵元によるイベントも行われるが、いやはや、2合飲んで、効き酒となると、調子こくと、旅の中盤ではかなり効いてしまう。結構楽しめる量の酒と、食事が出る。(こどもや、飲酒できない方向けには、ソフトドリンクの提供となる)


2号車のイベントスペースでは、ジャズの演奏、蔵元主催のイベントなどがおこなわれる。


蔵元主催の乾杯イベント。
「乾杯~~!!、、ガハハハハ、、、。」
もうこのころには皆さん、出来上がって、宴会ムードである。


蔵元イベントが終わるのは、長岡を過ぎた、あたりで、この頃になると、越乃、ゆざわ、柳都、それぞれのShu*Kuraの共通ルート、時刻となり、信越本線を直江津へ向かう。海沿いの景色の綺麗なルートとなり、一転、チビリ、チビリと酒を注ぎながら、景色に見入る。



上越妙高への復路便は青海川で19分の長時間停車を行う。列車から降り、アテンダントさんに写真を撮ってもらったり、海を見たりと、思い思いに過ごす。
赤い威容を見せる、背景の米山大橋は塗り替えのようで、コンパネで覆われていた。


復路便では青海川駅付近は、クライマックスのラストイベントといった雰囲気である。実は、この日の前はジメジメとした梅雨の天気であったのだが、一転、梅雨明けしたような天気となり、焼け付くような日差しの、海水浴日和の、晴天であった。


列車は直江津から、えちご、トキめき鉄道に入り、北陸新幹線と接する、上越妙高が終点。帰路は上越妙高から北陸新幹線「はくたか」で戻る。いやいや、子供連れでいくには酒イベント色が強く、失敗したかとも思ってヒヤヒヤしていたのであるが、独特の宴会ムードの中、酒が入って上機嫌の新潟の奥様達を相手に遊ぶ始末であり、2nd的にも、かなり楽しかったようである。

GWに目撃して楽しそうな列車であったのだが、予想以上な旅となった。



2015年7月10日金曜日

トラックの荷台の塗装


カラ梅雨と思ったら、5日ほどジトジトと雨降り続き、今日はやっと梅雨の合間となった。気温も高すぎずファインディ。やる事は色々あるのであるが、あまりにも無残で見るに耐えない状態だったので、コマーシャル用トラックの軽トラと、ゲート車の塗装を行った。

仕上がりが、こんなひでぇ塗装という感じだが、元は、錆びが浮いてしまいどうしようもない状況であった。ダンプは、堆肥を扱うのでどうしても錆が進行しやすい。ゲート車はゲート車で、やはり土の上で作業するのと、背高が高く、車庫無しである事もあって、同じく錆が進行する。パワーゲートは全面、錆びが浮いて、みっともない状態で、軽トラも、ダンプの荷台を中心にやはり塗装が剥げて錆びだした。塗装は、3年に1回ほど行っているのであるが、前回、手を抜いたので、今回は酷く錆びていた。

前回は横着して錆び取りを省いたので、今回は、ディスクグラインダーに錆び取りを装着して、錆びを落とす。それでも、イライラする細かい部分が落ちないが。もう、気が短いので、やめやめ。機能的に錆が進行しなければ良い。塗料は、門柱などに使う、金属用防錆ホワイト塗料である。ローラーで塗ってしまう。結構な量を使うので、車用なんて使えない。仕上がりは、漁港などのマリンシーンでよく見るホワイト塗装である。

・・・で。さてと。どうにかなったかな。これであと、3年は何とかなるが、車が早いもんで、もう10年超。ゲート車は増税になってしまった。



2015年7月5日日曜日

6m AND DOWN コンテスト 2015


6m&DOWNコンテスト(略して6D)コンテストであった。6m&「ダウン」というと6m(50MHz)より低い周波数つまりHFのように思えるが波長の事で。6mより波長が短いバンド限定のコンテスト。6m、2m、430MHzあたりの参加局が多く、1200MHzあたりまでが一般局で、活況。更にはマニアックな部分で、もっと波長の短いGHz帯での参加局も。

さて、今回は正直、あまり気力がなく、適当に呼んで、サマリーシートを出して、終わろうと思っていた。で、あるから、21時の開始からすぐには本気を出さず、所用があったため、22時半ごろからスタート。昨年は固定局ながら、アンテナで、強みのある、430MHzに力を入れて430MHzのモノバンドとしたが。今回は、どうせやる気がないなら、6mのEsに期待して、マルチバンドで楽しんでみようと思い、6mから、順番に呼んでいく。しかし、意外と局数が多く、一通り呼び終わる頃には、日が変わった、2時頃になってしまった。今年から、呼び出しなら何とかCWもできるようになったので、夜間の6mはCWモードの局が多かった。

ローカル局が0エリア、長野は小諸の高峰高原に移動していたのであるが、晩はすれ違いできず。LINEで成果を一通り聞いてみた。どうも色々あって、思いのほか飛ばない云々、、。

さて、2時からは寝てしまい。翌日、再スタート。早朝、昨晩入感していなかった局を一通りさらい。

一旦、仕事で抜けて9時ごろ。から開始し、ローカル局と相次いで会合する。ここで色々情報が入手。6mのEsが開きそうだという事や、高峰高原がグラウンドで15マルチ。6mグラウンドで大阪が取れた等など、そして8が聞こえ出した云々。17マルチは行っている。

ここでスイッチが入ってしまった。6mはのぞくもEsは出ていないようなので、とにかく、まずは局数かせぎで、430MHzで呼ばれなくなるまで、ひととおり、CQを出し、一旦50MHz、144MHz、そして430の未交信局をSSBやCWモードも含めてさらう。

そして、ここで午後になり、もう一度、6m。ここでマルチを拾う。ホームにはGPしか上がってないので、どんでん返しがあるとすれば、強力なEsが出るしかない。そして、なんと弱いながら、6エリアが開いた。「5941」というナンバーが聞こえるから、佐賀県のようである。ローカル局かと思うほど強い。6エリアローカル局とEsの、オーバーエリア局が呼びまくって、パイルアップになっているようなので、マズいなぁと思ったが、6mは100W免許で、GPとはいえ、パワーが出るので、Esには強い。Es局をさらおうと思ったが、どうにも浮きが短く、熊本が取れた他は4エリアが取れそうでとれず、、、。そうこうして、6mに関わっていたら13時半になってしまった。やっぱりEsが出っぱなしで大混信になるくらいでないと6mマルチは伸びないようだ。

もうレートが伸びない、6mのEsに関わっていられない。山岳局並の威力を持つ、430MHz、富士山ビームで、リニアを焚いて50Wで、ガンガンCQを出す。最後の1時半で90局。ブッ飛ばして、終了の15時となった。


・・・・と、全然やる気無しで始まった6Dコンテストであるが、終わってみると


50MHz: 38交信10マルチ
144MHz: 24交信6マルチ
430MHz: 165交信10マルチ

総得点: 5902点

と、僅かに6000点に届かない位置であった。

やはり、430MHzがズバ抜けて強い。6mはGPなので、垂直、水平の偏波ロスが大きい。2mはノイズフロアが高くCQを出せるレベルでないので、これまた痛い。あとはCWでCQが出せれば、全体でもう少し局数が足せただろう。まぁ、色々課題、有り。

そんな訳で、430MHzモノバンドでエントリーした昨年と比べて、どうかというと、、免許上の最大パワーが出せる、オールバンド、シングルXAという、一番競争率の高い部門でのエントリーとなってしまったので、昨年の結果ベースで、全体の上のほうの、3分の1あたりといった所か。6mで17マルチ取ったと聞いた段階で高峰に居るローカル局には負けたと思っていたが、どうも高峰からは430MHzが伸びなかったらしく、最後の1時間半で東京、神奈川向けにガンガン交信して局数を稼いだ私の得点の方が上になってしまった。これは意外であった。

まぁ、ローカル局とも話していたが、これは雰囲気を味わう、お祭りみたいなもんだから、、、やる気ない、気が向かない、、などといいつつ、いざ雰囲気に触れてしまったら、大人気なくヒートアップしてしまった、、、、今年の6Dコンテストの結果であった。いやぁ。でも楽しかった。


今回の暫定スコア。弱いバンドが如実に出ている。6mと2mの改善。それから1200MHzへの参加と課題があるが、移動も含めて考えた方が良いようだが。430MHzが固定で強いとなると、移動地を間違えると430が落ちるので、これまた難しい。


CtestWinが出した、「やる気」グラフ。出だしがナメているのが分かる。そして寝てしまい。早朝にやって、午前中はダラダラと。昼間はEsマルチを狙って逆にレートが落ち、13時半からスイッチ。最後の最後で430MHzのFMで、90局くらいやっている。強い。