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2015年7月18日土曜日

岩日北線(1) 概要


リメイク_リバイバル_アーカイブス
この記事は1997年2月に取材されたものです。

取材1997年2月25日
ムーンライト松崎


幻の鉄道建設公団AB線
岩日北線

(1)岩日北線の概要






岩国から第3セクターの錦川鉄道錦川清流線に乗り終点の錦町に着くと前方に、使われていないトンネルの口がポカンと開いているのが見える。それこそが工事がほぼ完成していながら、凍結され放棄されている岩日北線の未開業区間なのである。これは廃線跡のトンネルではない。完成しておきながら列車は1度も走った事がないいわば「未開業」のトンネルなのだ。

 今の錦川鉄道の前身である国鉄岩日線は、山陽本線の岩国から錦町、六日市町を経て山口線の日原をつなぐ陰陽連絡線の一つとして計画されていた。岩日線の最初の区間の開業は戦後の1960(昭35)であり、岩徳線川西から河山までが、続いて1963(昭38)に現在の錦川清流線の終点でもある錦町までが開業している。残る錦町-日原間は岩日北線と称され、鉄道建設公団の手により建設が進められ、1965年(昭和40)年に錦町-六日市間が着工された。錦町-六日市間の工事は順調に進み、トンネルや高架橋、築堤等はほとんどが完成し、後は線路を敷くだけといった段階に進んでおきながら1980年(昭55)に国鉄再建にからんで工事が凍結されてしまった。

 この岩日北線のように鉄道建設公団の手により着工されていながら、1980年(昭55)に工事が凍結された路線は全国で36を数え、その中にはこの岩日北線の一部区間のように大部分が完成していたものもあり、各地にその遺構が残っている。それらの中には、三陸鉄道や阿武隈急行、目新しい所では智頭急行や北越急行のように地元が引き継ぎ、第三セクター鉄道として開業した(する)ものもあるが、大部分の路線は開業させたとしても、採算がとれないとして、建設途中で放棄されてしまったままである。それらの路線は近代的な路線として、智頭急行や北越急行がその恩恵にあずかったように、近代路線として、危険な踏切を基本的に廃し、山岳地帯は多くのトンネルで貫き、平地は築堤や高架橋で貫いているのが特徴である。そんな立派な設備が山間に放置されていたりしているのだから驚きである。

今、廃線歩きがブームであると言われている。鉄道建設公団が着工した未開業区間も一見、廃線跡と同じように見えるが、これらは廃線ではなく回生の余地を持つ永遠に未完成の路線であり、廃線跡とは違う哀愁を漂わせている。何年前だったろうか、何かの雑誌で現在は智頭急行線となっている智頭線がまだ工事が凍結されたまま、放置されていた頃に、そこを探索した少年の書いた記事を読んだが、彼は

「ここを本当に列車が走る事があるのだろうか」

と思っていたようである。そんな所も今では工事が再開されて開業し、大阪と鳥取地区を結ぶ動脈路線として成功してしまっているのだから驚いてしまう。このように未開業区間は死んでしまった路線である廃線跡とは違い、これから開業する余地はあるのかと思い巡らす事ができるのだ。現在のところ、今度のダイヤ改正で開業する北越急行以外で明るい題材を提供してくれる路線は無いようだが、このような未開業区間を実際に見て回るのも面白いかもしれない

かくいう自分自身、大学に入るまで、公団の建設した未開業区間については、智頭急行が開業した事や、三陸鉄道や阿武隈急行の一部が公団の未成線だった事以外はほとんど認識が無く、全国にここまで数多くの遺構が残されているとは知らなかった。私の所属する鉄研の先輩に全国の未成線をまわっている方がおり、その先輩に廃線跡を巡るくらいなら絶対に公団の未成線へ行った方が面白いと言われていたのだが、ボケーとしていたらもう1年が過ぎてしまった。そんな状況で鉄研の4年生の追い出し旅行へ山陰地区へ向かう事になった。このコーナーは当初、一畑電鉄で出雲市から松江温泉、宇井渡船場を経て境港へ至る旅行記を書く予定だったのだが、その先輩が岩日北線の未開業区間へクルマで連れて行ってくれるという話になったので急遽、この企画に変更された。そんな訳で、このコーナーでは、そこで見た物を中心岩日北線問題を考えて行きたいと思う。結局旅行の行程は大きく変わってしまったが、それ以上に公団の未開業区間に関するノウハウをいろいろと聞く事が出来たので大きな収穫であった。



先に述べたとおり、国鉄岩日線は1963年(昭38)までに現在の錦川清流線の終点である錦町までが完成している。それより先の区間は1962年(昭37)に錦町-日原間が調査線に編入され、1964年(昭39)には工事線となった。実際の工事は先行して錦町-六日市間が1965年(昭40)に鉄道建設公団の手により着工された。工事の大部分が完成しておきながら、AB線のため、1980年(昭55)全国のほかの36路線とともにに工事が凍結されてしまった(よく言われる55年凍結路線)。

一方、既に開業していた錦町までの岩日線区間も第2次特定地方交通線に指定され存続の危機にさらされる事になる。それを受け、地元ではイベント列車の運行や地域イベントの開催するなどの熱心な乗車運動が繰り広げられ、期間中のイベントとしては成功したようだが、結局、利用者の定着には結びつかず、1985(昭60)年度には輸送密度が1,000人を割ってしまう事になる。鉄道としての存続は厳しいとの調査結果だったようだが地元の熱心な鉄道へのこだわりにより、1987年(昭62)4月1日に第3セクターの錦川鉄道株式会社が設立され、同年7月25日から営業を開始した。

その間、岩日線の存続が優先され、岩日北線の計画はストップした状況が続いていたが、錦川清流線の開業後の1988(昭63)年12月に錦町清流線を育てる会が「岩日北線に関する委員会」を設置し、すでに路盤が完成している六日町までの区間を延長できないかの調査を始めた。しかし翌年には現在の清流線の厳しい経営状況の中、鉄道として延長開業しても採算がとれないとして、同区間の延長を断念している。以後、岩日北線の遺構の処理は錦町と六日市町にゆだねられる事となる

この岩日北線の未開業区間沿線には雙津峡温泉があり、多数の観光客が錦川鉄道の主催するイベントで錦町からバスで乗り換えて向かっているようである。錦町ではこの動きに目を付けて既にほとんどが完成している岩日北線の路盤を利用して、何とか公共交通機関として残せないかと模索している。1995年(平7)から1996年(平8)年にかけて地元TYSテレビ山口による地元への放送やTBSによる全国放送等で何とかこの設備を生かせないかとの意見を募集したところ、トロッコバスやサイクリングロード、果ては流れるプールなどの珍意見も出たようだが、公共交通として残したいという錦町を満足させる題材はまだ無いようである。

一方、六日市町側では、この遺構の処分を決定し、一部を取り壊して公共住宅を建設してしまった。六日市町側ではこの路盤の有効活用さえも断念したようである。



次回より現地調査

岩日北線(2) 現地の状況1


リメイク_リバイバル_アーカイブス
この記事は1997年2月に取材されたものです

幻の鉄道建設公団AB線
岩日北線


(2)現地の状況その1




では錦町から六日市まで計画線ぞいにたどってみる事にしよう。まず錦町駅から。錦町は前述のとおり、第3セクターの錦川鉄道錦川清流線である。この清流線のホーム端の車止めから見えるトンネルが未開業区間の始点の広瀬トンネルである。全長は1.7Kmあり、宇佐川沿いに迂回する国道187号に対してトンネルで一気に反対側の出市へと抜けている。何の事は無いトンネルだが良く見ると、信号ケーブルのようなものが通っている。「こんな開業準備工事が!」と一瞬思ったが、後で出市側から見ると近くに変圧トランスのようなボックスがありケーブルは近くの電柱へとつながっている。なるほど山間に電柱を立てるより安上がりだ。(しかしすさまじくデカい共同溝だ。)

錦町は第3セクター転換された錦川鉄道の終点である。

車止めの先に早速、未成トンネルが見える。

広瀬トンネルは電線の通り道として利用されていた。


出市に出た岩日北線は大野川沿いに最短距離で六日市側へ抜ける国道187号に対して国道434号とともに宇佐川沿いを上って須川地区から全長4.6Kmの六日市トンネルで六日市へ抜けている。錦町の宇佐川沿いの地区がルート選定の際に要請したのか、それとも勾配の関係からか、若干、遠回りをしている。

国道187号を錦町側から走って来ると国道434号との分かれ目付近で突如として山間から高架橋が出てくる。ここが出市駅の予定地付近である。近くの道を上って行くと、ホームの土台部分が完成している出市駅を見る事ができる。公団の工事はここまでで、以後のホーム上構造物、取り付け部の階段、駅舎などは事業者か地元の負担となる。したがって、築堤上にある他の周防深川、下須川、高根口の3駅はホーム土台等の「ここが駅」と特定できる構造物は無い。あいにくの曇り空だったが、山と山を高架とトンネルで次々に貫いている路盤を見ていると自転車でカッ飛ばしたくなってしまう。一見頑丈そうに見える橋も、良く見ると竣功以来、長い間管理者がいないまま放置されていたからか、欄干が至る所で朽ちて外れているなど、危険な個所が見受けられたので、よりかかたりして万一、落ちてしまったりしたら、公団も清算事業団も補償をしてくれないのでご注意願いたい。

出市駅付近の高架橋。

高架駅はホームの構体もセットで作られている
AB線独特の高い高架位置にある駅である。


さて宇佐川沿いにもう少し上ってみる事にしよう。深竜寺トンネルを抜けたあたりに周防深川駅があるはずだが、どうも辺りからは確認出来なかった。もしかしたら写真の位置ではないかもしれないがいちおうこの付近という事にしておく。ここで面白いのは、路盤が斜面沿いを通っているため、元からあった道が路盤をオーバークロスするように作られている。この道路部分も公団の建設のようだった。ちなみに写真の左にはお寺があるのだが、工事の際、一部を切り取られたのか、この寺のコンクリート壁に完成年を示す公団の刻印を見つけた。先の道路のように建設にあたって影響を受けるインフラも公団が作っているようだが、お寺の土台とは恐れ入った。

ところで、この周防深川駅予定地付近には雙津峡温泉があり、そちらへ向かう観光客も多いことから錦町としても何とかこの路盤を生かせないかと考えているようである。錦町駅前から途切れる事無く続いている路盤を見るとバスを走らせても良さそうな気がするのだが、ここまでの道路がキチンと整備されている現状を考えるとなにもこの路盤を改修させてまで走らせるメリットは無いように思える。むしろ遊歩道的な物の方が良いのか。しかし遊歩道やサイクリングロードとして整備するにも、高架部分は腐った手すりを交換しなければだし、長いトンネルは照明が必要だろう。金をかけて整備しても利用にあたって料金を取る訳にはいかないし、第一温泉に行くような客がここまで徒歩や自転車でくるのか。難しい。

周防深川駅付近の道路のオーバークロス橋

譲渡へ向けての調査か
国鉄清算事業団と思われる姿が見えた




岩日北線(3) 現地の状況2 まとめ


リメイク_リバイバル_アーカイブス
この記事は1997年2月に取材されたものです


幻の鉄道建設公団AB線
岩日北線
説明を追加

(3)現地の概要その2



さて須川地区へ向けて先にすすんでみよう。周防深川駅付近で国道434号は路盤をアンダークロスする。出市駅付近もそうだったが道路上には立派な高架橋で越える路盤が見える。一見立派で、何事にもびくともしないように見えるが、20年間管理者がいないまま放置されてきたわけであり、阪神大震災の時の山陽新幹線の高架橋がそうだったように、絶対に崩れないとは言えない。そのような危険性を考慮してか九州の呼子線など一部の未開業路線では道路との交差部分を撤去している所もある。錦町もこの路盤の有効的な活用法が無い場合は清算事業団と協議してこれらの路盤を撤去する事も考えているとの事で、まず撤去されるとしたらこういった道路との交点がまっ先に取り壊されるのだろう。

道路との交点
このような箇所は管理者不在で長期放置すると
危険なので取壊対象となるようである

山間を連続トンネルで抜いてゆく


国道434号は先ほどの雙津峡温泉を抜けると、センターラインの無い狭い道になる。狭くなる分岐点ではトンネル工事と拡幅工事が行われており、道路の方の整備は着々と進んでいるようである。そちらはまだ未完成なのでそのうち旧道と呼ばれる事になるだろう細い道を宇佐川に沿って分け入って行く。路盤も川沿いを大小のトンネルを連ねて真っ直ぐに走っている。やはりこの辺も公団建設線独特の高規格さを見せている。須川地区に入ると道は拡幅工事が完成しており、2車線で進む。下須川、高根口と駅予定地を過ぎ、11Km地点付近で路盤は宇佐川を渡って反対側の山に正面から突っ込んで姿を消している。これがこの区間最長の六日市トンネルで(全長4.6Km)山一つ越えた六日市まで一気に抜けている。

六日市トンネルの錦町側坑口とアプローチの路盤

六日市トンネルの名盤


道路の方はこの位置から六日市へ抜けるのが非常にやっかいで、センターライン無し、すれ違いもままならないような県道で抜けられるのみである。一応舗装はされているもののかなりの旧曲線と勾配が続く。片勾配なのかグイグイ上って来た割には頂上で平地になってしまい、あとは六日市までゆるやかに下って行く。鉄道トンネルのほうも地図で確認する限り、六日市へ向けてゆるやかな片勾配のようである。



さて、六日市トンネルの出口付近で路盤と再会する。トンネルをでたところで、中国自動車道と交差しているのだが、中国自動車道の橋脚は路盤をまたぎ越せる準備工事が施されており、築堤がくぐりぬけている。中国自動車道をくぐったところから先の路盤は無残にも取り壊され、整地されている。このあたり六日市の市街地ともいえそうなところで、六日市町が競売にかけ、一部は共同住宅としてすでに完成していた。錦川鉄道の延伸が断念されたこともあってか、六日市側では、この路盤をとっておいても仕方ないと判断したのだろう。しかし、鉄道が通るとの事で土地を提供した元の地主は一体どんな気持ちでこの現状を見ているのだろう。

もとの路盤も六日市インターの近くで終わっており、中心街とは離れているが、きっとこの辺に六日市駅が出来る予定だったのだろう。

中国自動車道との交点
築堤が残っている

無残に崩された築堤
六日市の市街地では築堤の撤去が進む

造成が終了し住宅が建ち始めた箇所


(4)これからの有効活用の可能性

路盤の現状は以上のとおりだが、今後の展開はどうなるのだろうか。先にも述べた通り、この路盤の処理は錦川鉄道が延長を断念した今、地元である錦町と六日市町に一任されている訳である。六日市町の方はすでに交通機関としての利用をあきらめ、用地を売却し、一部の路盤を取り壊している。今後も何らかの動きが見られそうなのは錦町側である。
錦町の企画情報課の話によると、町としての意見は何とか公共交通機関として残せないかと考えているとの事。しかし、町だけではなかなか名案が浮かばないため、1995年(平7)から1996年(平8)年にかけて地元TYSテレビ山口による地元への放送やTBSによる全国放送等で何とかこの設備を生かせないかとの意見を募集したところ、トロッコバスやサイクリングロード、果ては流れるプールなどの珍意見も出たようである。しかし、町の財政上の問題もあって、老朽化が進む、橋梁やトンネル等の改修費用の負担だけでも大変で、ただ単にバスを走らせる訳にもいかないらしい。事実トロッコバスなどとして利用するにも周辺の道路が整備されている以上、路盤を改修してまで走らせるのはどうかと思う。そういった意味で交通機関として路盤を利用するならば、赤字前提でまず採算性は度外視しなければならない。そんな体力が果たして錦町にあるだろうか。

ところで少々話はそれるが、川島令三氏の幻の「鉄路を追う」(中央書院)でもこの岩日北線計画が紹介されており、錦川鉄道から岩日北線、山口線を標準軌化してミニ新幹線気動車を走らせようという壮大な案があったが、私はこれは受け売りの領域を出ないと思う。確かに錦町-六日市間の路盤の大部分はそのまま残っているが、南半分は第3セクターに転換され、しかも会社の存続に関わるほど経営は厳しい。しかも六日市-日原間の約56Kmは全く手付かずであり、高規格の路盤が残っているのは岩日北線計画の全72Kmうちの4分の1にも満たない16Kmである。間南は山口県、六日市より北は島根県と自治体が違いお互いの歩調は合っていない。川島氏の提唱する新岩国から東萩および津和野までの直通計画は直通の相手側の津和野と萩には六日市-日原の未着工区間に手をつけるほどの都市であるとは言えない。むしろ九州方面からの直通の便を図って、山口線の高速化を考えた方が合理的なのである。川島氏は経営努力により黒字経営が可能とソロバンをはじいているが、私は黒字経営は不可能と考える。山口、島根両県が出資した高速鉄道計画もまず出てこないだろう。なにはともあれ、現実的に進んでいる路盤の活用計画は錦町レベルで、「取り壊すのはもったいないから何かに使おう」という考え方のみである。
自分は実際にはサイクリングロードや遊歩道のようなような利用方法しか考見出せないと考える。錦町の駅前に町営のレンタサイクルを設け、高架部分は柵を強化(実際、柵が朽ち果てて壊れている所があった。)トンネルには照明を設ける。1km以上のトンネルで照明設備を取り付けるのが大変なら、そういったところは平行している一般道を迂回すればいい。もちろん料金を取る訳にはいかないが、下手にバス等を走らせて大赤字を出すよりかえって経済的なはずである。幸い路盤は宇佐川に沿って走っているので夏の渓谷を自転車で風を切って走ると爽快だろうし、沿線に温泉もあるので、なかなか話題性もある。全国のこのような遺構を抱える自治体の中で、「どういう利用法でも残そう」という気運が実際にあるだけでも珍しく、評価できるので、町の厳しい財政事情もあるかもしれないが、せっかく作った路盤なのだから、ただ単に取り壊して売却すると安直に考えるのではなく、路盤の特性を生かした活用法を採用してもらいたい。

 

おわり



2015.07.18 追記

2002年に錦町-周防深川駅までの間は、雙津峡温泉への観光公園施設として、錦町により再整備が行われ、「とことこトレイン」の名でタイヤ付き遊覧車の運行が行われるようになった。実際の営業、運行は錦川鉄道へ委託されている。
土日祝日を中心に運行。鉄道事業法にもとづく、鉄道ではなく、公園の遊具施設として運行されている。