この記事は1997年8月に取材されたものです。
取材1997年8月
ムーンライト松崎
幻の鉄道建設公団AB線
呼子線
再び呼子を訪れたのは8月28日、今日はレンタカーを手配してある。ところが前日はサークルの旅行の集合日で長崎での泊りとなっており、解散は朝の9:30となった。早く出てしまう事も可能だったが少々ユックリし過ぎてしまったようだ。長崎は10:00発のかもめ4号で出て佐賀には11:21分着、ここでトレン太君(レンタカー)を借りて唐津へと向かう。
しかし佐賀の市内は予想以上に混んでいる。これでは唐津に着くのは14時頃になってしまいそうだ。よりによって今日の「さくら」で東京へ帰らねばならず現地を出るのは17時頃がリミットになってしまいそうだ。これでは時間がない。そんな事だったら前回の調査日にクルマを借りてしまえば良かったのかもしれない。そうすれば朝の9時ごろから使えたし、営業時間いっぱいの20時に返したとしても、博多発の「ドリームにちりん」「ドリームつばめ」にも余裕で間に合ったはずだ。まあブツブツ言っていても時間が戻る訳ではないので黙々と運転することにする。
佐志駅付近の高架橋。
部分的に途切れている部分はもともと造られていなかったのだろうか。
建設された西唐津より先の呼子線のAB線区間は15.6Km。佐志、肥前相賀、肥前湊、屋形石、そして呼子の5駅が設置される予定だった。西唐津を出た呼子線はすぐに第1、第2唐津トンネルを抜けたあたりが佐志駅の予定地付近である。204号を走っていると左手に高架橋らしきものが見える。これが西唐津以西で初めて見る路盤だ。しかし、よく見ると、途中でブッツリと途切れている。「ここは建設途中なのか。」と思い路盤の近くへ行こうとして、県道切木唐津線の方へ左折すると、山の上から見下ろせる位置に着いた。部分的に途切れている部分はもともと造られていなかったのだろうか。
市街地を抜けてもあまりかんばしくない流れの中、何とか13時半には唐津に着いた。唐津から呼子へ向かう国道は204号、市街地をバイパスする区間は真新しい片側2車線の立派なものだ。しかしそれもまもなく突然プツリと途絶えてしまい、細い連絡用の迂回道で西唐津駅付近の204号の旧道へ連絡する。迂回路との分岐部は真っ直ぐに山へ向かっており、その方向がちょうど呼子線の路盤がある方向である。唐津市役所で聞いた路盤の国道化の計画はこのバイパスの延長計画なのだろう
第2唐津トンネルから出てきた路盤は緩やかにカーブを描いたところでプツリと途絶えている。上からではなく近くで見たいので、元来た道を引き返して探すのだが、この付近は住宅地の中を高架で抜けており、道に迷ったあげく、結局、国道204号に戻ってしまった。全体の時間が少ないので、ここは帰りに時間があったらもう一度立ち寄る事にして(結局帰りにはその時間はなかった)とりあえず、先に進む事にした。この途絶えているのが元々なのか、壊されたものなのかは近くまで行けなかったので分からなかったが、この先の肥前湊付近の高架橋が壊されていたので、もしかしたら壊されたものかもしれないが、確証はない。
呼子線はこの後、第1、第2唐房トンネルを抜け、鴨川トンネルを抜けたあたりで玄界灘へ向かっってまっすぐ伸びる区間に出る。道路のほうは唐房入口の交差点を左に曲がり、少々登ったところから、川島令三氏の「幻の鉄路を追う」の表紙を飾っている写真と同じ景色に出会える。その写真は204号から伊万里方面へ抜ける県道23号(唐津呼子線)から撮ったもので、海、空、山へ向かって真っ直ぐ伸びる高架橋は、未成線を象徴するかのようだ。
真っ直ぐに玄界灘へと伸びる高架橋
再び204号に戻り、204号に戻る。唐房入り口の交差点を県道方面に左折するとさっきの景色の地点に出るがこちらへ行ってしまうと呼子には行くが、路盤と沿った道ではないので注意されたい。この先の呼子線の路盤を見るにはこの交差点を右斜め方向の若干下り坂の道に入る。唐房入り口交差点を曲がり、少々行くと海岸線沿いをゆるやかなカーブを描く路盤が現れる。ちょうど路盤の下は幸多里浜海水浴場で 、夏休み最後のレジャーを楽しむ家族連れを多数見かけた。海水浴客の後ろを列車が走る。開業して列車が走ってきたら画になる区間である。玄界灘に沈み行く夕日を浴びて輝く高架橋をバックになんとも哀愁に満ちた光景であった。
海岸を行く。列車が走ってきたら画になる区間だ。
海水浴場を過ぎると、築堤に移り、しばらく行くと肥前相賀。そこから第1、第2湊トンネルを抜けて田園に出たところが肥前湊である。ここの田園を抜けて第3湊トンネルに入るまで、高架橋で抜けるのだが、道路と交差する部分が無残にも壊されている。どうやらここが「旅」誌付録の「未成線大全科」の表紙を飾ったところのようである。もともとこんな感じで作りかけだったのかなとも思ったが、壊された断面は白く、新しく、またガレキが転がっている事から最近取り壊されたものと思われる。後で「幻の鉄路を追う」を見たところ平成8年8月撮影の写真にはちゃんと連続した高架橋として写っている。今年の春に発売された「未成線大全科」では壊された写真になっていたので、去年の年末から今年の冬にかけて壊されたのかもしれない。
高架の下はちゃっかり農道として
使われていた。
無残にも壊された高架橋。断面は新しい。
「未成線大全科」の表紙と同じ写真を撮りたいと思い、高架橋の下に車を止め、第3湊トンネルの入り口付近まで上ってみる。トンネルの方へ向かって車1台がやっと通れるような道(といっても多分これは軽トラックの轍だろう)が草を踏み分けて続いているのだが、それが高架橋の下に潜り込んで続いている。今は清算事業団の用地だから勝手に使用できないのだが、農道として使っているのだろうか。高架橋の下には、雨をしのいでいる農機具もみかけた。ちゃっかり軒先を拝借しているわけだが、どうせ使われない高架橋なのだからこのくらいなら清算事業団も文句は言えないだろう。
道路との交差部分だけが壊された肥前湊駅
付近の高架橋。先に見える路盤が広くなっ
ている部分が肥前湊駅の予定地。
築堤を降りて車の所に戻ると、水路の向こう側に役人風の男性が立っており、車に入ろうとすると
「ちょと」
と呼び止められた。
「まずい叱られるか!」
と思ったが、水路と高架橋の写真を撮りたいので車を退けてほしいとの事。車を移動した後、今度はこちらから話し掛けてみた。この男性はどうやら本当にどこかの役所の人らしく、何でもトンネルの湧水が高架橋の下の水路を流れており、それを水田で利用している。高架を壊して農道にするのだが、高架を壊すとその水路も改修しなければならないので、住民に説明するための資料を作っているとの事だ。なるほどさっき見た道は農道ではなく勝手に使っているだけだったのだ。多分高架を壊して舗装された農道を作るのだろう。普通の道路は単線規格の用地では狭いが、農道なら、すでに高架下を農道として使っている人もいたのだから単線規格の用地でもその用途に絶えうるだろう。さらに他の区間でも壊すところがあるのかと聞くと、将来的には壊せるところは全て壊し、切り通しの法面も埋めてしまうそうだ。
なるほどいい事を聞いた。その男性にお礼を言うと車に戻り、先に進む事にした。ところが車に乗ってから「どこの役所」の人か、また高架橋の一部を壊したのがいつかを聞き忘れてしまった事に気づいた。男性の方へ戻ろうと思ったが男性もすでに車に乗りこんでしまい、車を止めてもらってまで聞く気にはなれなかったので、しばらくそこに待機して、車の後を追わせてもらう事にした。
車は運良く呼子の方へ向かうようだった。肥前湊から先は呼子線はトンネルで抜けており、姿がつかめない。一方、道路の方は七ツ釜付近から曲がりくねりながら、小さな峠を呼子線の上で越える。この辺でトンネルから出た路盤が見えるはずである。七ツ釜への道の分岐を過ぎたところで例の男性の車は路肩に寄って止まってしまったのだが、路盤の姿は見当たらない。別の仕事でとまったのだろうと思いその場は追い抜いてしまった。しかし車を追い抜いても路盤はなかなか見えてこない。手元の資料では肥前湊から約3キロで屋形石の駅に着くはずなのだが、車のメーターで計って4キロを越えても見当たらない。これは行き過ぎたと思いUターンして、地形から「これぞ路盤が出てくるか」と思った小道に入ってみたのだが、結局もとの国道204号に戻ってしまい。この時は路盤を見つける事ができなかった。
柱状節理の玄武岩がそそりたつ崖に七つの竈が口を開ける七ツ釜。
屋形石駅予定地付近にある。
屋形石駅予定地付近にある。
せっかく唐津まで来たのだからこの辺で路盤探しはお休みにして、七ツ釜を見てみる事にした。七ツ釜は例の男性の車を見失った付近から小道に入りしばらく行ったところだった。最寄り駅予定地はは屋形石だろうが、駅からだと結構歩くかもしれない。七ツ釜は、唐津市北部にある海蝕窟で、柱状節理の玄武岩がそそり立つ岩場に7つの竈のような洞窟が並んでいる。海に半分沈んでいるような竈の周辺の水は透き通った青であり、非常に美しい。空も雲ひとつなく晴れ渡っており、全く運のいい日に来たものだと思った。今年は台風の当たり年のようで、九州入りの直前にも超大型の台風が九州を襲っていたのだが、運がいいことに私が九州に上陸してからは、晴れた日ばかりで、厳しい残暑が続いている。玄界灘の青い海、青い空、そして七ツ釜周辺の奇岩と「なんと絶景な事か」。こんな観光資源の豊富な地域を走っていながら、ついに開業でずに姿を消してゆく運命となった呼子線の事を考えると「なぜ80年代に筑肥線改良と連動して開業させる事ができなかったのか!」と、悔やまれる。
さて時間もない事だし再び車に戻り、国道204号を呼子方面へ向かう。この時も、路盤がないかどうか見てみたのだが、結局見つからないまま、呼子の市街地の入口まで着いてしまった。ここから国道は港のある市街地までちょっとした山を切り通しで抜けるのだが、呼子線は一旦、大きく北に首を振った後、その国道の切り通しのある、小さな山の上の呼子駅を過ぎて国道をまたいで伊万里方面へ向かうはずである。手前の路盤と呼子駅を見るべく、切りとおしの方へは進まずに海岸沿の外周道路へ右折した。しかし、この付近もまたトンネルで抜けているらしく、路盤が見つからない。考えてみれば、肥前湊を出てから全く路盤に会っていない。高規格すぎるのも困り者だと思いながら走っていると。川もないのに橋がかかっている。渡りざまに河床に目を向けてみると、これは川ではない。切りとおしで呼子駅へ抜けている呼子線だ。「ここだ」とは思ったもののUターンできるところを探しているうちに道が工事で狭くなってしまい、更にUターンできないでいると、雑多な朝市通りに出てしまい、いよいよUターンはできなくなってしまった。しかし、こう見ると、賑やかな街だ、通りも活気があるし壱岐へ向かうフェリーのターミナルや、真っ白に輝く呼子大橋の斜張橋も見える。本当になぜここまで開業できなかったのかが悔やまれる。
呼子は朝市で賑わう町、写真奥には壱岐へのフェリ
ーのターミナルや呼子大橋の真っ白な張斜橋がある。
呼子駅の伊万里方の橋脚。これより先は全く手付かずとなっている。
朝市の通りを抜け、再び国道204号に戻り、唐津側に引き返し市街地からの坂を登っていくと切りとおしの両側に呼子線の橋脚が現れた。これは呼子駅を出て伊万里方面へ向かうものだが、呼子駅の先の工事はこの橋脚を造っただけで終わってしまったはずであり、この先には建設された路盤はない。ということは呼子駅はこの左手の小高い山の上にあるはずである。しかし、駅を探して小道に入ってはみたものの結局見つけられなかった。ここで、佐賀へ引き返すタイムリミットになってしまった。今回は計画の建て方を誤ったか、時間がなくてあまり路盤を見つける事ができなかった。呼子駅が見つからなかったのは残念だが、このまま長居すると「さくら」に乗り遅れてしまう。また車で九州入りしているはずのS氏らにも会えたら呼子で落ち合う事にしていたので、名残惜しいが見つからなかった路盤を探しながら引き返す事にした。
屋形石駅の予定地付近。
路盤が広くなっているのが分かる。
路盤が広くなっているのが分かる。
呼子から204号引き返す。往復すれば何か見つかるかもしれないと走っていると、道路の左側を、来るときは気づかなかった路盤らしき築堤が並走しているのが見える。「これは!」と思い左折すると、来るときは屋形石の駅を探して入った道だった。ちょうどトンネルと、トンネルの間から路盤が出ており、また一部の路盤は低く、公団が作ったものと思われる取り付け道路の準備工事の法面が見える。資料と地図で確認してみるとここが屋形石の駅予定地らしい。2度通ると発見があるものだ。
屋形石の駅を後にして、204号を走るとまたしても来るときは見えなかった高架橋が左手に見える。しかもここはあの役所の男性の車が止まった付近だった。やはりあの男性は路盤の調査をしていたらしい。ちょうどここは、第3湊トンネルが呼子側に口を開くところで、先に見える屋形石トンネルを抜けて先ほどの屋形石の駅に出るのだろう。七ツ釜への道路が分岐する付近を過ぎ肥前湊を過ぎて、小さな山を越えて再び相賀に出る、だいぶこの付近の地形と地名を覚えてしまったものだ。肥前相賀付近を過ぎるとあの海岸線を路盤が走る区間だ、S氏とはこの先の海岸沿いの呼子線の高架橋が見えるセブンイレブンで待ち合わせにしていた。まもなくS氏の乗ったレンタカーのスターレット(これが所沢で借りたもの)がやってきた。S氏らとともに再び浜に降り立ってみた。本当に今にも列車が走ってきそうな高架橋だ。S氏らも走ってくる列車を思い浮かべながらシャッターを切っているのだろうか。智頭急行や北越急行が開業し、今このように構造物が残っている未成線は開業が絶望的なものばかりになってしまったが、そんななかでも開業の夢を語るのが未成線めぐりの醍醐味でもある。玄界灘にしずみ行く夕日を浴びて輝く高架橋をバックになんとも哀愁に満ちた光景であった。
続
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