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2015年7月19日日曜日

呼子線(1) 呼子線建設の経緯

リメイク_リバイバル_アーカイブス
この記事は1997年8月に取材されたものです。


取材1997年8月
ムーンライト松崎

幻の鉄道建設公団AB線
呼子線


(1)呼子線建設の経緯

九州の福岡近郊、唐津から、朝市で有名な呼子までの約17Km、七つ釜に代表されるような風光明媚な海岸を行く路線が今回のターゲットの呼子線である。

他の未成線と違って呼子線建設の経緯は少々複雑である。呼子線のもともとの計画を知るには昔の筑肥線と唐津線の線路関係を知る必要がある。今の時刻表の路線図を開いてみてほしい。福岡市営地下鉄と相互乗り入れを行っている姪浜-唐津間と唐津線の山本から分かれて伊万里まで向かう路線の2つに分かれているのに気づくだろう。この2つの路線は名前こそ同じ筑肥線を名乗るものの、幹線とローカル線、電化と非電化と、全く違ったいでたちの路線である。

ところが古い時刻表を開くと筑肥線は国鉄線として博多から直接延びており、現在の唐津駅は通らずに東唐津でスイッチバック、山本から本牟田部までを唐津線と併走し、伊万里まで向かう路線図になっているはずである。一方、唐津を通るのは佐賀から延びてきた唐津線であり、現在と同じ西唐津の駅で終点となっている。




呼子線の計画はそんな路線の配置を元に筑肥線の虹の松原から分岐して筑肥線と唐津線をショートカットして唐津-西唐津を通りその先は呼子を経由して松浦半島を半周して伊万里まで向かう計画だった。この呼子線の初期の計画は1962年(昭37)に計画線になり、1964年に鉄道建設公団の建設線になっている。

ところが、このころから福岡近郊のベッドタウン化と共に筑肥線の輸送力がパンク状態となり、輸送力の増強が急務となっていた。そんな中、福岡市営地下鉄の建設計画と協調した改良計画が急浮上した。その計画により筑肥線の博多-姪浜間は福岡市営地下鉄と相互乗り入れする事にして既設の路線は廃止して、呼子線として計画されていた虹ノ松原-西唐津間は無償譲渡のAB線(地方交通線・地方幹線)から有償譲渡のCD線(主要幹線・大都市交通線)に変更し、唐津線の唐津市内の高架化工事と連携する形で建設する事になった。

また地下鉄直通のため、姪浜-西唐津間の電化方式は交流電化の九州内にあって異色の直流1500V電化となった。これにより筑肥線は博多姪浜間を失ったものの、地下鉄との相互乗り入れという形で姪浜まで複線電化され、姪浜から先は呼子線区間の開通により、電化による西唐津直通が図られた。


 

この改良工事は1975(昭50)に着工され、鉄道建設公団のCD線という事で、予算の集中投入を受けて国鉄再建法成立にからんだ1980年(昭55)の凍結にかかることなく、1983年(昭58)に完成している。またこのルートの開業により筑肥線の東唐津駅は新線の高架上に移転し虹ノ松原-(旧)東唐津-山本間は筑肥線の唐津乗り入れにより唐津線と重複する事から廃止された。また1992年(平4)には福岡市営地下鉄が博多空港まで乗り入れ、西唐津-福岡空港直通という新たな付加価値が加えられた。

虹ノ松原-西唐津間はCD線という事で予算の集中投下を受けて55年凍結の憂き目にもあわずに建設された訳だが、西唐津より先は1968年(昭43)の着工以来、AB線のままで建設され、西唐津-呼子間の大半が完成した時点で、昭和55年を向かえ12年の長きに渡って建設が続けられ着工区間の9割以上の工事が完成していたのにもかかわらず、ほかのAB線群とともに建設が凍結されてしまった。ちなみに呼子より先は呼子駅の先のごくわずかな橋脚を作っただけで、全く手付かずであった。以上が呼子線建設の概要である。

その後は他の路線のごとく第3セクター化が模索された時期もあったようだが、結局盛り上がらないまま終わってしまったようである。その後は工作物の撤去を中心に話が展開されているようで、サイクリングロードにする計画があったが断念したとかすでに壊してしまったとの情報が流れていた。また、「旅」誌の1997年7月号の付録に「全国「未成線」大全科」に呼子線のものと思われる壊された高架橋が表紙を飾り

「やはり壊されたか!」

と衝撃を受けた。まあ、実際の現状はどのようなものか見るべく、残暑も厳しい九州へ向かったのであった。



呼子線(2) 呼子線の路盤の現状(1日目)

リメイク_リバイバル_アーカイブス
この記事は1997年8月に取材されたものです。

取材1997年8月
ムーンライト松崎

幻の鉄道建設公団AB線
呼子線





呼子線の路盤の現状(1日目)

8月20日、この日は唐津市役所で情報が手に入らないものかと思い、博多から筑肥線経由で唐津へと向かった。福岡市営地下鉄から唐津へ直通する列車は意外と少なく、ほとんどは姪浜か筑前前原での乗り換えを要する。待てば直通列車もあったのだが、合間を使って姪浜と筑前前原の様子を見てみる事にした。

まずは姪浜。ホームに降りて思ったのは、何と人の多いことか。始発電車が発車するホームにはすでに長い列が出来ている。電車の行き先は福岡空港、西鉄宮地岳線と直通の貝塚方面であるが、ちょうど9時前の出勤タイムとあって、どの電車も東京近郊の私鉄の電車並みの混雑である。

筑前前原にも移動してみたがこちらも同じような状況、6両編成の始発電車はすでに席が埋まっている。ところがまもなく唐津方からやってきた折り返し西唐津行きの電車は3両編成。乗り換えの客をドッと吐き出した後は乗る人もまばらで、赤とシルバーの塗色にリニューアルされた派手な103系の車内はガラガラだった。

筑前前原を出ると電車は海岸に近い所を走る。夏の玄界灘は真っ青で非常に美しく、夏の日差しを受けてキラキラと輝いている。途中で福岡空港行きの1日1本の快速と交換したのだが「何と乗っていることか」博多に着くのは10時過ぎだから通勤のためだけではないだろう、福岡空港へ向かう客だろうか。すし詰めの状態だった。

 

行楽客風の家族が降りると虹ノ松原。ここを出ると、呼子線として新規に建設さた区間に入り高架へと駆け上がって行く。右へ昔の東唐津へ向かっていると思われる廃線跡を見ながら高架の東唐津へ着く。松浦川を渡り、佐和田を過ぎ、高架へ上ってきた唐津線と合流して唐津へ着く。唐津線だけの駅だったころの唐津駅を私は知らないが、高架化されたこぎれいな駅舎で駅前には大きなロータリーが整備されていた。

さて唐津市役所で呼子線の状況を聞いてみることにする。実際に案内されたのは都市開発課であり、詳しい話を聞くことができた。

まず高架の解体の件であるが。解体するというほ本当のようで、現在、工事を発注している段階であるとの事(しかし、では「旅」誌の表紙は何だったのだろう、国か県の道路予算で壊したのだろうか。)

サイクリングロードとして使う話は実際にあったようで、実現する方向へ行きかけたそうだが、長いトンネルは照明をつけても防犯上好ましくないと問題になり、断念してしまったようだ。話を聞かせてくれた職員の話では「サクラでも植えたらきれいでしょうね」などと話していたが、実際の活用は公共性の強い「皆が使える施設にしたいと考えているとの事だ。しかし、草刈り等の費用の負担も馬鹿にならず、また道路や河川を目的もなく占用しつづける訳には行かないらしく、壊すところは思いきって壊してしまう事にして工事を発注したとの事だ。

また最近は国道のバイパスとして使う計画が急浮上してきたとの事だ。どう考えても単線鉄道企画のトンネルでは車は走れないと思いそこを質すと、実際に使うのは用地のみで、高架等の工作物は取り壊し、トンネルは掘り直すらしい。今は話が出てきた段階で関係機関と調整をしているとの事。私が来る前は国鉄清算事業団と話し合っていたようだし、話している最中は建設省の本庁から電話がかかって来ており、どうやら話は本格的に進んでいるようだ。

しかしまあ、なんとご苦労な話ではないだろうか、掘り直すカネがあるなら開業できたはずである。財源が全く違うとはいえ、もったいない話である。ここにも「まず道路ありき」の日本の政策が見え隠れする。鎮西町や呼子町など、同じ沿線の自治体はどうするのかと聞くと、無償なら引き取る事にしたようで、路盤の一部を農道として使うようである。いずれにせよ工作物は撤去するようだ。

さて唐津市役所を後にして、西唐津まで向かってみる事にする。今回は2日に分けて調査する事にしており、今日はクルマを手配していない。西唐津までは「電車」である。唐津駅に戻り、周遊券を見せて改札に入り、ホームへ上がるとちょうど西唐津行き電車が到着したところだった。筑肥線の103系もJR九州独特の派手なカラーリングの電車が多くなったなっているが、珍しくスカイブルーにクリーム色の帯を巻いた電車が止まっていた。

前3両だけが西唐津へ向かうようで、発車前に一度ガクンと前進した後、再びドアが開いた。まもなく再びドアが閉まり、列車は動き出した。唐津を出ると昔の唐津線の旧線直上を走っているのか、小刻みにカーブを切りながら進む。しばらく行くと突如、途中で切れた高架橋が左に分岐しているのが目に入った。これは一体どうした事か。その高架が視界から途切れるとまもなく高架を降りてしまい地平の西唐津駅に到着してしまった。西唐津は高架かと思ったが駅の端には車庫(唐津運輸区)があり、これがあるためにとりあえず地平ななったのだろう。

折り返しに乗る佐賀行きの唐津線まで時間があるので、先ほど見た奇妙な高架橋まで歩いてみることにした。しかし、暑い。うだるような暑さだ。まったくとんだ日に来てしまったものだ。しかしブツブツ言っていても何も見つからない、線路沿いの道を黙々と唐津側へ歩く事にした。


奥に見えるのが、呼子線の取り付け準備工事部分。


一旦住宅に遮られながも7,8分程で例の分岐部分に到着した。西唐津へ向けて若干右にカーブを切る唐津線の高架橋から分岐する形の高架橋を接続できる台座が見える。途切れた高架橋の先には更地の用地が続いており、多分その先にの高架橋が建設される予定だったものと思われる。これは呼子線のものと見て間違いないだろう。もし呼子線が開業していたら西唐津も高架駅になったはずで、この高架橋は西唐津駅は高架に移る事を前提に、暫定的に地平の西唐津駅に降りる連絡橋をつけたものと推測される。今の唐津線の線路は呼子線の開業後は唐津運輸区への出入庫線になる予定だったのだろう。しかし、「幻の鉄路を追う」には呼子線は現在の地平の西唐津を出て国道204号を踏切で横切って唐津トンネルに入るとある。とすれば、高架橋の断面は何なのだろうか。おそらく、将来的には西唐津も高架化するための準備工事なのかもしれない。また、よく見ると今使っている唐津線の向こうにも道をまたぐ地平のPC橋が見える。線路標識の残骸などもあり、どうやら更に古い高架化前の地平の唐津線らしい。なんともここでは新旧の線路の移り変わりと挫折の跡を一度に見る事ができるのだ。

呼子線の取り付け部を見たところで、この日は時間切れとなってしまった。




呼子線(3) 呼子線の路盤の現状(2日目)

リメイク_リバイバル_アーカイブス
この記事は1997年8月に取材されたものです。

取材1997年8月
ムーンライト松崎

幻の鉄道建設公団AB線
呼子線


呼子線の路盤の現状(2日目~その2~)



再び呼子を訪れたのは8月28日、今日はレンタカーを手配してある。ところが前日はサークルの旅行の集合日で長崎での泊りとなっており、解散は朝の9:30となった。早く出てしまう事も可能だったが少々ユックリし過ぎてしまったようだ。長崎は10:00発のかもめ4号で出て佐賀には11:21分着、ここでトレン太君(レンタカー)を借りて唐津へと向かう。

しかし佐賀の市内は予想以上に混んでいる。これでは唐津に着くのは14時頃になってしまいそうだ。よりによって今日の「さくら」で東京へ帰らねばならず現地を出るのは17時頃がリミットになってしまいそうだ。これでは時間がない。そんな事だったら前回の調査日にクルマを借りてしまえば良かったのかもしれない。そうすれば朝の9時ごろから使えたし、営業時間いっぱいの20時に返したとしても、博多発の「ドリームにちりん」「ドリームつばめ」にも余裕で間に合ったはずだ。まあブツブツ言っていても時間が戻る訳ではないので黙々と運転することにする。


佐志駅付近の高架橋。
部分的に途切れている部分はもともと造られていなかったのだろうか。

市街地を抜けてもあまりかんばしくない流れの中、何とか13時半には唐津に着いた。唐津から呼子へ向かう国道は204号、市街地をバイパスする区間は真新しい片側2車線の立派なものだ。しかしそれもまもなく突然プツリと途絶えてしまい、細い連絡用の迂回道で西唐津駅付近の204号の旧道へ連絡する。迂回路との分岐部は真っ直ぐに山へ向かっており、その方向がちょうど呼子線の路盤がある方向である。唐津市役所で聞いた路盤の国道化の計画はこのバイパスの延長計画なのだろう
建設された西唐津より先の呼子線のAB線区間は15.6Km。佐志、肥前相賀、肥前湊、屋形石、そして呼子の5駅が設置される予定だった。西唐津を出た呼子線はすぐに第1、第2唐津トンネルを抜けたあたりが佐志駅の予定地付近である。204号を走っていると左手に高架橋らしきものが見える。これが西唐津以西で初めて見る路盤だ。しかし、よく見ると、途中でブッツリと途切れている。「ここは建設途中なのか。」と思い路盤の近くへ行こうとして、県道切木唐津線の方へ左折すると、山の上から見下ろせる位置に着いた。

第2唐津トンネルから出てきた路盤は緩やかにカーブを描いたところでプツリと途絶えている。上からではなく近くで見たいので、元来た道を引き返して探すのだが、この付近は住宅地の中を高架で抜けており、道に迷ったあげく、結局、国道204号に戻ってしまった。全体の時間が少ないので、ここは帰りに時間があったらもう一度立ち寄る事にして(結局帰りにはその時間はなかった)とりあえず、先に進む事にした。この途絶えているのが元々なのか、壊されたものなのかは近くまで行けなかったので分からなかったが、この先の肥前湊付近の高架橋が壊されていたので、もしかしたら壊されたものかもしれないが、確証はない。
呼子線はこの後、第1、第2唐房トンネルを抜け、鴨川トンネルを抜けたあたりで玄界灘へ向かっってまっすぐ伸びる区間に出る。道路のほうは唐房入口の交差点を左に曲がり、少々登ったところから、川島令三氏の「幻の鉄路を追う」の表紙を飾っている写真と同じ景色に出会える。その写真は204号から伊万里方面へ抜ける県道23号(唐津呼子線)から撮ったもので、海、空、山へ向かって真っ直ぐ伸びる高架橋は、未成線を象徴するかのようだ。


真っ直ぐに玄界灘へと伸びる高架橋


再び204号に戻り、204号に戻る。唐房入り口の交差点を県道方面に左折するとさっきの景色の地点に出るがこちらへ行ってしまうと呼子には行くが、路盤と沿った道ではないので注意されたい。この先の呼子線の路盤を見るにはこの交差点を右斜め方向の若干下り坂の道に入る。唐房入り口交差点を曲がり、少々行くと海岸線沿いをゆるやかなカーブを描く路盤が現れる。ちょうど路盤の下は幸多里浜海水浴場で 、夏休み最後のレジャーを楽しむ家族連れを多数見かけた。海水浴客の後ろを列車が走る。開業して列車が走ってきたら画になる区間である。玄界灘に沈み行く夕日を浴びて輝く高架橋をバックになんとも哀愁に満ちた光景であった。


海岸を行く。列車が走ってきたら画になる区間だ。


海水浴場を過ぎると、築堤に移り、しばらく行くと肥前相賀。そこから第1、第2湊トンネルを抜けて田園に出たところが肥前湊である。ここの田園を抜けて第3湊トンネルに入るまで、高架橋で抜けるのだが、道路と交差する部分が無残にも壊されている。どうやらここが「旅」誌付録の「未成線大全科」の表紙を飾ったところのようである。もともとこんな感じで作りかけだったのかなとも思ったが、壊された断面は白く、新しく、またガレキが転がっている事から最近取り壊されたものと思われる。後で「幻の鉄路を追う」を見たところ平成8年8月撮影の写真にはちゃんと連続した高架橋として写っている。今年の春に発売された「未成線大全科」では壊された写真になっていたので、去年の年末から今年の冬にかけて壊されたのかもしれない。

 
高架の下はちゃっかり農道として
使われていた。

無残にも壊された高架橋。断面は新しい。
 

「未成線大全科」の表紙と同じ写真を撮りたいと思い、高架橋の下に車を止め、第3湊トンネルの入り口付近まで上ってみる。トンネルの方へ向かって車1台がやっと通れるような道(といっても多分これは軽トラックの轍だろう)が草を踏み分けて続いているのだが、それが高架橋の下に潜り込んで続いている。今は清算事業団の用地だから勝手に使用できないのだが、農道として使っているのだろうか。高架橋の下には、雨をしのいでいる農機具もみかけた。ちゃっかり軒先を拝借しているわけだが、どうせ使われない高架橋なのだからこのくらいなら清算事業団も文句は言えないだろう。

道路との交差部分だけが壊された肥前湊駅
付近の高架橋。先に見える路盤が広くなっ
ている部分が肥前湊駅の予定地。

さて第3湊トンネルの入り口付近に登って唐津方を見ると、なるほどここが「未成線大全科」の表紙を飾ったところだ。まっすぐに延びる高架橋は2個所の道路と交差部が取り壊され、その先に肥前湊駅の予定地と思われる幅の広い築堤が見える。「もったいない」
築堤を降りて車の所に戻ると、水路の向こう側に役人風の男性が立っており、車に入ろうとすると

「ちょと」

と呼び止められた。

「まずい叱られるか!」

と思ったが、水路と高架橋の写真を撮りたいので車を退けてほしいとの事。車を移動した後、今度はこちらから話し掛けてみた。この男性はどうやら本当にどこかの役所の人らしく、何でもトンネルの湧水が高架橋の下の水路を流れており、それを水田で利用している。高架を壊して農道にするのだが、高架を壊すとその水路も改修しなければならないので、住民に説明するための資料を作っているとの事だ。なるほどさっき見た道は農道ではなく勝手に使っているだけだったのだ。多分高架を壊して舗装された農道を作るのだろう。普通の道路は単線規格の用地では狭いが、農道なら、すでに高架下を農道として使っている人もいたのだから単線規格の用地でもその用途に絶えうるだろう。さらに他の区間でも壊すところがあるのかと聞くと、将来的には壊せるところは全て壊し、切り通しの法面も埋めてしまうそうだ。

 

なるほどいい事を聞いた。その男性にお礼を言うと車に戻り、先に進む事にした。ところが車に乗ってから「どこの役所」の人か、また高架橋の一部を壊したのがいつかを聞き忘れてしまった事に気づいた。男性の方へ戻ろうと思ったが男性もすでに車に乗りこんでしまい、車を止めてもらってまで聞く気にはなれなかったので、しばらくそこに待機して、車の後を追わせてもらう事にした。

車は運良く呼子の方へ向かうようだった。肥前湊から先は呼子線はトンネルで抜けており、姿がつかめない。一方、道路の方は七ツ釜付近から曲がりくねりながら、小さな峠を呼子線の上で越える。この辺でトンネルから出た路盤が見えるはずである。七ツ釜への道の分岐を過ぎたところで例の男性の車は路肩に寄って止まってしまったのだが、路盤の姿は見当たらない。別の仕事でとまったのだろうと思いその場は追い抜いてしまった。しかし車を追い抜いても路盤はなかなか見えてこない。手元の資料では肥前湊から約3キロで屋形石の駅に着くはずなのだが、車のメーターで計って4キロを越えても見当たらない。これは行き過ぎたと思いUターンして、地形から「これぞ路盤が出てくるか」と思った小道に入ってみたのだが、結局もとの国道204号に戻ってしまい。この時は路盤を見つける事ができなかった。

 
柱状節理の玄武岩がそそりたつ崖に七つの竈が口を開ける七ツ釜。
屋形石駅予定地付近にある。 

せっかく唐津まで来たのだからこの辺で路盤探しはお休みにして、七ツ釜を見てみる事にした。七ツ釜は例の男性の車を見失った付近から小道に入りしばらく行ったところだった。最寄り駅予定地はは屋形石だろうが、駅からだと結構歩くかもしれない。七ツ釜は、唐津市北部にある海蝕窟で、柱状節理の玄武岩がそそり立つ岩場に7つの竈のような洞窟が並んでいる。海に半分沈んでいるような竈の周辺の水は透き通った青であり、非常に美しい。空も雲ひとつなく晴れ渡っており、全く運のいい日に来たものだと思った。今年は台風の当たり年のようで、九州入りの直前にも超大型の台風が九州を襲っていたのだが、運がいいことに私が九州に上陸してからは、晴れた日ばかりで、厳しい残暑が続いている。玄界灘の青い海、青い空、そして七ツ釜周辺の奇岩と「なんと絶景な事か」。こんな観光資源の豊富な地域を走っていながら、ついに開業でずに姿を消してゆく運命となった呼子線の事を考えると「なぜ80年代に筑肥線改良と連動して開業させる事ができなかったのか!」と、悔やまれる。


さて時間もない事だし再び車に戻り、国道204号を呼子方面へ向かう。この時も、路盤がないかどうか見てみたのだが、結局見つからないまま、呼子の市街地の入口まで着いてしまった。ここから国道は港のある市街地までちょっとした山を切り通しで抜けるのだが、呼子線は一旦、大きく北に首を振った後、その国道の切り通しのある、小さな山の上の呼子駅を過ぎて国道をまたいで伊万里方面へ向かうはずである。手前の路盤と呼子駅を見るべく、切りとおしの方へは進まずに海岸沿の外周道路へ右折した。しかし、この付近もまたトンネルで抜けているらしく、路盤が見つからない。考えてみれば、肥前湊を出てから全く路盤に会っていない。高規格すぎるのも困り者だと思いながら走っていると。川もないのに橋がかかっている。渡りざまに河床に目を向けてみると、これは川ではない。切りとおしで呼子駅へ抜けている呼子線だ。「ここだ」とは思ったもののUターンできるところを探しているうちに道が工事で狭くなってしまい、更にUターンできないでいると、雑多な朝市通りに出てしまい、いよいよUターンはできなくなってしまった。しかし、こう見ると、賑やかな街だ、通りも活気があるし壱岐へ向かうフェリーのターミナルや、真っ白に輝く呼子大橋の斜張橋も見える。本当になぜここまで開業できなかったのかが悔やまれる。


呼子は朝市で賑わう町、写真奥には壱岐へのフェリ
ーのターミナルや呼子大橋の真っ白な張斜橋がある。
呼子駅の伊万里方の橋脚。これより先は全く手付かずとなっている。


朝市の通りを抜け、再び国道204号に戻り、唐津側に引き返し市街地からの坂を登っていくと切りとおしの両側に呼子線の橋脚が現れた。これは呼子駅を出て伊万里方面へ向かうものだが、呼子駅の先の工事はこの橋脚を造っただけで終わってしまったはずであり、この先には建設された路盤はない。ということは呼子駅はこの左手の小高い山の上にあるはずである。しかし、駅を探して小道に入ってはみたものの結局見つけられなかった。ここで、佐賀へ引き返すタイムリミットになってしまった。今回は計画の建て方を誤ったか、時間がなくてあまり路盤を見つける事ができなかった。呼子駅が見つからなかったのは残念だが、このまま長居すると「さくら」に乗り遅れてしまう。また車で九州入りしているはずのS氏らにも会えたら呼子で落ち合う事にしていたので、名残惜しいが見つからなかった路盤を探しながら引き返す事にした。

 

 
屋形石駅の予定地付近。
路盤が広くなっているのが分かる。

呼子から204号引き返す。往復すれば何か見つかるかもしれないと走っていると、道路の左側を、来るときは気づかなかった路盤らしき築堤が並走しているのが見える。「これは!」と思い左折すると、来るときは屋形石の駅を探して入った道だった。ちょうどトンネルと、トンネルの間から路盤が出ており、また一部の路盤は低く、公団が作ったものと思われる取り付け道路の準備工事の法面が見える。資料と地図で確認してみるとここが屋形石の駅予定地らしい。2度通ると発見があるものだ。
屋形石の駅を後にして、204号を走るとまたしても来るときは見えなかった高架橋が左手に見える。しかもここはあの役所の男性の車が止まった付近だった。やはりあの男性は路盤の調査をしていたらしい。ちょうどここは、第3湊トンネルが呼子側に口を開くところで、先に見える屋形石トンネルを抜けて先ほどの屋形石の駅に出るのだろう。





七ツ釜への道路が分岐する付近を過ぎ肥前湊を過ぎて、小さな山を越えて再び相賀に出る、だいぶこの付近の地形と地名を覚えてしまったものだ。肥前相賀付近を過ぎるとあの海岸線を路盤が走る区間だ、S氏とはこの先の海岸沿いの呼子線の高架橋が見えるセブンイレブンで待ち合わせにしていた。まもなくS氏の乗ったレンタカーのスターレット(これが所沢で借りたもの)がやってきた。S氏らとともに再び浜に降り立ってみた。本当に今にも列車が走ってきそうな高架橋だ。S氏らも走ってくる列車を思い浮かべながらシャッターを切っているのだろうか。智頭急行や北越急行が開業し、今このように構造物が残っている未成線は開業が絶望的なものばかりになってしまったが、そんななかでも開業の夢を語るのが未成線めぐりの醍醐味でもある。玄界灘にしずみ行く夕日を浴びて輝く高架橋をバックになんとも哀愁に満ちた光景であった。




呼子線(4) 路盤の今後の処遇

リメイク_リバイバル_アーカイブス
この記事は1997年8月に取材されたものです。


取材1997年8月
ムーンライト松崎

幻の鉄道建設公団AB線
呼子線




(4)路盤の今後の処遇

今後の路盤の処遇だが、すでに壊してしまっているのを見てしまった以上、開業の可否すら論じる事ができなくなってしまった。しかし何度も言うがもったいない。今年の秋は土佐くろしお鉄道の宿毛線が開業したが、この呼子線は宿毛線よりも採算性がいいのではないのだろうか。電化すれば博多まで1時間40分程度で到達できるだろうし、また下り方向の呼子方面にも七ツ釜や呼子の朝市、壱岐へのフェリーといった観光資源が豊富である。

第3セクターとしての開業を考えなかったのかと唐津市を訪れた折に、担当の方には聞いてみた。開業できない理由を丁寧に説明してくださり、その事自体は誠意があって感じが良かったのだが、話している内容は今の時代鉄道など利用する人はなく、採算が取れないのは目に見えており、建設は不可能だとの主張で建設に関しての意欲が感じられなかった。どうやら、赤字必至のやっかいな第3セクターなど建設したくないのが本音だったらしい。このあたり、赤字の転換第3セクターが問題となっている昨今、AB線を引き継いで実際に開業した線区は、収支予測云々より、地元の雰囲気盛り上がり次第で決定されていったきらいがある。盛り上がらなかった線区はこのように立ち消えとなっていったのだろう。

こう未成線の再生の現場で感じるのは開業できるも、できないも地元の意欲次第だという事である。以前訪れた岩日北線の路盤を抱える山口県の錦町は、すでに出資している開業区間の錦川鉄道の経営すら危ないのに、その先の未開業区間もなんとか公共交通機関として再生できないかと模索していて、そこでは相当の熱意を感じた。地元住民の意識が高まって、自治体が腰を上げなければ第3セクターの建設はありえないのである。

JR化10年を迎え、かつての第3セクターの優等生と言われていた三陸鉄道でさえ赤字基調となり経営は厳しい。また、鉄道に限らず第3セクターによる事業の赤字が社会問題となりつつあり、マスコミをはじめとした世間の目も冷たくなってきた。しかし、住民の足としてまた地域の活性化として役に立つなら、赤字覚悟でも建設してもよいのではないだろうか。観光資源や通勤の便など付加価値が高いこの呼子線の区間は赤字覚悟でも建設すべき区間だったのではないだろうか。すでに90%以上が完成している路盤は取り壊され、その跡地は国道のバイパスになるという。投入されるのは税金である。開業寸前だった鉄道施設を壊し道路を建設する。用地の一部は買収済みとはいえ、第3セクターの赤字など消し飛ぶ程の経費がかかる道路工事がおこなわれようとしている現場は、路偏重財政という日本の体質を端的に現していた。