2022年7月14日木曜日

(9)新居浜駅〜三島川之江BS

2020年2月17日(月)(3日目)

区切 新居浜駅 8:20

このブログを前から読んでいるか後ろから読んでいるか。お遍路ブログは全部通しで読むのではなく、自分の歩きたい区間をピンポイントで読む人も多いと思う。これより前は自分も18年かかって結願している事の思い出しであるから、メモとして残っている事以外はだんだんとうるおぼえになってくる。

さて、新居浜駅から三島川之江の間には打てる寺は無い。細切れの遍路旅にはなっているが、いちおうの約束として、全日程において、1寺も打たない「打てず遍路」はなるべくやらないという事にしている。ただし歩きで歩くからには、1日歩いても打てない区間が高知や愛媛には多々存在するのである。ここも64番吉祥寺から県境越えにかかる65番三角寺までの区間まで44キロの距離があり、健脚でも1日の設定は苦しい。通常は、「四国遍路ひとり歩き同行二人」の遍路地図のA4見開きの3万分の1の地図の横の図で2枚ちょっとが限界というのは長い遍路旅でだいたい分かった事である。ここの区間は2枚半あり、自分の足では難しい。日程を延長して連続行程として観音寺までは出てしまうという事もよぎったが、帰った後の予定がきつくなるため、予定道理に帰る事にした。この後の日程を見れば分かると思うが、この時まさにフリーランス活動を始めた元年であり、概ね10日~20日の間は遠征取材日として開けるビジネス設計としている。

さて、伊予西条で連泊したので、新居浜には8時20分着。本音は、国道11号沿いにあるビジネスホテルのMISORAにしておけば、戻る手間もなかったし、良かったのであるが。この区間は初日に無理があったのと、前述の通り、先行きが長いので、この後香川ステージで連発する、線路沿いの区間はビジネスホテルに連泊して、列車で区切り点まで移動する事にしたて効率化したのである。しかし、新居浜に限って言えば、11号から駅がだいぶ奥まったのと、新道工事のために、道を迷ってしまい、30分強のロス。10:12分。最終日はケツが決まっているので、朝からピッチが遅れるのは嫌である。

 この3万分の1の地図っていうものは、進むようで進まない。中には5万分の1で作図されている所もあるので、遍路地図を参考にされる方はここを注意しないと、「アレ?なんでだろう」って思う事になる。

 てな訳で、地図に描かれていない所に新居浜駅があったので、地図に戻ったのもつかの間。国道から離れて、21.9Kの関の戸をすぎたあたりからお腹が痛くなり、道の下でピークに、、、ま、、、まずい

「漏れる」

すると遍路道から離れた11号沿いにアポロマークのガソリンスタンドがあるではないか。遍路地図の解説編にガソリンスタンドは自動車の給油のための施設であり、お遍路さんお断りの札がない事を祈る。なんて戒めの言葉があるが、色々汚したり、いつまでも出て来なかったり問題がある人も多いのだろう。

ともあれ、田んぼの向こうに見えたので、あぜ道を突っ走り、水路を飛び越え

「トイレ貸して下さい!」

と。トラック野郎の一番星ばりに凸激して、危惧していた断れる事もなく。無事、事なきを得た。後にも先にもお腹が痛くなったのはこれきりだが。女性のお遍路さんはこのような打てず区間はトイレマネジメントが大変という事は予め。四国は道の駅が多いのと、コンビニも少なくもないのだが、山間部は要注意である。地図には「10:35う〇こ」と記してある。


今日は国道を避けて、旧街道を延々とゆく。

さて、遍路地図の次のページが単調な事、単調な事。3万分の1の地図を延々と横に歩いて行くだけである。途中の伊予土居で12:00時で正午のチャイムが鳴る。このあたりで飽きてくる。ただ、逆算すると、残り8Kmほどにまだ3時間半の余裕があるので、長野までの終電に間に合わない事は無さそうなので、ここは安心して歩いて行く。


前から不思議な愛媛ナンバーの字体。県名一文字の時代で「愛」の愛知と間違わぬように妙な字体でこちらを、二文字の「愛媛」としたのだろうが、最近ようやく普通の字体になったようである。

2月の気候は寒すぎず暑すぎず、歩行速度を伸ばすのには良い。平地歩きならかなりアベレージが伸びるであろう。根々見のバス停の所で、国道の反対側に出てまだなお進み、豊岡小学校を過ぎて13時11分。

地図のページが変わる。ここでいよいよ。愛媛県は最後のページである。下段には愛媛最後の霊場65番三角寺、その先には愛媛、徳島、香川県境が描かれている。

今回の旅は、次回の国境越えに備えた、登り口までの旅である。


向こうに海が見える、いい感じの木造駅舎の伊予寒川駅


伊予寒川のあたりで、伊予三島駅を打ち終わりとするので、遍路道から逸れて国道へそして、県道123号へと入ってゆく。このページに入ったあたりからは直接は見えないが海辺の香りがしてきており、標高は海抜なのだと思うと、次回の県境の三角寺〜雲辺寺がどうなるか。ちょっと予測がつかない所を考えるようになった。

後半は安心して歩みが遅くなったか、伊予三島駅には14時55分着。

行きのオレンジライナーを三島川之江BSで降りて遍路姿に着替えて、礼をし、三島川之江BSから、伊予三島駅までは遍路として歩いて、伊予三島駅で区切りの礼をしておいたので、次回は、伊予三島駅、三島川之江BSどちらから歩いても良い事とした。

これでいよいよ県境越えとなるのであるが、この後、厳しいコロナ渦がやってくる事になるのである。


今回から帰途は鉄道となった。8000系電車のリニューアル編成のアンパンマン仕様に当たる。思い出しながら書いていると、あのとき乗ったのは一瞬8600系だったけななんて思う変貌。指定席車はウッド調で、8600系より高級感があり、乗り得な感じさえする。特急「しおかぜ」を岡山方面へと向かう、思えば8000系電車の特急に乗るにも、「宇和海」だったり、帰りが松山空港なので松山へ戻ったりがほとんどだったが、今回遍路旅で、発心の時以来の鉄道での瀬戸大橋経由となった。

土佐ステージで慣れ親しんだ2000系気動車特急にも後継車が現れた。紆余曲折があったようで、TSEを経て、2000系気動車の開発に始まり、8000系電車となり。いよいよ置き換えとなった8600系電車は空気バネ式の車体傾斜を採用したものの、新規開発した気動車の2600系で同様の車体傾斜機構を採用した結果、土讃線のハードな運用で空気不足(名目は)が発生し、2000系同様の振り子式ながらベアリングガイド式を採用した2700系が登場。JR北海道では諦めてしまった高速化の努力が未だ進行中なのは頼もしい。遍路歩きで歩いていると、「金を余計に払っても乗りたい」と思わせる存在感がある。

区切 伊予三島駅または三島川之江BS 


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