2015年7月19日日曜日

呼子線(2) 呼子線の路盤の現状(1日目)

リメイク_リバイバル_アーカイブス
この記事は1997年8月に取材されたものです。

取材1997年8月
ムーンライト松崎

幻の鉄道建設公団AB線
呼子線





呼子線の路盤の現状(1日目)

8月20日、この日は唐津市役所で情報が手に入らないものかと思い、博多から筑肥線経由で唐津へと向かった。福岡市営地下鉄から唐津へ直通する列車は意外と少なく、ほとんどは姪浜か筑前前原での乗り換えを要する。待てば直通列車もあったのだが、合間を使って姪浜と筑前前原の様子を見てみる事にした。

まずは姪浜。ホームに降りて思ったのは、何と人の多いことか。始発電車が発車するホームにはすでに長い列が出来ている。電車の行き先は福岡空港、西鉄宮地岳線と直通の貝塚方面であるが、ちょうど9時前の出勤タイムとあって、どの電車も東京近郊の私鉄の電車並みの混雑である。

筑前前原にも移動してみたがこちらも同じような状況、6両編成の始発電車はすでに席が埋まっている。ところがまもなく唐津方からやってきた折り返し西唐津行きの電車は3両編成。乗り換えの客をドッと吐き出した後は乗る人もまばらで、赤とシルバーの塗色にリニューアルされた派手な103系の車内はガラガラだった。

筑前前原を出ると電車は海岸に近い所を走る。夏の玄界灘は真っ青で非常に美しく、夏の日差しを受けてキラキラと輝いている。途中で福岡空港行きの1日1本の快速と交換したのだが「何と乗っていることか」博多に着くのは10時過ぎだから通勤のためだけではないだろう、福岡空港へ向かう客だろうか。すし詰めの状態だった。

 

行楽客風の家族が降りると虹ノ松原。ここを出ると、呼子線として新規に建設さた区間に入り高架へと駆け上がって行く。右へ昔の東唐津へ向かっていると思われる廃線跡を見ながら高架の東唐津へ着く。松浦川を渡り、佐和田を過ぎ、高架へ上ってきた唐津線と合流して唐津へ着く。唐津線だけの駅だったころの唐津駅を私は知らないが、高架化されたこぎれいな駅舎で駅前には大きなロータリーが整備されていた。

さて唐津市役所で呼子線の状況を聞いてみることにする。実際に案内されたのは都市開発課であり、詳しい話を聞くことができた。

まず高架の解体の件であるが。解体するというほ本当のようで、現在、工事を発注している段階であるとの事(しかし、では「旅」誌の表紙は何だったのだろう、国か県の道路予算で壊したのだろうか。)

サイクリングロードとして使う話は実際にあったようで、実現する方向へ行きかけたそうだが、長いトンネルは照明をつけても防犯上好ましくないと問題になり、断念してしまったようだ。話を聞かせてくれた職員の話では「サクラでも植えたらきれいでしょうね」などと話していたが、実際の活用は公共性の強い「皆が使える施設にしたいと考えているとの事だ。しかし、草刈り等の費用の負担も馬鹿にならず、また道路や河川を目的もなく占用しつづける訳には行かないらしく、壊すところは思いきって壊してしまう事にして工事を発注したとの事だ。

また最近は国道のバイパスとして使う計画が急浮上してきたとの事だ。どう考えても単線鉄道企画のトンネルでは車は走れないと思いそこを質すと、実際に使うのは用地のみで、高架等の工作物は取り壊し、トンネルは掘り直すらしい。今は話が出てきた段階で関係機関と調整をしているとの事。私が来る前は国鉄清算事業団と話し合っていたようだし、話している最中は建設省の本庁から電話がかかって来ており、どうやら話は本格的に進んでいるようだ。

しかしまあ、なんとご苦労な話ではないだろうか、掘り直すカネがあるなら開業できたはずである。財源が全く違うとはいえ、もったいない話である。ここにも「まず道路ありき」の日本の政策が見え隠れする。鎮西町や呼子町など、同じ沿線の自治体はどうするのかと聞くと、無償なら引き取る事にしたようで、路盤の一部を農道として使うようである。いずれにせよ工作物は撤去するようだ。

さて唐津市役所を後にして、西唐津まで向かってみる事にする。今回は2日に分けて調査する事にしており、今日はクルマを手配していない。西唐津までは「電車」である。唐津駅に戻り、周遊券を見せて改札に入り、ホームへ上がるとちょうど西唐津行き電車が到着したところだった。筑肥線の103系もJR九州独特の派手なカラーリングの電車が多くなったなっているが、珍しくスカイブルーにクリーム色の帯を巻いた電車が止まっていた。

前3両だけが西唐津へ向かうようで、発車前に一度ガクンと前進した後、再びドアが開いた。まもなく再びドアが閉まり、列車は動き出した。唐津を出ると昔の唐津線の旧線直上を走っているのか、小刻みにカーブを切りながら進む。しばらく行くと突如、途中で切れた高架橋が左に分岐しているのが目に入った。これは一体どうした事か。その高架が視界から途切れるとまもなく高架を降りてしまい地平の西唐津駅に到着してしまった。西唐津は高架かと思ったが駅の端には車庫(唐津運輸区)があり、これがあるためにとりあえず地平ななったのだろう。

折り返しに乗る佐賀行きの唐津線まで時間があるので、先ほど見た奇妙な高架橋まで歩いてみることにした。しかし、暑い。うだるような暑さだ。まったくとんだ日に来てしまったものだ。しかしブツブツ言っていても何も見つからない、線路沿いの道を黙々と唐津側へ歩く事にした。


奥に見えるのが、呼子線の取り付け準備工事部分。


一旦住宅に遮られながも7,8分程で例の分岐部分に到着した。西唐津へ向けて若干右にカーブを切る唐津線の高架橋から分岐する形の高架橋を接続できる台座が見える。途切れた高架橋の先には更地の用地が続いており、多分その先にの高架橋が建設される予定だったものと思われる。これは呼子線のものと見て間違いないだろう。もし呼子線が開業していたら西唐津も高架駅になったはずで、この高架橋は西唐津駅は高架に移る事を前提に、暫定的に地平の西唐津駅に降りる連絡橋をつけたものと推測される。今の唐津線の線路は呼子線の開業後は唐津運輸区への出入庫線になる予定だったのだろう。しかし、「幻の鉄路を追う」には呼子線は現在の地平の西唐津を出て国道204号を踏切で横切って唐津トンネルに入るとある。とすれば、高架橋の断面は何なのだろうか。おそらく、将来的には西唐津も高架化するための準備工事なのかもしれない。また、よく見ると今使っている唐津線の向こうにも道をまたぐ地平のPC橋が見える。線路標識の残骸などもあり、どうやら更に古い高架化前の地平の唐津線らしい。なんともここでは新旧の線路の移り変わりと挫折の跡を一度に見る事ができるのだ。

呼子線の取り付け部を見たところで、この日は時間切れとなってしまった。




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