2013年4月26日金曜日

こちらも繁忙期

世間様では大型連休と言っているが、ここが勝負。昨年、自分が繁忙期だったため、定点観測を怠ったら予想以上の速度で工事が進行していてビックリしていたのであるが、法面崩落の処置も終わりに近づいたようであり、擁壁のコンクリ打設が始まっているようである。


下流側定点より、一見、まだ法面崩壊の処置をしているようにみえるが。


前後の作業ができる区画では急ピッチで工事が行われている。擁壁や底板となる部分の鉄筋が組まれている。一部はコンパネが張られており、すでにコンクリが流し込まれている箇所もある。


八幡橋部分。重機の頭が見える。橋の建設準備だろうか。


この工区にも通水門取り付けられているようである。落とし込み式のゲートが2基ついている。




上流側定点より。さきたま緑道の側からの観察が容易なのであるが、前回と違って、ここから内部の様子はいまいち良く見えない。


2013年4月24日水曜日

嗚呼。繁忙期。

ヘドが出そうな位忙しいとは良く言ったもので、まだ繁忙期の入りの口だというのに挫折感が漂ってきた。何しろ、今年は体調が悪い。点滴と鎮痛剤を打ちながら仕事っていうのは、、、これは厳しい。仕事内容を甘めにしてもらってもなお、体がついていかない。

そして


読まずにたまったジャーナル誌。休業中は発売日に買ってきて、だいたいその日のうちに読んでしまったものだが。毎日が日曜日だったあの頃が不思議と戻りたいとは思わないものの懐かしい。何しろ、何か本を読んでるか、ディスプレイに向かってるかどっちか。模型をやる気力もなかったし、撮影は行けないし、無線機のスイッチを入れるとSSBの雑音で頭が痛い(これは今も)だし。まぁ、今月の上旬に一瞬、光輝く瞬間があったが、すぐに繁忙期。まぁ、母の日が過ぎれば戻るでしょう。

明日はスクランブル配車が来た。行先は栃木。まぁ、、、近くだし。午後だし、、、いいか。

2013年4月22日月曜日

法面の補修中

今年の春は忙しい。景気が良くなったような気はしないし、ここの所、寒波が入っているのに、流通量が爆発している。昨日は、山間部で雪。チェーン規制である。関越道は規制はなかったようであるが、まぁ、ノーマルタイヤ車だし、スタッドレス車も東北、北海道へ行く車も含めて、既に交換してしまっていたので、雪の降る前に行っておいて良かった。正直、関越トンネルの向こう側は薄っすらと降ってはいたのだが、あの後、本格的に降ったようである。

予定配車が出たようである。この業界、GWという言葉はないので、GW中運送が止まる一般貨物の車のアルバイト運用を頼んだようである。自分はナニやら5月の5日から北海道から大阪まで。組み込まれているようである。GW中なので、北海道は往復新潟からのフェリーにしてもらったようなので助かった。東北道の渋滞にハマったら帰ってこれない。大阪行きはGWが終ってからなので渋滞は問題ないであろう。



さて、忙しくてなかなか見れないこの工事。でも、ここも大変な事になっているようである。この方たちもGWなんてないのかもしれない。




下流側からの方が分かりやすいようである。崩落した法面の補修は終わりに近づいたようで、ブルーシートがかけられている。流路内に崩れた土砂の撤去作業を行っているようである。


崩落箇所の上側から。土砂を取り除きながら、崩落防止で重ねていた、土嚢のトン袋を撤去しているようである。


同じ箇所より流路下流を見る。崩落の処理がメインのようで水路の作業はここ1週間ストップしているように見える。


予期せぬ崩落で工期が押しているようである。



上流側定点より。今の工事はこちら側からはあまり作業内容が見えないようである。





2013年4月21日日曜日

115系に使うクーラー類到着




ありそうで無い屋根上パーツ。とりあえず。屋根上とクーラーを揃えた。GMのインバータークーラーセットも欠品だの廃盤だのと言われていたのであるがTamTamに3セットあった。しかし、店舗からの取り寄せなのか、到着まで1週間弱かかった。後は、モハ114用のTOMIXの屋根とAU75G型を4つ。それから交換用の通風器である。



AU712搭載の旧新潟色が改造の本命だと思うが、プロトタイプの考察にまだ時間がかかりそうなので、4両L編成の考察。先頭車化改造でない先頭車が組み込まれた。無線部分が白灰編成となるとL8編成あたりがプロトタイプであろうか。クーラーはモハユニットと片方のクハ115がステンレス製が特徴のG型となる。






2013年4月20日土曜日

仕事が忙しく

いかんせん、年間の半分とは言わないまでも、3分の1を4月と5月の第2週までに稼ぎ出す業界なので、いよいよもって、コマーシャルが忙しくなった。小生、トラックを降りたドライバーの筈が、こちらの流通部門の物量が強烈に増えたため、運送部門がパンクしてしまった。このご時勢に、人手不足、トラック不足。ってな訳でバイトと派遣でできる流通の仕事は最低限の社員が監督して派遣にやらせ、「乗れる」人間はゲリラ的に召集された。小生も時々ヘルプに入る事に。ナニやら「北海道」などとキナ臭い行先もチラついているのであるが。

で、、、、


今日は新潟。信濃川沿いの取引先に納品。しかし、新潟はいいねぇ。関屋駅の近くだったので、トラックを何処かに停めて越後線とか、関屋分水路とか見てきたかったのであるが、朝は昨日22時まで仕事で、ギリギリの出発。ケツはケツで16時に医者の予約が入ってるというタイトな状況(今日は本来は休み)で。本職ドライバーだった時は朝1時間早めに出て、トラックを停めてプラプラするのが楽しみだったのだが、それは閑散期の話で、さすがにこの時期にその余裕はない。収穫が無かった訳でない。店の前の道がなんだか中途半端に広く、場所によって、車線変異機構なんぞもついてるので!?と思ったら1900年代初頭に廃止された新潟交通の路面共用区間の東関屋駅へのアプローチ部分だった。白山前まで結構距離があるから。結構長い区間を共用していたようである。ちなみに、白山前駅は県庁前駅だったのであるが、県庁は関屋駅の信濃川を挟んで反対側。切れているが上の写真の信濃川対岸やや右側に移転している。

まぁ今日は6時間寝て、4時に起きて、積込は昨日のうちにしておいたので、5時発。9時に新潟に着いて10時出発。14時に帰着と。なんやかんやで15時になってしまい、一旦家に帰って医者に行ってと、、、ひぇーー忙しい。(本来は今日は休み)休みがないのが当然の3週間が始まった。まぁ、本職ドライバーではないので普段は物流をしつつ、ゲリラ的にしかも長距離の仕業が入るのが怖いのであるが。冷静に考えてみると新潟って市内は往復すると遠いんだよね。

何だか、新潟。また来る気がする。今度はフェリーに乗りに。ここはいっその事北海道の配車が入ってくれれば、新潟からフェリーに乗ってる日は休みのようなもので、、、、逆に良いのだが。

2013年4月17日水曜日

上沼垂運転区?

オクで買い集めたり、色々で増えた新潟色115系各種。カミヌッタリ風ですな。


緑編成は3セットを組成変更して改造。先日購入した旧新潟色も含めてこんな感じ。緑編成は奥から4両L編成。2両S編成。3両N編成。結局S編成は両端1000番台になり、余剰のクハ115とモハ114でL編成を構成。モハ114に動力化してクモハ114となったクモハ115から発生した屋根と下回りを移植し、パンタ無しのモハ115とした。L編成は0番台が入ったり、組成が各種あるが、両端がクハ115となるタイプのL編成である。しかし、当たり前だが、モハ115の屋根が寸足らず。どうしよう。先頭車化した時に切断したモハ114の屋根板が見当たらない。

う~~~ん。しかしバリエーションが多すぎて、何が正解なんだかエラーなんだか分からない。究極のアンチョコを発見。
ここに新潟の全編成と屋根上の構成が書かれている。問題となるのは1000番台か0番台か。そして、クーラーであろうか。AU75搭載車でもG型になっていたりする。それから、通風器の位置。これがまた、バリエーションが多くて、、、。こりゃ改造も長引きそうだ。


細々と運用中。




当局のメインステーション。50MHZ以上とFMが壊れた無印IC706。古いリグなのと移動免許なので50W認可であるが、ローバンドではちゃんと50W出ているようである。

コマーシャルが忙しい時期に入ってしまい。1週間に何日か運用して、声がけで数局できればいいといった状況。なかなかCQ出すまで行かないね。

あとはCWの練習は例のhttp://lcwo.net/で少しずつレッスンを行っている。頭の中で線と点で覚えていた符号を耳コピですぐに変換できる練習。送信の方は、エレキーのおかげで、結構スムーズに覚えられそうだ。現状。コピー速度より送信速度の方が速い。コマーシャルも忙しくなってきたし、CWデビューはまだ先だなー。コンディションが良くなる頃には出たいのであるが。

ちなみに先日初めてJH1PRTコールサインでの、QSLカードをビューローにした。(薄い)

2013年4月15日月曜日

200系あさひ。リニューアル車。

200系の方向幕を変更した。90年代から2000年代初頭と、特に年代設定を行っていないので、車両の時代設定は個々に行って良いものとしているのであるが、「とき」ばかりになってしまうので、200系リニューアル車は、方向幕を全車に貼る前に「あさひ」に仕様変更した。合わせて喫煙車がある為、禁煙マークも変更。



2013年4月14日日曜日

武蔵水路。もう一つの側面。

今日も日曜だというのに工事が行われている。毎日危険な場所での工事ご苦労様です。小生、事故った事もあって、かなり過敏になっているのもあるが、並行道路での通行上の安全に対して意見させてもらいたい事があり。鹿島の事務所に飛び込んだ、、、、ところ、、、工事の皆さんでこのブログを読んでもらっているようで。有難う御座います。今日の事は「ウルサい奴が来た」ととるか「今日も1日作業員は勿論、道路交通も無事故で頑張りましょう」と取るかよろしくお願いします。



さて、今日は川元橋定点より上流を望む。なんで土嚢が積まれているのか分からなかったが、法面が崩壊したらしい。余計な工事が増えて難航しているようである。中央流路を分断していた矢板は抜いている最中のようで、コンクリートの壁が見え始めている。


例によって油圧ジャッキで矢板を抜いていく。新しい壁面が姿を現してきた。



工事の皆さんがご覧という事で、恐らく知らないであろう、武蔵水路のもうひとつの側面をご紹介しよう。これは2006年12月27日の写真。突如として襲ったゲリラ豪雨である。12月としては信じられない豪雨となり、小生の住んでいる地域は武蔵水路の「上手」にあたるため、大きな水害もなく住んだが。武蔵水路とサイホンで直交する水路の下流域、武蔵水路から東側に離れた地点はご覧の通り。


これは湖ではない。内水排除先がない為、水が集中し、湖と化した市ノ縄地区。


対して、武蔵水路周辺域は水路に内水が排除されたため、さほどの被害ではない。上の写真の場所も本来なら見渡す限りの水田のはずである。



その頃武蔵水路では何が起こっていたか。利根大堰が閉まり。「内水排除モード」になっていた。流れている水は利根川からの通水ではなく。、洪水である。




川面水門が開かれている。元荒川および、忍川の洪水を武蔵水路に流入させている。




糠田排水機場。6基あるディーゼル排水ポンプが唸りを上げている。



糠田排水機場の排水門。奥が通常の樋管であるが、洪水時は荒川の水面も高いため、ポンプにより、強制排水しないといけない。

このように東京への水の供給だけでなく、我々を洪水から守ってくれているのも武蔵水路である。ただ、写真の通り、水路も排水機も老朽化していて限界が近づいていた。工事の皆さん、あと2年。無事故で頑張って下さい!。そして新しい水路が完工しするのを心待ちにしています。






2013年4月13日土曜日

桜咲く安曇野へ

ここの所、お袋が安曇野の山並を見たいと言うので狙っていたのだが、休日にばかり雨が降ってNG。しかし、今日の天気予報では全国的に晴れ。来週からはいよいよコマーシャルが忙しくて休みが無くなりそうなので、このチャンスはないとばかりに出発した。しかも、松本周辺は関東から2週間程遅れて、ちょうど桜が見ごろであった。以下写真の列挙。


まずは安曇野から。松川村のちひろ美術館より。桜と、まだ雪をいただいた北アルプスが綺麗である。この写真にはないがNHK朝の連続ドラマ「おひさま」に出てきた常念岳も綺麗に見えていた。



安曇野スケッチライン。「イヤッホウ!!!」と思わず車を停めて撮りたくなる景色。小生が現役のトラックドライバーだった頃は毎週のように通っていた道であるが、長野というのは厳しい配車コースなのだが、もう疲れも吹き飛ぶ解放道路である。



国宝。松本城。安曇野から降りた松本市街は桜が満開である。天守閣は長蛇の列。30分待たされた挙句、天守内の上下も1時間かかった。



天守より北西側を望む。ちょっとガスっていたのと逆光で露出が難しく、街に露出を合わせると山並みが飛んでしまった。お堀の淵では満開の桜の中、花見を楽しむ人々が見える。



開智駐車場に止めたので旧開智学校まで徒歩で足を延ばして見た。擬洋風建築を語るにあたって代表的な建物。西洋の建物を日本の棟梁が見よう見真似で立てたもので、建て方が尺貫法によるものだったり、何故か龍とか漫画チックな天使とか、不思議なレリーフがあったりと洋風と言うには何ともいえないミスマッチ。徹底的な洋風建築としては東京駅とかを見るとこれが当時としてはパチ物の洋風建築であったが分かる。しかし、今となっては貴重な建物である。小生、そんな「擬」洋風建築が大好きである。


こちらは、松本カトリック教会の旧司祭館。開智学校ほど凝っていない造りが生活感が溢れていて良い。実際に現役だとなおさらシビれるのであるが、、現役の擬洋風建築は上田に多いんだよね。


開智学校へ行く途中。タバコ屋のしもた屋。小生。こういうのにも弱い。なんでポストが横を向いてるのと思ったら。



バックに旧開智学校が写るみたいである。ちなみに手前の校門は現在現役の開智小学校。現役の小学校を通して遠景で旧開智学校が写る。これは確信犯で横を向けたのかな。



2013年4月11日木曜日

115系旧新潟色


オークションでジャンクで650円の値が付いていたので、応札してみた。

この115系旧新潟色には特別な愛着がある。小生が高校生だった頃までの塗色である。その後、現在の白とグリーンの新潟色となった。国境を越え、出迎えてくれるのはこのカラーであった。特に越後線にいたオールMの2両編成の加速力にはシビれるものがあった。そしてこのカラーリングの電車を一躍有名にしたのが1993年放送のドラマ「高校教師」のラストシーン。今やロケ地めぐりとして有名な青海川駅でのシーンに続き、青海川-鯨波間を行く115系(冷房化N編成)、旧新潟色。トンネルを抜けては海岸を行くシーンが印象的だ。車内シーンもまたいい。MT54のモーター音が切なく響く。そして、2人は車内で悲しい結末を迎える。、、、といった衝撃の思い出もあってかなり深い愛着のある車両。レイアウトにも海沿いのトンネルを抜ける区間が再現される。


ジャンク扱いされていたが、どうみてもレア物。すでに18件の入札が入っていたので「これは難しいかな」と思ったが、実際入札56件。詳細表示をすると190件を超える入札となった。先日、最後の原付、バーディ50を処分した資金があったので、過去に金を賭けた「モノはモノで取り返す」のが主義なので、GHDのキーを買ったりしたものの、予算は豊富にあったので、8000円くらいまではブチ込む予定だったが、結果は7000円だった。GMのキットベースであるが、自分で組み上げるのは難しい。新潟色なんて最も難しい塗色である。泣く泣く手放した原付に見合う品物が手に入った。


新潟レイアウト(車両紹介編)電車・気動車

GM

115系 電車 先頭車改造車(非冷房) 2013年オークション購入


越後、弥彦線電化直後くらいの国鉄時代の設定の車両であろうか。先頭車改造当初の姿の115系2両編成。GMのキットをベースに中間車の先頭車化改造車としてある。ベンチレーターの配置等に雑さがあったりするが、難しい塗装を上手く塗り分けている。ちなみに1両は動力入りである。GMの動力だろうか。今なら鉄コレ動力を入れる所、ウサギさんスタートの旧式動力のようであるが、問題なく走行するようである。カプラーは全車両端共にKATOカプラーとなっている。




意外とサードパティ製のパーツが使われているのでないのか、信号煙管や防護無線は勿論、前面手すりや方向幕横の手すりが取り付けられている。ライト類も点灯しないもののサードパティ製ではないだろうか。新潟色の難しい塗りわけの綺麗に表現されている。ただ、車両番号表記や方向幕表記などはない。(出品者的にはマイナス評定だったようだが、これはかえって好都合である)

当鉄道での設定

時代背景的にJR化直後位の古い時代を表現する。まだオークションで購入したツルシの状態だが、AU712インバータークーラーセットも購入してあるので、搭載して冷房化する予定である。実際この塗色で冷改されていた時期は数年しかなかった模様で、片方のユニットのみにAU712を取り付ける予定。もう1ユニットは更にクラッシックなイメージを残すため、非冷房で存置する。冷房化と同時に電動幕化された模様だが、方向幕がサボなのが難点か。それはシールを貼ってしまえばいいかな。



4両編成で行く115系オールM編成。2両編成に便所が付けられて便所無し編成が限定運用になったのは90年代前半だったと思う。それまでは「トイレなし車両で運転」と表記され、交換駅でトイレ停車を柔軟に対応する方式であった。この塗色は時代背景から便所無しで2両運用に入る。




片方の編成はAU712インバータークーラーを搭載してみた。GMのインバータークーラーセットだが、欠品の店が多く、手に入れるのに苦労した。クモハ114は屋根上が雑多な為、インバーター装置が車体中央に来る変則配置。もう片方の編成は非冷房のままとして、異なった時代背景を再現した。








2013年4月10日水曜日

KATO200系にパンタカバー取付G編成化


KATOの200系セットであるが、基本的に金型が変わっていない為、国鉄時代の仕様となっている。基本セットの6両だけで運転できようにする為、また、少しでもレイアウトの時代設定に合わせるべくパンタカバーを設置した。実車は1990年代前々半にはパンタカバーを設置したようである。240km/h対応の高速編成のF、H、K編成は高圧引き通し線が引かれたがG編成は各駅運用メインのため、高速化はされなかったがパンタカバーは設置された。

高圧母線があるため、最前部、最後部が予備パンタとなる高速対応編成は予備パンタ部の前後が風避け程度の防風板なのと違って全てのパンタを上げるG編成は全てが舟型のパンタグラフカバーとなる。


この改造ではもう定番であろうTOMIXの100系用のパンタグラフカバー。1車体で1つのカバーを使用する100系と違って200系は2車体にまたがる。このセットでは2階建て車両の手前のパンタに使用するBタイプが一番形状が近い。1セットから1組しか取れない。


2セットしか在庫がなかったようなので、足りない分は、Aタイプを2個イチにして、足を延ばして製作した。この方法で作ると2セットで3両分できるようである。Cはパンタカバーというより、二階建て車両の手前の車両の整流板であるがこれはそのまま流用できそうだが、足が短いのでちょっと使えない。Aを欠き取り加工して若干長めのものを製作する。正面の四角い凹みは200系にはないので、穴埋め加工を行う。


整形が終った状態。面倒なのは200系は片側側面のパンタ碍子の根元に角穴が開いている。これはピンバイスで穴を開けて角棒ヤスリで四角く広げて行くが。アヒャ!1基だけ大きくなってしもた。


塗色はアイボリーで塗り、チョン付けの接着剤で仮止めしてみた。うーん。やはり穴がデカい。フィッティングもイマイチか。後、裾は屋根と同色である。自動洗浄機で洗えないからか、このパンタカバー周辺はかなり汚れている印象があったので、ウェザリング加工で「あばた隠し」を行い、フィッティングと合わせて今後の課題。


これで基本セットだけの6両で運転できる200系の登場。6両にビュッフェもG車もついてるよ。あとは厳密に言えば、JRマーク(欠品の店が多いんだよな)と、運転台の側面窓の固定化。それから、禁煙車表記といった所だろうか。昔は中間ユニット売りしてたらしいけど、今回は増結セットのみ。中間ユニットばかり6両はイラネェなぁ。2両は先頭車化改造して100系顔を作るってテもあるけど、タネ車を探すのも大変なので保留。

2013年4月9日火曜日

水抜き完了。最終工程へ。


上流側定点より。工事のピッチが早い。すでに水が抜かれ、流路だった箇所には重機が置かれている。油圧ジャッキはセンターの流路仕切だった矢板を抜くのか、中央にセットされている。


下流側定点より上流を望む。防護ネットが外され現在の現況がよく分かる。やはり、流路境だった中央の矢板を抜いている最中のようである。




下流定点の仕切板。再度左側セットに変り、水が抜かれた。3回の止水を行ったが、今度、この仕切版を抜くときは流路が完工する時だ。



不思議な水抜き穴。この区間は昨年度に完工してる区間だから、何の水だろう。




各所で止水を行っているため、「ダム効果」で水位の上昇が著しい。そこまでして流量を欲張りたいのかと思うが、中央仕切より微妙に水位が高いようで、架設のパネルが取り付けられており、ジャバジャバと漏れている。




2013年4月8日月曜日

115系2両S編成(2)

前回、ラボは寒いので体調が悪いから放っておこうかと言っていた115系S編成。やっと温かい季節がやってきて、再始動。とは言ってもコマーシャルが忙しくなるから、また低下するのであるが、過去の工作記録を見ると、ラボは冷房が入るので夏場の工作が多いように感じる。

さて、どっから取り掛かって良いか分からず。とにかく切り継がなければならない。

エイヤ!


屋根板の切り落しは案外簡単だった。ただ、通風器が干渉するので、切りづらい。一体形成なので穴が開いてしまった。

手こずったのは動力の方。これは、「支線区のエース」として実際に走って貰うので、動力付で2両化する事にした。先人が言うように見事にライトユニットの車体側に干渉する。試しにライトユニットを外してみたが、それでも干渉するので、サンダー君の登場

ギャアアァァァァァ

と激しい音をたてて削って行くが思いのほかダイキャストが硬い。そのうち手元が熱くなって来た。ヤバい。調子をくれていると、モーターが溶ける。DCC化の時にやらかして大変な思いをしたので、熱くなり過ぎないように休み休み削って行く。

そして何とか、ライトユニットが入る所まで削れた。当ててみた所。

ははは。尾灯の位置はダイキャストに完全に潜ってしまう。DCC点灯なら何とか、尾灯とヘッドライトを入換えれば、ヘッドライトのみの点灯ならできなくもないような感じである。


資材がないので、今日はここまで。それでも2両編成らしくなった。細かい事を言うと色々あるらしいが

「とりあえず形になった」。

後はクモハ114のダミーカプラーの取り付けと屋根の整形。失ったホイッスルの取り付けといった所であろうか。クモハ114のジャンパ栓受けはないようなので削った。カプラーは動力のない、クモハ115の側をアーノルトとして重連に対応する事にした。3両編成を連結できるようにした時に余っていた連結タイプの長首カプラー付きDT21が余っていたので取り付けた。点灯ユニットはとりあえず本体を外してあるが、DCCのデコーダーを取り付ける時に考えてみる事にする。

ここまで来て「違うだろ」と思った方。その通り。この2両編成はモハ114とモハ115の先頭車化改造車で誕生したので、1000番台の制御付随車のクハ115をベースに作ってしまうと写真とは反対側の窓配置が雪切室の配置と便所がエラーとなる。それとクモハ114、115共に中間車からの改造なので、運転台側のベンチレーターが2基となっているのが特徴。ちなみに中間ユニットから改造されているので便所は無い。付いている車両は後年の改造で、窓埋め加工がされ、明り取り窓がないタイプとなっている。まぁ、越後、弥彦線電化の際に投入された初期車のS、Y編成にタネ車が0番台の車両があり、近い窓割の車両もあるが、それも便所やクーラーがエラーになったりで難しい。

ベタな改造方法はクモハ115の車体を背中合わせにして用いれば、方向幕窓を埋めるのとベンチレーターの削減程度の加工で済む。いやね。単品ものならともかく、予算がないんですよ。とりあえず、致命的な加工をするのを極力避け、エラーに目をつぶっておく。どうするかは今後の課題。とりあえず「お手軽加工」。ホラ、形は違うけど、便所がついてるから、2両で単独運用にも入るよ。


ダイキャストを削った際に熱を持ったので不安だったので、仮組みで試運転してみた。バラしていないが、モーターは無事みたいだ。

最もエラーの分かる角度。新造1000番台クモハ115に0番台改造のクモハ114?しかも便所明かり取り窓付き、方向幕付き。まぁ、脳内では、諸事情により新造車のクモハ115と初期型で0番台からの改造車のクモハ114がペアを組んでおり、便所は試験改造車につき窓があるという設定。

(後日談)

結局、無理があったので、セオリーどうり、もう1セット見つけて購入し、クモハ115の車体を使用して再改造し、クモハ114とした。余剰となった車両は組み替えてL編成化。



クモハ115を抜いて余剰となったセットは、S編成を作った時に余剰となった、クハ115を入れて背中合わせに組成し、同じく余剰のモハ114はTOMIXの屋根に通風器とAU75G型を取り付けて、パンタグラフのない中間電動車のモハ115とする改造を行った。N、S、L全編成が揃った事になる。


壮観な眺めとなった電留線。新潟の雰囲気バリバリとなった。