2009年9月30日水曜日

良いカメラケースが無い

小生の旅行に持っていく荷物で、永遠に解決していない物がある。

一眼レフのカメラバッグである。

どこにでも入る、コンパクトデジカメと違って一眼レフは何かと旅行中の保管に困る。

正直、カメラバックは持って行かない。

駅で荷物を預けない状態で歩く、ブラリ旅行は極力荷物を軽量化するのが鉄則。カメラバックは真っ先に荷物リストから削除されてしまう。よって小生はカメラはリュックの中にじかに入れている。小生の収蔵品の中でもクラッシックなT101は専用の革ケースに入っているのだが、最近の一眼レフは良いケースがない事もあって、じかに入れる事に。交換レンズは専用の筒状の革ケースに入れているが、ボディはムキ出し。200mmの「白い大砲」もカメラ装着状態ではムキ出しになってしまう。愛用のdeuterのリュックの内部構造が良く、完成度が高いためか、不自由はしていないが、場合によっては内容物とアタリが出る場合がある。これでいいのかなぁと思いつついい解決方法がないのである。

α7デジタルという、最近のデジカメにして、製造メーカーの消滅により、もはや、クラシックカメラの仲間入りしてしまったカメラを使っている物にとって、万一のボディの故障はン十万したレンズ共々葬り去られる危機でさえある。

自動車で旅行する場合は、ジュラルミンのケースに入れている、やっぱりこれが一番安全。一度、こいつを列車旅で函館まで持っていった事もあったが、死ぬほど重かった。現地ではレンタカーだったので良かったものの、往路の北斗星、帰路の飛行機供、ブルジョワな交通機関を使ったのにも関わらずギブアップ。やっぱいつもどうり、裸でデイバックに入れるスタイルで良かった。

何か良いバックはないものか。昔のカメラのような革のケースが理想なのだろうけど、レンズ交換による汎用性の問題もあるし、、、、。


昔ありがちだったカメラのケース。本当はこんなのが良いのだが。


ここ数年、定着したスタイル。カメラボディは直接バックの中へ。三脚はケースに入れ、リュックのサイドに挿す。三脚は安定性で納得のできる範囲で軽量でコンパクトなものをチョイス。


2009年9月29日火曜日

踏切

地方私鉄の沿線

ちょっとした路地を進むと小さな踏切に出会う事がある。

写真で踏切を描写する時、列車の通過や、人や車の渡る姿と合わせて撮られる事が多いが、実際の踏切は静的な待ち時間の風景の方が長い。

さっき、バイクがカタンコトンと音をたてて通ったきりだ。静かな時間。やがて静寂を打ち破り、カンカンと警報機が鳴り出し、カタコトと、軽快な音をたてて短い列車が通った。

そして、また長い静寂。

車一台が通るのがやっとの踏切はしっとりと雨に濡れていた。

AM7:30秩父鉄道、大野原駅付近

2009年9月28日月曜日

停車中の電車の音




まずは聞けたらこの音を聞いてもらいたい(10年前の古いファイルなのでRealplayerのコーデックのダウンロードを求められるかもしれません。)


何の音だかお分かりだろうか。

165系のMGの音である。

最近の電車で聞かなくなった音というとMGの音である。MGとはモータージェネレーター、電動発電機とも言うが、今のように半導体技術が発達していなかった昔の電車は、架線電圧の1500Vから車内の照明や機器など200Vの低圧電力を取り出すのに高圧で動作するモーターで低圧の発電機を回すという原始的な方法で行っていた。最近はSIV(静止型インバーター)の普及で新車には搭載されなくなり、また、在来車もメンテナンスの面倒なMGはSIVに置き換えられる場合もあって、聞く機会が減少している。

最近の電車は実に静かになった。冷房を使わない冬場は、コンプレッサーの動作が止まると、

「しぃぃぃん。」

とした実に静かな空間が生まれる。時々

「しゅぅぅ、しゅぅぅ」

と空気バネが空気を放出する音がするのみである。

最も、SIVを搭載した車両も独特の励磁音がしているといえばしているが、MGの音と比べれば格段に静かである。しかし、昔の電車というものは停車中であっても大きな音を出していた。ホームに停まっている電車。電留線に停まっている電車。パンタグラフが上昇し、通電し、「まもなく営業する」事は音で分かった。冷房を使う夏は、これに加え屋根上の旧型の冷房装置がけたたましい轟音を立てていた。

「ブゥゥゥン」

という独特の音を出すMGであるが、冬場等、轟音を出す冷房装置が動作していない時は余計に良く響いたものである。幼心ながらに電車の音として認識しているのは、駅に停車中の電車が奏でるこの音だったりする。

深夜の駅で、夜行列車に乗るとき、
この音を聞く時、
旅立ちの旅情が一気に湧き出してくる。

この音を聞くと「旅にでるなあ」と感じたものである。

2009年9月24日木曜日

役目を終えたEF65たち



コマーシャルで17号を群馬へ向かう度に気になる場所がある。
埼玉側から神流川、烏川と橋を渡り、広大なキリンビールの工場跡地を過ぎると倉賀野の陸橋を渡る所で、右手に日本オイルターミナルの油槽所が広がる。この地方の要衛となる油槽基地で、毎日高崎線を走る京浜地区からのガソリン等を積んだタンク貨車が終着となる駅であるが、その日本オイルターミナルの敷地に隣接して、倉賀野貨物駅がある。その一角にひっそりと役目を終えた電機群が。見るとEF65ばかりだ。ナンバープレートが外され、架線のない留置線に留め置かれ、パンタグラフを畳んだ姿はもう動かす事はない事を暗に知らしめている。機種は、F型やPF、更新機や原色の未更新機など、バラエティも多数。
 これらの機関車は、ここに一時プールされた後、順次解体されていくようである。不景気ながら、流石に昭和の機関車は更新しても耐用年数を迎えており、ここ数年は新車投入による更新ラッシュ。鉄道博物館ができる前、大宮にJR東日本の解体施設があった時は、西口の代々木ゼミナール脇の留置線が電車の墓場であり、103系や、113系等、そこに入線する車両を見るたびに心を痛めていたが、この地区のJR貨物の機関車の終着地はここだったようである。

2009年9月21日月曜日

モーニングステイション 会津若松駅



シルバーウィークという耳に馴れない言葉が世間を騒がせている。

AM5:10

山間の観光都市の玄関駅は客を迎える準備をしていた。

電化されている駅だが、静かな構内には、発車を待つ気動車のエンジン音が響く。ぐるりと歩いてみる。駐車場と化した上屋のある貨物ホームの方を見ると、整備されたレンタカーがズラリと並んでいた。さらに足を進め、留置線を覗いてみると、奥の留置線には原色の583系。構内の端に留置された、こんな車両を見ると廃車体に見えてしまうが方向幕に灯りが灯っており、MGの音が漏れ聞こえてくる。臨時の列車なのだろうか、イレギュラーな列車の発車準備が今日が特別な日である事を知らせている。

駅前のバスターミナルに夜行バスが到着した。どっと溢れた旅客は口少なに改札口へ向かう。ホームには、郡山、新潟、只見線各方面の列車が待っている。バスから降りたのはシルバーウィークの帰省客だったか。いや、駅前で写真を撮っている旅客もいた。

それぞれの思いを乗せ、駅は動き出したようだ。やがて、郡山からの特急が着く頃には観光の旅客でごった返すのであろう。




2009年9月20日日曜日

トイレの紙が、、、

今日はかみさんの実家で晩御飯をご馳走になり、明日はコマーシャルなので、自分だけ帰る事になった。車はかみさんと子供が乗って帰るので、自分は籠原駅から電車に乗る。
調子に乗って食べ過ぎたからか、改札を入った瞬間に腹痛が!
「紙を持ってない!」
しまった駅前のトイレで済ませておけば良かった!。駅のトイレは紙を常備していない。電車賃を払うのもビビる財布の中身。あの忌々しい、ハナガミ販売機で紙を買うのは小生的には最大の敗北である。 こんな時に背は腹に変えられないが、あの販売機で紙を買ってしまった敗北感といったらこの上無い。
しかし、改札に入ってしまっては後の祭り。最後の望みは電車の車内のトイレ。籠原は始発がある駅なのでホームに電車が停まっている事を期待したが、こんな時はやっぱり停まっていない。 次の電車は15分後、そんなに待てない。

「やばい、危険だ!」
次第に冷や汗が、脂汗になり、とうとう観念して、小銭を握りしめ、駆け込むように駅のトイレへ。

「あれ?販売機がない。」

個室を覗くと、ちゃんと紙がセットされたペーパーホルダーがあるではないか。
理由を考えている間はない、何はともあれ助かった。

はあぁぁぁ。
しかし方針が変わったのか、この駅だけなのだろうか、ホントに何はともあれ助かった、、、。

2009年9月19日土曜日

時刻表



小生、旅行にあの、少年ジャンプや少年マガジンといった少年マンガ雑誌サイズの大判、フルサイズの時刻表を持っていく。理由は「お金がないから」。だってコレ1冊1150円もするのだ。これとは別に小さい時刻表を用意する予算がない。

カミさん的には、そんなにデカい時刻表を「買う」事の意味そのものが理解できないらしいが、小さい時刻表は、駅を全部網羅していなかったり、臨時列車を一部、掲載しない事であの小さいサイズを実現している。季節ごとの臨時列車を調べたり、そして何より、小生の趣味、「辺鄙な駅で乗る」場合は、やはり、このフルサイズの時刻表でなければ無人駅での正確な時刻が判らないため、用が足りない。最も自宅で時刻を調べて予定を立て、旅行の時は小さい時刻表を持っていくというのが基本セオリー。

ただ、小生は、山下清にでもなったつもりで、フラフラと旅に出て、行き先で大きな予定変更をザラにするので、やっぱりこのサイズの時刻表を持ち歩くのは必須。

アレ?うーーん、でも山下清画伯は、時刻なんて気にして旅をしてないか、、、。いいんです。あくまで、「気持ち」、「キモチ」。



2009年9月15日火曜日

免許の条件フィールド





小生の免許証の拡大画面であるが、種目が増えてくるとどんどん増やしたくなる。上をみたらキリがないが、大型特殊二種や牽引二種といった通常、必要がない種目のフィールドが埋まっていると一目置かれたりする。

しかし、条件のフィールドって忘れてないだろうか。大型特殊は農耕車に限る、とか大型車は自衛隊車両に限る。といったマニアックな文言や、大型車はマイクロバスに限るといった今は取れない種目があるのもマニアの間で知られている。

ところで、中型免許の新設で多くの人が、中型、8トン限定の長々しい条件が加えられたと思う。目が悪く、AT限定免許を持っている人はすでに3行になっていると思う。小生も小型二輪のATという、クソ免許をもっているので3行。思ったのであるが、ここのフィールドって狭くないか?オーバーフローしたらどうなるのだろうか?

日本の免許は難解なシステムで上位免許を持っていても下位免許の条件は保持される。これは多分、上位免許を返納したり、更新時の適性検査をパスできずに上位免許を失った場合に下位免許の有利な条件を保持するためだと思われるが、小生も大型を持っているのに中型の条件は保持している。という事は二輪も、大型二輪をATで取ると今の小型の条件に加え、大型二輪は650cc以下のAT車に限るという長々しい文言が更に加えられるはず。多分、その辺で文字数は、いっぱいいっぱい。それ以上限定条件を加えると、文字が小さくなったり、裏書きされたりするのだろうか?

気になる。

2009年9月13日日曜日

今月もPUBLIC DINER




ここの所、給料が出ると家族でPUBLIC DINERに行っている。子供連れだと、どうしても行く場所が限られてしまって、今まではファミレスばかりだった。ファミレスも悪くないのだが、何か、こうもう一ひねり洒落た店に行きたくなる。その点、PUBLIC DINERはいい。
今日は日曜日だったためか、行ってみてビックリ、駐車場にズラッと並んだ車から、随分お客がいるなと思ったが、中に入ってみると、客の半数以上が5歳以下の子連れである。奥の座敷や、オープンテラスのコーナーは、さながら保育園と化した店内にビックリ。親は小生と同じ30代の人がほとんど。なるほど、みんな悩みどころは同じだったのかな。



今日はおすすめB定食。白身魚&ササミフライ。890円。レギュラーの定食は1000円~1500円と、やっぱ加賀屋より高めかも。

2009年9月12日土曜日

緑の新幹線




小生が旅をはじめた頃、東北へ向かう新幹線と言えば、山形行きのシルバーの400系が若干ある以外は、仙台や盛岡へ向かう新幹線は緑色の200系ばかりであった。「スーパーやまびこ」と称される、仙台まで無停車の、現在の「はやて」の前身の速達スジは200系の16両編成列車が当てられていた。今思えばあまり速くなさそうな姿であるが、2両の2階建て車両を中間に従え、堂々の16両で盛岡へ向かう姿は、当時のフラッグシップであった。

現在、200系は延命更新改造を施されたK編成のみが残り、完全なオリジナルの姿を留めた編成は消滅した。緑色の編成はリバイバルで登場したK47編成の1本のみ。1日の走行距離が長く、車両を酷使する新幹線は世代交代が早い。200系の後継として登場したE2系も後継のE5系が登場した事で、最速達列車の運用からの撤退が話題になりはじめた。そうなるとローカル運用が細々と残る200系の全廃のカウントダウンもはじまったともいえよう。




シャークマスクと呼ばれる100系スタイルの16両H編成の先頭車。16両編成以外にも上越スジで運用されるF編成など、短い編成にも存在し、それなりの勢力があり、しばしば目にした。中間車の先頭車化改造で誕生したこの顔はしばしの間、東北新幹線の「顔」となったが、延命更新改造される事なく廃車。キリっとした目と大型のスノープラウが異色の組み合わせのこの独特の「顔」は短命だった。




小生、何故かこの、中間の車掌室からの車掌の顔出しスタイルが好きだ。緑のライン、威圧感ある大型の雪切室が頼もしい。100系タイプの2本ラインとなってる編成は2階建て車両を組み込んだ16両編成。

2009年9月10日木曜日

夏の忘れ物



「暑さ寒さも彼岸まで」というが、9月は夏の名残を感じながら急速に秋へ向かう季節。コマーシャルで、毎週、長野や山形の高原を駆けているので、週ごとに、だんだん、秋めいてきた事を肌で感じるようになってきた。もうこんな写真も季節外れになってきたかな。
月末には標高の高い峠道ではそれこそ色づき始める。夏と秋が同居しながら徐々に涼しくなる、この季節は1年のうちで最も好きな季節かもしれない。

2009年9月8日火曜日

国鉄型特急電車



深々と雪が降りしきる、まだ明けやらぬ朝、「しぃーん」と静まり返ったホームにモータージェネレーター(MG)の音を鳴り響かせ待機する特急電車たち。

1998年の冬の青森駅。手前のボンネット型の485系は函館ではなく、大阪ゆきの「白鳥」。その向こうに見えるのは盛岡ゆき「はつかり」。向こうのホームでは札幌からの客車急行「はまなす」が、折り返し快速「海峡」となるべく機関車のエンド交換をし、車内の準備を進めている。「はまなす」から降りた乗客たちは足早に目的の列車に乗り込み、動き出すまでのしばしの時間を過ごす。

秋から冬に向かうこれからの季節、こんな情景に出会いたくて旅をしたものだ。最近、こんな風景を見る機会がすっかりなくなってしまった。ベージュ色の車体にレッドの帯をまとった特急電車の姿を見なくなったからだ。ましてや、このように並ぶ機会は滅多に見られない。

最もこの車両たちは走っているのであるが、塗色が変更された車両ばかりで、国鉄オリジナルのこのカラーリングの車両はめっきり姿を消した。この写真の車両、485系電車に限って言えば、オリジナルのカラーリングは、JR西日本の金沢の車両が残るのみで、大阪へ向かう「雷鳥」が数往復と、急行「能登」で1往復が東京に上ってくるのみでなかろうか。

最近、こんな情景が鉄道博物館に再現されて話題になったが、つい10年くらい前までは、地方ではまだまだ当たり前に見られていた光景だった。だってこれ、デジカメの画像である。

2009年9月7日月曜日

防火水槽



またまた山形ローカルの話題。鉄道模型にちょっと加えても面白いアイテム。防火水槽。

消防設備ってその地方毎に地域性があって面白いのだが、このタイプの防火水槽も関東ではあまり見かけない。私有地に大きく張り出した構造は地主さんの好意で設けているもので、関東にもあるものだが、これは、赤い給水管が大きく上に張り出しているのが珍しい。やっぱり理由は降雪時の作業をやりやすくする為だと思われるが、関東の防火水槽ではやはりマンホールで蓋がしてあるだけである。

消火活動をする側にとって、防火水槽はあまり使いやすいものではない。その容量に限りがあるのはもちろん、加圧されている消火栓と違って、水を出すのに真空ポンプの動作が必要だし。何より面倒なのは当たり前であるが、使った後に、必ず満タンにして返さないといけないというルールがある事。消火活動が終わった後に、消火栓からホースを延長してきて、満タンになるまで延々と水を入れ続けるという事もしばしばある。
そんなこんなで、都市部においては消火栓に頼るような傾向が見られた時期もあったが、阪神大震災の時に地震でポンプが停止し、水道管も断裂し、消火栓が機能しなくなった経験もあってか、また防火水槽の意義も見直されている。

赤い看板で目立つ設備で、街のあちらこちらにあるので、旅行に行ったときは、地方毎に表情が異なる消火設備を観察するのもまた面白い。

2009年9月6日日曜日

モーニングステイション 蚕桑駅




山形鉄道フラワー長井線。蚕桑駅。「こぐわ」と読むらしい。蚕の桑とは養蚕が盛んだったのだろうか。

AM6:40。朝霧に包まれた時間に訪れた。駅の時刻表を見ると6:33に上り列車が出た後は7:33までない。朝の通勤時間だというのにこの少なさ。下り荒砥方面に至ってはそもそも始発が8:00ときた。

ホームに出てみる。

廃線かと思う草生した細い2条のレール。しかし、よく見ると表面が車輪で磨かれ、光っている事が、ここが現役の路線である事を教えている。

雪国独特の街の大きさにしては広い、駅前通りを東に、5分ほど歩く。

水田に描かれたアートが現れた。違う種類の数種類の稲が育ち、色合いや背丈の違いで、文字を浮き出していた。


2009年9月4日金曜日

消火栓

山形で見つけた鋳鉄製のレトロな消火栓。ちょっとお洒落な街角にも合いそうだ。実は山形には、こんなのが街中にある。

「このタイプの消火栓は東北や北海道に多い気がするのだが、、、。」

と、そこまで考えて理由が分かった。一般的なマンホール型の消火栓は雪が降ると埋没してしまうからだ。消火栓にはマンホールに加え、丸い標識看板が立っている事が多いので、位置は分かるかもしれないが、豪雪地帯ではカチカチに凍った雪を掘るのは難儀である。

小生、実は消防団に所属しているのだが、火事現場でまず、確保しなければならないのは水で、水道管から直接、加圧された水を取れる消火栓は一番便利だし、まず最初に探すものである。このタイプなら雪が積もっていても雪の上に顔を出しているし、赤いので目立つ。そして迅速にホースを繋げられる。

レトロと思われる、鋳鉄の消火栓。これは雪国では残っているというより普及している物なのかもしれない。

2009年9月3日木曜日

EF65 500



家に帰ると面白いおもちゃがあったりしてついつい見てしまうのだが、今回見つけたのはご覧のチープなEF65。箱を見ると菓子コーナーなどに売っている、ガムのおまけのようである。息子はガムなど食える歳ではないので、さてはおもちゃ目当てに買ったな、、、。しっかしEF65しかも500番台とは随分とシブい。箱に描いてある他のシリーズには700系、300系新幹線などと書かれているが、何故かEF65 500がラインナップ。

ブルートレインの牽引機というと何が思い浮かぶだろうか?小生が子供の頃の子供向けの本にはPFことEF65 1000番代が牽引機として紹介されていたように思う。それから今春の廃止までEF66の時代が長く続いたが、一番カッコいいのは、EF65 1000(PF)以前の牽引機やはりEF65 500(P)ではないだろうか。65PFはどこか弱弱しい感じがするし、EF66は貨物を牽引する姿はカッコいいがブルートレインにはイカつすぎる。正面2枚窓の重厚感といい、やっぱ65Pが一番カッコいい。

さて、マニアックな話、500番台はブルートレインを引いていたP型と重連型で貨物を引いていたF型が番号の区別なく混在していたので見分けが難しい。もっとも、P型もF型も役目をPFに譲って引退してからというもの専ら貨物ばかり引いていたので区別の意味はなくなったが。

さて、というと、このおもちゃは、P型かF型か気になるところだが、ナンバープレートを良く見るとただ単にEF65と描いてあるだけ(笑)ジャンパ栓が多い事や、自動復心付の密自連である事から、、、F型。なるほど、牽引してるは確かに貨物だ、、、。ちなみにP型は連結器まわりがF型に比べ、随分とスッキリしている。



昔の写真を探したら辛うじてEF65 500が出てきた。96年の撮影。熊谷貨物ターミナルで休んでる姿であるが、JR貨物高崎機関区所属のEF65 526号機と思われる。上越線仕様のツララ切り、ゴテゴテした連結器まわり、F型。この機関車は、今は除籍されたが、JR東日本にはPトップこと501号機が健在!

2009年9月2日水曜日

無人駅


無人駅から乗るのが好きだ。

都会に暮らす者にとって、鉄道の旅でのスペシャルなシチュエーションといったら無人駅からの乗車だ。

青々とした田圃のまんなかにホームだけがぽつんとある駅。水が張られた田圃を渡る風が清清しい。

やがて短い編成の列車がやってきた。

車掌さんから切符を買う。

「松本まで」

とりあえずの目的地を告げ、切符を買い列車に乗っていると、まるで山下清にでもなった気分になる。

あらかじめお膳立てされた切符で旅行するのもよいが、行きあったりばったり、乗った先で切符を買いながら旅するのもまた、いい。

2009年9月1日火曜日

コンパクトデジカメを使いこなす


コンパクトデジカメの最大の便利な所は背面の液晶画面を見ながら構図を決められる事であろう。実はデジタル一眼はフィルムのカメラの流れを強く残しているため、ファインダーを覗くだけでは構図とピントだけしか分からない。露出がCCDを通してんな具合かは撮って見ないと結果が分からないのである。しかし、コンパクトデジカメは液晶画面に構図やピント、露出の具合までがリアルタイムにプレビューできる。実は、これ、非常に便利である。
カメラによって設定が違うのだが、露出補正ボタンを覚えておくと便利。小生の場合、左右キーで露出を補正するようにカスタマイズして設定。こうしておくと、撮影時にクイックに好みの露出が選べて便利である。 露出は弱アンダー気味に撮った方が色の乗りが良いので、小生のカメラで1段か2段。‐0.2から‐0.7F暗くする方向で補正する事が多いようである。 暗く潰れると、どんよりとした暗いイメージの写真になりやすい為か、カメラ任せだとオーバー気味に撮影する機種が多いようであるが、そうすると、逆に色味のない画になってしまう事が多い。そんな時、若干暗めにしてあげると、グッと色の幅が広がる。



窓越しのアングル。外側の景色にターゲットを合わせたので、カメラもわりかし正確な露出を出してきた。このカメラ、若干露出がオーバー気味で、外の景色が明るすぎる気がする。



-0.7補正。若干暗いかなと思ったが、背景の山陰のブルーが現れる等、色味が増した。