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2015年8月16日日曜日

幻の鉄道建設公団AB線 ~道北の未成線~ 興浜線(1)

リメイク_リバイバル_アーカイブス

この記事は1998年8月に取材されたものです。
取材1998年8月 ムーンライト松崎

幻の鉄道建設公団AB線
~道北の未成線~
興浜線



「かつて北海道には網の目のように鉄道が敷かれていた。」

鉄道廃線に興味がある方はもう当たり前のように聞いている事である。
今や鉄道廃線王国の北海道だが、道北にはほとんど完成していながら、55年廃線の憂き目にあった未成線が埋もれている。美幸線がそれである。工事の進捗率はほぼ100%と言われレールまで敷かれていたのにも関わらず、ほんのわずかの差で開業に至る事ができなかった。また枝幸で美幸線と接続し、オホーツク海縦貫線の最後の開通区間になるはずだった、興浜北線。今はなき深名線と羽幌線をショートカットする名羽線もまた大部分が完成していた。そんな道北の未成線たちを覗いてみた。


序章

 サークルの合宿がたまたま北海道だったので、その行程で興浜線-美幸線-名羽線と連続して回れるだろう。この取材はそんな甘い予測でスタートした。過去3回の北海道旅行は18きっぷと周遊券で鉄道路線は全部制覇してしまい、鉄道で行けるめぼしい所はだいたい見てしまったので、今回はマイカーで新潟からフェリーで乗り付けた。未成線取材の前日は別の自動車組と、釧路から知床一帯を観光し網走へ。この時点で夜になり夕飯でも食べようかと、網走駅の待合室を覗いてみると札幌行き夜行の特急「オホーツク10号」を待つ連中がたむろしているではないか。結局、自動車組と鉄道組とで駅前のファミレスで食事を取り「オホーツク10号」を見送った。その後素直にサロマ湖方面へ向かって道の駅寝をすればよかったのに、オホーツク10号を追いかけて北見に先回りして乗っている連中を襲撃してしまった。この時点で、23:30を回っており、釧路から走りどおしだったので、さすがにダウンしてこの辺でビバークする事にした。サークルにたまたま北見出身の者がいたので、健康ランドを紹介してもらい、ここで、夜を明かした。

  翌日、7時ごろに健康ランドを後にしたのだが、地図を見て後悔した。北見から興浜線の未成線区間が始まる雄武まで、150キロもある。北見からオホーツク海に出て、そこから雄武に着いたのが12時ちょっと前だったか、そこから枝幸に着いて14時、この時点で焦りが出て、相当取材が雑になりはじめる。枝幸町役場で話を聞き美幸線に沿って美深まで出た所で16時半。役場で話が聞ける限界の時間だった。美深の市街地を出る段階で、17時になってしまい、現地に行くと日暮れギリギリになり、熊が出ると怖いので名羽線の散策は断念する事なってしまった。

  それでもひとおり写真は撮れたたはずだと思って、埼玉の自宅に帰った後で、撮った写真等のデータを整理してみると、あまりの取材不足に愕然とした。ペーパー資料はそこそこなのだが、写真と現地調査があまりにも少なく、説得力に欠ける。

「ああ、北海道で気づいていれば!」

と後悔したが、もう帰ってしまってからでは遅い。あきらめて原稿を書き始めるが、名羽線に至っては写真すらない。これではさすがにダメだと思い、北海道在住の友人のE氏に電話してみると月曜か火曜なら空いているとの事。北海道旅行後で予算が極端に厳しい時期であり、何せバイトがギッチリ入っている。しかし、スカイメイトがあと半年つかえる年齢である。どうやら3万もあれば往復できそうだ。結局バイトの谷間の2日を上手く使って、今度は飛行機で再び渡道する事になってしまった。
やれやれ、甘い計画の立て方の代償がかなり高くついてしまった。これも鉄道を使わずに現地に行ったバチであろう。

今回の取材において旭川在住の友人のE氏には多大なご協力をいただいた。再調査にあたっては自動車まで出していただいてナビゲートしていただいた氏のおかげで何とか公開に至る事ができた。まずはじめにこの場で感謝の意を表したい。

幻の鉄道建設公団AB線 ~道北の未成線~ 興浜線(2)

リメイク_リバイバル_アーカイブス
 この記事は1998年8月に取材されたものです。
取材1998年8月 ムーンライト松崎

幻の鉄道建設公団AB線
 ~道北の未成線~
 興浜線(2)





建設の経緯

  興浜線は釧網本線、湧網線、名寄本線、興浜線、天北線と繋いで、オホーツク海沿岸を縦貫するルートのひとつであった。実際に営業されていた興浜線は浜頓別-北見枝幸間の北線と興部-雄武間の南線に分かれていて、最盛期の路線図を見るとオホーツク海沿岸のルートは興浜南線の雄武と興浜北線の枝幸の間だけが途切れている事が分かる。

  興浜線は北は天北線の浜頓別、南は名寄本線の興部から伸びるかたちで、興浜南線(興部-雄武間)が1935年(昭10)に、興浜北線(浜頓別-北見枝幸間)が1936年(昭11)それぞれ開業していた。残る興部-北見枝幸間は戦後の昭和41年に鉄道建設公団のAB線として、雄武方から着工され、雄武から枝幸町の西音標までの区間で路盤が完成した。しかし昭和50年代に入ると既開業区間もいよいよ存続を危険視されるようになった。(ちなみ未成線区間の輸送密度はだいたい600人日/キロであるとされ、シリーズ1作目の岩日北線とほぼ同じである。)そういった状況下で昭和55年を迎え、当然のごとく建設が凍結されてしまった。また既開業区間も第1次特定地方交通線の指定を受け、南線、北線ともに1985年(昭60)7月に相次いで廃止され、バスに転換されてしまった。廃止にあたって三陸鉄道のように未成線区間を完成させて第3セクターのオホーツク本線とする構想もあったが、地元負担が大きく実現には至らなかった。


 

廃線をみながら


紋別の先で見た名寄本線の廃線

序章で述べたとおり、取材した日は北見に泊っており、7時ごろに北見を後にした。しかしざっと見積もっただけで枝幸までは200Km近くもある。未成線の遺構を見つける度に車を止めていては、枝幸に着いた段階でお昼過ぎになってしまい、美深で打ち止め、名羽線へは行けない公算が強い。昨日のうちに少なくとも紋別あたりまで移動しておけばよかったと後悔するが全てが遅かった。

  北見を出て、国道333から道道685を経由してサロマ湖方面に抜けた。サロマ湖を見ておきたい事もあって、東側のルートを取ってしまったが、距離的には留辺蕊、遠軽、湧別と抜けるかつての名寄本線ルートの方も面白いかもしれない。距離は大して変わらない。

200Kmという距離は時速70Km/hぐらいで走れば3時間。スピード違反をして100Km/hで突っ走れば2時間で着いてしまうだろう。北海道、特に道東、道北に来て驚いたのは全く走り方のスタイルが違う事だ。町と呼べるものは20Km~30Kmごとに並んでいる感じで、町と町の間の信号は「全くゼロ!」。市街地以外はほとんど追い越し解禁の白い点線のセンターライン。国道と道道の主要な交差点でさえ一時停止の看板が立っているだけの始末である。であるから当然に地元の車は速い。

北海道に来た初日に夕張と浦幌のあたりで速度取り締まりをやっており、危うく難を逃れた経緯があり、法規を守るような速度程度で走っているとあっという間に後ろにつかれ抜いていく。だいたい見るからに、100Km/hが標準といった所か内地では、有り得ない。まぁ、ここは我慢の子で。迫りくる後続車は、なるべく先に行かせて、耐える事にした。

  サロマ湖から先は国道238号を走る。この国道がまた一直線でやたらと速度が出る。ところで、この国道、名寄本線とも沿っていたはずである。川を渡る際に山側に気を付けていれば、突然廃橋が現れたりする。紋別の先で名寄本線の橋脚等を発見しながら、10時前に興部に着いた。かつての興浜南線はここから分岐して北へ伸びていた。興部駅跡は何処かと市街地を見てみる事にしたが、資料がないためさっぱり見当がつかない。何か手がかりはないのかと、とりあえず道の駅(道の駅おこっぺ)に寄ってみる。

  さて、この道の駅、噴水に前にD51の動輪が置いてあったり、ライダーの宿泊に使える気動車が置いてあったりで、どうも駅だった臭いがする。建物の反対側に回って見ると何と名寄本線の転換バスのロータリーになっていた。「これは」と思い近くで犬の散歩をしていた人に聞いてみるとまさしくここが興部の駅だったとの事。なるほど併設されている町の施設の入口の横に「思い出の興部駅舎」と書かれた名盤が置いてある。



  興部を出ると国道はいよいよ興浜線と並走するようになるが、まだここは廃線。未成線の区間に入るのは雄武から先である。この廃線区間も左手に橋脚や築堤を見る事ができる。

雄武に着いてからもまた駅跡地を探すのに苦労した。とりあえず興部がそうだったからと雄武でも道の駅に寄ってみた。だいたい元が駅だったところはなんとなくオーラが出ているものだ。町の中心にあってやけに用地が広かったり、町外れに位置するタイプでも、なぜか一本道があったりするものだ。ここの道の駅「道の駅おうむ」も市街地にあってやけに用地が広い。そして、その姿にギョッとした。


「なんじゃこのタワーは。」

  UFOを思わせる大きなタワーが建っており、雄武町地域交流センターと書かれている。その中に入って行くと観光案内所のような窓口があっり、ご婦人が暇そうにしているので興浜線について聞いてみた。それによるとやはり、ここが雄武駅の跡だとの事。では昔の駅舎はどうなったのかと聞くと、この交流センターは去年(1997年)に完成し、いつかは分からないが昔の駅舎はかなり前に取り壊されて長らく更地だったようである。さらにこの先に建設途中で放棄された興浜線のトンネルもあると付け加えた。



幻の鉄道建設公団AB線 ~道北の未成線~ 興浜線(3)

リメイク_リバイバル_アーカイブス
 この記事は1998年8月に取材されたものです。


取材1998年8月 ムーンライト松崎

幻の鉄道建設公団AB線
 ~道北の未成線~ 
興浜線(3)


   とりあえずは放棄されたトンネルを探してみたい。雄武を後にし、再び国道を走る。しかしご婦人の言っていた放棄されたトンネルがなかなか見つからない。左手に水管橋と化した公団規格の橋が現れたりするのだが、トンネルは見当たらない。それ所か気付くと、あっという間に7Kmも走ってしまい元稲府の駅予定地をも過ぎてしまった。慌てて駅予定地を探そうとするのだが、これまた容易ではない。こんな事なら雄武の役場に行っておけばよかったと思った。しかしどちらにせよ、先に述べたように調べるとしても後に日程がどん詰まりになってしまい、美幸線沿線を見る事ができるかどうかも怪しくなってしまう。そこで、今回は美幸線と名羽線を加えて3線同時企画にして、水増しをして、道北の未成線のイメージを伝える事にして、各駅ごと調査は省略する事にした。

  あのご婦人の言っていたトンネルは後の2日目の調査で見つける事が出来た。2日目はE氏が郵便局で、旅行貯金をしている間に、付近を散策したみた。タワーのある道の駅から線路が延びていたと思われる方向に歩いて行くと公園がある。築堤を崩したようであるが、これは建物を建てるために山を削ったらしい。駅からの角度からしてこの公園付近のようなのだがと思って周囲を見ると、何時の間にか老人ホームの散歩用の庭をキョロキョロと物色していたらしい。これはとんだ失礼をしてしまった。不審人物と思われては困ると思い慌てて老人ホームを回り込んで歩いて行くと、その先は住宅地になってしまっていて見当が付かない。

「困った」

と思っていたところ地元の人が歩いてきたので聞いてみた。

「興浜線?ああ、そこですよ」

「ヘッツ!?」

と思っても見当たらない。その人に案内してもらって、指差す方を見ると、なるほど住宅の間に築堤らしきものが見える。それにしても大抵は不審な人だと思われるのだが、歩いて行って案内してくれるなんて、ヤケに丁寧だなあと思った。肩から一眼レフカメラを下げ、デジカメとメモ帳を片手に持っていたのでどこかの雑誌社の取材だと思われたのかもしれない。

  さて、エンコラと築堤に上ってみるとなるほど、住宅が建つ丘の下を潜るトンネルが見える。これが前回ご婦人が言っていた放棄されたトンネルであろう。前後を見てみると、なるほどトンネルは道の駅と老人ホームを結ぶ線上にある。てっきり山をくり貫くトンネルだと思っていたのだが実際は住宅街にあったようだ。おそらく道の駅と交流センター、老人ホームは同じ時期に開業したのだろう。新築された建物だったので鉄道の臭いがそっくり消え失せていたのだろう。しかし、未成線の路盤に新築とは・・・。これでは「今後の再生の検討は・・・」と聞くまでもない。

  反対側は塞がれているとの情報があるので、敢えてこの先に踏み入れる事は止めた。


水管橋と化しているPC橋(元稲府付近)



雄武の市街地にひっそりと眠っていたトンネル


  再び、元稲府から海岸沿いに走ってみよう。北見音稲府、北見幌内と進むが、この辺、右はオホーツク海、左は牧場といった風景となる。並走している興浜線の未成線は左手にチラチラ見えるのだが、無残な姿だ。築堤は壊され農場に取り込まれていたりする。そして壊すのが面倒だったと思われる橋やアンダーパスといったコンクリート製の構造物だけがポツンと取り残されていたりする。あとで枝幸町の役場で聞いたのだが、建設が中止されてから土地を売った地主は線路敷を買い戻して農地に戻している人が多いようである。

農地に戻された路盤。
壊すのに手間がかかるからか、コンクリート製の構造物だけが
ポツンと取り残されている。(北見幌内付近)


  幌内の市街地を過ぎたところで、幌内川を渡る。興浜線も立派なPC橋で越えている。この幌内川を渡るあたり、非常に景観が美しい。一旦車を止めて幌内川を渡る橋に登ってみる事にした。国道は幌内川を渡った所で国道238号と道道60号が交差しているのだが、この60号が興浜線と交差する所では、築堤が大きく崩されていた。おそらく拡幅の時に壊されたのだろう。その壊された断面を登って橋の上に出てみた。同じ事を考える先人が多いのだろうか、獣道のように踏み固められた跡があったので、結構簡単に橋の上に出る事が出来た。

  しかし景色が美しい、左手にはオホーツク海が静かに広がり、右手の山並みからは幌内川がゆっくりと水をたたえながら流れてくる。よく水面を見てみると、肉眼でも見える程、ものすごい数のサケがいる。後で調べたところ、ここは道内でも有名なサケの観察ポイントのようである。


幌内川を渡るあたりは自然が美しい。


未成線の橋の上からも遡上してきた無数のサケを見る事ができた。


  幌内川を過ぎると、枝枝幸、北見音標と進む。北見音標を過ぎたあたり、枝幸町の西音標で完成した路盤は果てている。路盤は音標で果てているが、計画線はこの先、風烈布、乙忠部、北見山臼、徳志別、岡島と進み南枝幸で美幸線と接続し、北見枝幸に到達する。南枝幸から北見枝幸までは美幸線の路盤が完成している。雄武-北見枝幸間が48.5Km、路盤が果てるあたりが、雄武から20Kmちょっと。だいたい50%ぐらいの完成率か。公団の資料や未成線大全科では50%となっているから、やはりほぼ半分ができていたと考えていいだろう。予算の投入の状況から察して、もし仮に建設が続いたとして、完成は1990年(平2)頃だったと推定される。