2016年5月28日土曜日

2本目も調整。

さてと、2本目の430MHz25エレK1FOも再調整。同じく給電部を作り直し、再調整。

1本目でだいたいツボを押さえていたからスンナリと行くとおもったらさにあらず。仕事の合間、合間に調整。スライダーを調整したり、D1のスリーブを調整したりで追い込むも、432MHz付近を中心にバシッとSWR1.0という訳にいかない。ああだこうだ、と、やっているうちに気づいたのが、この個所。D1を「く」の字に曲げるとSWRがバッツリと落ちる点が見つかった。



なるほど。思い出した。これのD1は穴を開けに失敗し、左右で若干ズレてしまっていたのだが、強引にエレメントを曲げて誤魔化していた。どうもこのD1の位置でその技はご法度のようである。

結局。D1も一度バラして、左右の穴が同じになるようにした上に若干、フロント方向への逃げを作って可変式の長穴構造として、調整してみたところ。なんとか、調整がついたようである。

導波エレメントはアルミの6φ棒であるが8φの長さ30mmほどの銅スリーブを差すと帯域が安定するのも不可思議なのである。端に合わせて被せるだけの0mmから出しても2mm程度で調整するとスライダーを固定した後の調整も効くようである。Tマッチとは言え、宿命的に給電部付近の電気長が不等長が原因なのか、スリーブの出し方は左右で不等な長さが良いようである。



実はOM氏からオリジナルのK1FOを借りている。キット配布時代のものだが制作者のT氏のオリジナル品らしく。完璧な出来のサンプル品。問題発生時はこれを忠実にコピーすれば良いと貸していただいたので。有るうちに寸法を取って、そして何より見比べながら構造を見てみる。

オリジナルを参考に改造した点は、マッチングロッドを2mmの真鍮線に交換。スライダーも10mm×17mmとオリジナルと同じものを使用して、給電部の寸法を似せた。この構造であると、スライダー位置はSWRの底で、給電点寄りの端部が接続部より70mm~80mmといった部分に来るようでなければ、何らかがおかしいようである。

今回はSWRが底をつくものの1.3くらいまでしか落ちなかったり、437MHzや427MHzといった変な場所でディップしたりする症状の繰り返し。原因を探ったらD1を曲げると432MHz付近の放射エレメントが持つ本来のディップ点が出現したので、スライダー位置を調整するとほぼ、オリジナルと同じ位置に落ち着いた。 



問題があったD1エレメントの取りつけを改良し。再調整。オリジナルと比べると汚いが、電気的にはとりあえず、何とかなるレベルになったようである。あとは2本つないでスタックにして無事かどうか。

あぁ双発でこれだけ手間取っていると、4発化はまだ先になりそうである。もう至近に迫っている伝搬実験はこの体制で臨んでみて、真価が問われるのは果たしてこれで、7エリアの奥とか2、3エリアが安定して取れるかどうかである。


2016年5月24日火曜日

不要な昭和ノスタルジー


これは実は、満を持して書きたい事であったのだがそろそろ良いかと思う。

私は80年代後半から90年代前半のバブル期に小学校、中学校の少年時代を過ごしたた世代である。

当時は働けば働く程お金が儲かったし、頭の良い人は働かなくても儲かった時代でもある。当時の教育といえば、一流の大学を出て一流の会社とか高級な公務員に就職すれば、一生安泰な生活が送れる。だから「頑張れ」といった風潮であった。「塾通い」というのが社会現象になったのもこの頃である。ちょうど私世代がいちばん大学入試的に競争率が高く、今では、三流、四流といった大学でも、なまじ現役で入る事は難しかった世代である。

そういった中、その流れに乗れない子ってのも出現し、不登校(当時は登校拒否)といった言葉が出はじめた時代。ちなみに、関東においては、荒れる学校とか暴走族とかいった世代は我々より若干上である。

全ての事は「お金で解決できる」という神話の時代だったから、年間で数千万、億単位の「収入」がある人はそれこそ、教育や家庭内のしつけまでお金で解決してきた人もいる。

そういった世代が40歳前後と、社会の主力となった現在。再び形を変えて問題が顕在化してきている。最近、色々な人との付き合いがあるのだが、とある資産家の息子を預かっているという人の話を聞いた。歳にして40くらいのようであるが、やはりお金で解決するタイプの教育を受けた人らしく。親のいう事を聞かなくなったらしい。突っ込んでは聞かなかったが、引きこもっているのではないのかと思われる。親の会社で働けばそれこそ、金には不自由はしないのであるが、「そんな所」には活路を見い出せないのであろう。現在、1か月8万円のバイトで自立生活をする事からはじめている。徐々にであるが、金額を引き上げて行って、親の会社で働けるようになれば良いのだが。という事のようであるが。

時代を平成一桁まで戻すが、私たちは、昭和から平成へと元号が変わった頃に中学校に入った。「ゆとり」世代を生んだ元となった「競争世代」であり、ちょっと足を踏み外して、競争から脱落してしまうとそれは社会からの落伍者の烙印を押された時代であった。ちょうどマラソンのスタート段階で転倒してしまい。次々に追い抜かれ、はじかれて路上で転がってしまい、まだ長い道のりで出遅れてしまい、上位争いはおろか、中流争いにさえ取り残されたような失望感を味わうものである。

私の場合。個性が強烈に強いので、小学校までは、それが良いベクトルに働いていたが、中学校に入ったとたん上手くいかなくなった。何が駄目というと色々な要素が複合していたのであるが、成績第一主義で、個性というものが尊重されない流れの中で、学校生活そのものも、脱個性の「軍隊」という表現はまだマシなほう、「刑務所」かのような雰囲気に馴染めなかった。

そして、嫌だったのが「部活」。なぜか運動部に入らなければならないような雰囲気。宅八郎が登場し、「オタク」といった言葉が流行り出して、趣味の世界に極端に傾向する人たちを、今で言う「キモい」という風潮であざ笑っていた時代である。

であるから、運動ができない>文化部>キモい>落伍者みたいな風潮があった。

そんな中、最初は体裁を整えて、某運動部に居たのであるが、馴染めず、サボるようになり、かといって文化部に転向する勇気もなく。次第と部活をサボりまくって、部活が終わる時間を待ってから帰るようになった。しかし、それが、親にバレてしまい。今度は学校へ行く事、そのものが嫌になった。今度は仮病を使いまくり、結果、先生が家に迎えに来た。親も先生も、なぜか泣いているのであるが、泣きたいのはこっちである。ここまでレベルが進むと虐められるようになる。もう最悪であった。


そこから脱却するきっかけを与えてくれたのが、文化部との出会いであった。部員1人。顧問1人の部活であったが、同じように運動部に馴染めなかった子と一緒に、「高校進学のためにいちおう在籍だけでいいからしておきなよ」という誘いで渋々に近く入ってみた。

しかし、実際に入ってみると、なんだろう、今の趣味とは全く別物な部活であったのだが、こういう居場所があるのだと。嬉しくなり、中学校に入った頃、文化部を歪んだ目線で見ていた自分が恥ずかしくなった。結局、結果は大した事はしなかったのであるが、顧問の計らいで、書類上はよくしてもらい、何故か中学校3年生の1年間という時間は有意義に過ごす事ができた上に、進学校とカテゴライズされる高校に行くことができた。そしてあり得ない事に、後で知った事だが、そのキモさが後輩の女の子にモテていたらしい。

高校は、部活動が盛んな学校だったので、文化部のラインナップが豊富であり、そこで現在に繋がる芸術性というか個性が炸裂したのであるが。世間的にみればオタクなのであるが、感覚的には、それを超越しているというか。なにしろ炸裂した高校時代を過ごした。個性を大事にする校風wで、卒業生というものは現在でも感覚的に分かるほどである。そして、今度はガチで、女の子にモテて、非常に美味しい思いもした。今思えば、キモいだけの存在から、時代の一翼を担う事になる、現代へ通じるヲタクマンパワー開花の時代である。いちおう、言っておくが、キモい事を自認している人たちにキモいというのは意味のない事である。


さて、比較的、現在に近い事は抽象的に書きたいのであるが、何らかの理由で、不登校であるとか、仕事ができない人は、多くの場合、決してサボっているのではなく、何かを見失っている事が多い。「うつ病」といったステージに進まないまでも、社会的に、落伍してしまった彼らに「頑張れ」と言うのは禁句である。ましてや「学校へ行け」とか「働け」というのは殺人行為にも等しい。

ここまでで「そんな事当たり前だ」と思った人は私の言わんとしてる事が分かってるだろうし、分からない人は「うつ病」「引きこもり」とかいったワードでググった方が良い。それで、理解できないとか、甘えだとか思ったなら、時代ではないから、教育者とか親とかだったら、危ないので、自分の子供、配偶者の先行きに気を付けた方が良いだろう。

まぁ私の場合、ヲタクマンパワーを炸裂させる事で、本来的な部分の元気を取り戻して来た経緯がある。本当に、今は情報が豊富な時代だから、色々な事にプロより詳しいアマチュアが増えて驚異的な時代である。いや、様々な分野において、儲けなくて良いというアドバンテージをもってアマチュアはプロを凌駕している。自分は農業、とりわけ、園芸関係の仕事をしているが、いわゆる、ガーデニングにハマってしまっている女性など見るに、「真性ヲタク」であると思う。我々でも知らないような、宿根草が無いのかと?そりゃ「無ぇよ。」と言いたい気持ちを押し殺して「分かりません」と答えるのがプロであるが。

そこまで言った部分で、人生において疲れている時に、趣味というものは次のステージへ立ち上がるきっかけを作ってくれる事もある。仕事はできない、でも趣味はできる人の事を、最近、「新型うつ病」とカテゴライズするが。これはごく自然な事であり、最近注目されるようになっただけで、多分昔からある事だろうから、あまり「新型」という言葉はどうかとも思うが。学校へいけなくなった、仕事へいけなくなった、からといって、それまで楽しんでいた趣味までやめてしまうと、悪化する可能性がある。本業に折れてしまった事をきっかけに趣味を見つける場合もある。

つまるところ、言わずもがなといった事。「いちいち言う人」の考えとは逆である。


まぁ、何しろ昨今、喜ばしいのは、ヲタクとか、マニヤといった言葉を堂々と使えるようになった事である。あの平成一桁の時代では考えられない事である。少々過激になりすぎている気もしないでもないが。ただ、我々が注意しなければならないのは、まだまだ、「考えが昭和」な人が多く、下手をしたら火傷するという事である。

全く心底、疲れるとはこの事であるが。彼らは、時代に落伍して取り残されているのは自分たちであるという事に気づいてないようである。

2016年5月22日日曜日

とりあえず片肺できた。430MHz25エレK1FO




さて、変な雑音が入ったがwアンテナの方はやはり、ジュラコンブッシュの溶解というのが、真実だったようで、給電セクションを再制作してマッチングを取ってみる。再制作のキモとしては、オリジナルのK1FOとなるべく似せた給電部とした事で、放射部本体が6φの銅パイプになったのと、マッチングロッドは細い真鍮製とした。ショートバーは10mm×17mmとこれもオリジナルと同じ値にしてみた。


ここは面倒がらずに、ポールを建て、スタックブームを片持ちとして、身長よりやや上で、調整してみた。するとどういう事だろう、比較的あっさりと、SWR1.0で広帯域になる点がみつかった。

う~ん色々なファクターが難しくしていたのか。偽のSWRが落ちる点というのが何か所かあるのだが、本物の点が見つかると、広帯域ガッツリ1.0でアナライザーもSWR計の針も動かない。という事で、リグから電波を入力してSWRを測定してみても、今回はシッカリと、SWR1.0が再現された。ただ、ショートバーをロウ付けしたところ何故かディップ点がズレたようで。そこは第一導波器の先端に差し込んだスリーブを微妙にズラすと元の広帯域1.0の点が現れた。スリーブがズレてしまったのかロウ付けが原因か分からないが、、、とりあえず、OKとなった。

う~ん、しかし、どういう訳だが分からないが、第一導波器の先端に長さ20mmの8φの銅パイプを差しておくと良い事があるようで、放射エレメントそのものではなく、第一導波器先端のスリーブを微妙にミリ単位で動かすと放射エレメントが持っている波長分のディップ点が現れるようである。そこでショートバーを調整するとSWR1.0が出現するようであるが。手持ちでは、インピーダンスが測定できる装置がないので、430MHzにおいては、SWR1.0=50Ωかどうかは分からない。


また作り直すのは面倒なので、念には念を入れて、アナライザー、SWR計、リグ内臓SWR計と数種類で見て、マッチングが取れている事を確認。アンテナ調整時にFT-817はHFから430まで使えるので非常に重宝である。

 さてと片肺はできたが、もう片方は、なんとか見えてきたかな。




平成も30年近くなるというのに情けない



こう家にアンテナタワーが立っていて、Esとか出ると土日とか昼休みに結構激しく回っていると、相当暇だと思われているらしい。加えてここの所のようにアンテナの調整とか、タワーメンテをしていると、得体のしれない大型物を工作しているため、奇異な目で見られがちである。

「お前みたいな、そんな事やってるような奴、見たことねぇ」

この言い回しは、この地方独特の方言であるが、相手をたしなめる時に、お前と類似した人は居ない、標準からはずれていておかしいからそれはやめた方が良いという意で使われる事が多い。

しかし、どうであろうか、コンテストでは埼玉ではJCG13008に次ぐクソQTHのJCC1317の鴻巣はアマチュア無線人口が多く、特に某クラブはコンテストにおいて地域クラブの優勝争いを続けている土地柄である。

「お前みたいな事してる奴見たことない」

という言葉はそもそも、人と違う事がやりたくてこうしているのにとかねがね思うし、しかも他にも万人単位で居るしwww(本当に草ばかり生える)。しかし、これは、この地方の定型表現のようでwこれに対して、どことどこに、こういうOMがいて、世話になっているとか、上手であるとか、他にも同じかそれ以上の人は沢山居るという説明は、どうやら無駄なようである。

加えて、無線を少しかじったような人で大型アンテナを扱った事のないような人からネガティブな情報を得ると、鬼の首を取ったように攻めてくる。

そもそも今日は日曜日だし、何をしてようが勝手であろうが。タワーに上がっているアンテナならともかく地上整備中のアンテナを見て嫌みをわざわざ言うとは強者である。それともあからさまな、強度的な不安を感じたのか、まさかこんなチープなものをタワーに上げる訳ないだろうにw。

全く。要は、趣味の社会的適法性云々より、端的に気に入らないようである。

それを言うなら、私は、酒もタバコもギャンブルもやらずに、時間とお金を捻出している訳だし。日曜とあらば、暇つぶしにパチンコを打ちに行くのと。これは価値観の問題だからどっちが、不健全かっていう議論はやめるにしても、比較対象なしとしても、不健全という答えはないであろう。

どうやら、ここのブログが見えているようであるから、言わせてもらうがw

無線以外にも、鉄道に対するロマンとか、写真とかの芸術的なセンスもお有りにならないようで。私からすれば、そういう方はいささか寂しい。では、言っているその方は、何をしているのかと言えば、歩くと称して、健康のために歩いたり、時間をかけて犬の散歩をしているようだが。

ウチにだって犬はいるし、毎朝の点検時に早朝に連れ歩いている。日常の中の一コマであるが。まぁ退職して、時間があるからといって、それを1日2回も3回も行くのは私としては理解しがたい。スポーツなり、文化芸術分野でも、もっと色々な趣味があるだろうに。

日中かなりの確率で出くわすのだからいつもフラフラと歩いているのだろうが、仲間を見つけては腰を下ろして話し込んでいるようである。で、その、話相手っていうのは、類は友を呼ぶようで、聞き耳を立ててみると、人の悪口や失敗談が中心である。まぁ私のような目立つ装備が建っている人物は話題になりやすい。

盗聴ですか?とか北朝鮮の放送が聞こえるんですか?とか全く的はずれな質問をしてくる人も居るが。大抵は、若くして、スキルも人脈もある事の妬みである。金をかければ、当然文句を言うし、では自作をすると、今度は、暇そうだとか、結局は何かしら言われる。つまり、端的に面白くないから「言ってみたいだけ」なのである。

全く、こうして、ブログに書くという事は、心底呆れているという事である。私も色々なジャンルで、OMを目指し、後輩に指導を与え、互いに刺激しあって、この趣味を盛り上げ、楽しんでいるが、原因不明のトラブルの解決に困ってしまい、真剣にアンテナ調整を行っている、人を捕まえて、その物の言い方はいささか、視野が狭く、60を過ぎて定年を迎えた者の言う事として情けない限りである。

どうも、私と同世代でも、少年少女のために、野球とかサッカーなどスポーツで指導者をしているような人の事は、毎週土日を潰してのめりこんでいても、素晴らしいと言っているようであるが。こういう科学技術的な趣味で多くの先輩後輩がいて、指導され、指導しつつ、お互いスキルアップをしながら努力しているっていう姿に対する理解があまりにも少ないというか、皆無に感じる。

もっとも、彼らにはその場で、説明するのであるが、考え方が昭和で止まっている人には、こういう趣味への理解は難しいようである。というか、無線も鉄道も写真も昭和からの趣味で、多くの人たちが楽しまれているんですがねぇ。

さて、あえて昭和というキーワードを出したのは、考え方が昭和という部分で、私も驚いたのは、昔を忌み嫌われていた、いわゆる「ヲタク」がここまで市民権を得るとは私も少年時代に予想だにしていなかった。世界的社会現象で日本文化と言えば、漫画は随分前から世界的市民権を得ているようであるが、ヲタクについても、世界的ムーブメントが起こっているようである。

私のように、実は昭和の昔からある趣味に対してさえ文句を言うような人たちに、例えば、コスプレとか、秋葉系の趣味は一体どう映るのであろうか。

彼らの子供、孫が理解なしに、頭ごなしに批判されている姿がチラリと浮かび(というか、実際、そういう事案を聞いたから、言っている、というのもあるのだが)情けなさに輪をかけて残念な気持ちが深くなった。










2016年5月21日土曜日

430MHz25エレ。給電部を作り直しになってしまった。


430MHzFM伝播実験まであと1か月を切って、25エレのK1FOが4枚どころか、深刻な状況に陥っている事が分かった。アナライザーだけで、調整をして、満足していたら、パワーをかけると毎回SWRが違うという症状に陥っている事が分かった。SWR1.0のゾーンは広くあるのだが、FM帯はあまり良くなく特に433.0MHzのメインから上は具合が悪く434MHz以上は使えない状況。SSB帯はバッチリとSWR1.0なのであるが、どうもSWR曲線と帯域がおかしい。

OM氏に聞いてみた所、やはり給電部のスライドバーの位置が異常との事。それでもバンドの下の方でマッチングが取れているのは何故か。今日はとりあえず、特に問題が多そうな、スライドバーの位置がおかしいタイプA型の方を分解して原因を探ってみたらだんだん原因が見えてきた。

どうやら問題は、放射エレメントの材質にあったようだ。OM諸氏の経験から、エレメントは多少重くなるが、直径6mmのアルミの「パイプ」ではなく、無垢の「棒」を使っていたのであるが、放射エレメントまで棒にしてしまった。もちろん、アルミではハンダが乗らないので、贅沢にも無垢の銅棒にしたのだが。これが失敗の元だった。

無垢銅棒では、ハンダが乗る温度まで加熱するのに時間がかかり、強力なコテで加熱してハンダが乗ったところで今度は冷めるのに時間がかかる。今回、一旦作り直そうとして、あろうことかガストーチで炙って、スライドバーを外し、調整を始めたが、一旦、バラして、嵌めて見たら、どうにも、元々のおかしかった、値さえ再現されなくなって、トンでもない値を示すようになってしまった。

「!?」

と思って、二言なく給電部を分解してみたら、見事にジュラコンブッシュが溶けていた。どうやら最初は、絶妙な溶け方で、ブームに触るかどうか微妙な所で溶けていたので、スライドバーの位置がおかしかったり下のほうでディップしていたらしく、修理にあたって、乱暴にもガストーチで炙った事で、ジュラコンブッシュが完全に溶けて、破綻して、放射器とブームが電気的に接触して、マッチングが取れなくなったようである。

「トホホ。」

やっぱりOM氏が言うように素直に給電部を1から作り直した方が早いようである。作り直すにあたって、必要な部材と、昔販売していた、オリジナルタイプのK1FOのサンプルを手に入れる事ができたので、寸法など援用して、銅パイプ仕様に交換して、給電部は作り直し。

田植前で土日でも仕事が切れないので、合間合間で、やっていたら、ここまで来て夕刻になってしまった。やばいなぁ間に合うかな。作り直してすぐにマッチングが取れれば、2本目も修理して、とりあえず4本は諦めてスタック運用とすれば、問題ないのだが、すぐにマッチングが取れなければドツボに嵌りそうだ。

多分、ジュラコンブッシュが無事だったのだろう。関東UHFコンテストのあたりまでは、そこそこちゃんと動作して、無事にしかもかなり強力に飛んでいたのであるが、これでは、もはや死に体。

とにかく

「間に合わせる」

OM氏から、資材を色々貸していただいて助かったのはいいが、見てはいけないものも色々見えてしまった。とにかくスタックでいいから気持ちよく、スカッとした仕様で本番を迎えたいものだが。はて、、、、。


パイプ仕様で作り直している給電部。セミリジットケーブルはヤワそうで、芯が細いからか、熱には強いようで、大丈夫そうだったが、資材が手に入ったので、問題になりそうな部分は極力排除する方針から、交換する事に。明日。くみ上げて、調整までいけるかどうか。雲行きが怪しくなってきた。






2016年5月4日水曜日

TOSHIBAのFlash Air(WiFiカード)を使ってみた。

私の撮影の仕方だと、ちょっとしたネタを撮って、SNSで仲間とその日の出来事を共有していたりするのであるが、スマホは便利なツールでカメラ付きであるが、一眼レフ他の高性能なカメラで撮った画像をSNSにアップして、共有できたらなぁと思う事がよくある。

実は最近の機械では、ボチボチWiFi機能を搭載したモデルなども登場しているのであるが、まだまだラインナップ的には少ない。小生が使っているα77も後期型たるα77IIにはカメラ本体には内臓されているのであるが、その機能のために買う訳にもいかず。

そこで、導入してみたのが、これ。


TOSHIBAのFLash Air、WiFiカードである。いちおう32GBクラス10と名打っているが。このカードは基本、SDカードを媒体として使っているカメラであれば、どんなカメラにでもWiFi機能が付与できる。

私の持っている型のα77ではeyeFiという別規格を正規サポートしているのであるが、東芝型のFlashiAirも使えるとの情報を入手。何しろeyeFiは安い物でも10K円近くと高いのに対して、東芝型は本来、中国向けの事情がある製品なら、3K円弱で入手できる。3K円なら使えなくてもネタでコンデジ向けとかに転用できそうだ。

問題は、あくまで中国向け製品の並行品なので、取扱説明書が、中国語な件であるが、これは、日本語の東芝のサイトへ行ってみて、PC用とスマホ用の日本語アプリを入手し、まずPCで基本設定をやったのちスマホ側でWiFiを受ける設定をすればOKであり、この変は特別難しい事はなかった。

今の所、東芝のサイトに詳しく出ているので、日本仕様と同じ方法で設定すれば、ほぼ問題ない。



無線装置だから気になる、技適マークの有無だが裏面左上に〇の中に〒マークをあしらった、技適マークが見える。大丈夫そうである。日本語マニュアルの注意書きとしては国内はよしとして、海外へ持ち出す場合は、アメリカやヨーロッパの一部の国など、WiFi機器が認められている国で使用の事と書いてある。



果たして、使ってみた結果は。


先日の只見撮影に持って行ったのであるが、おお、ちゃんと使えている。アプリが通信してサムネイルを、DLして、ブラウザ風に表示し、必要な画像だけを高画質でスマホに転送できる。ランチタイムと帰り際に画像を検索して、よかったカットをSNSに投げる事ができた。。。

....それだけ。つまりそれだけの機能で。

問題が、、、沢山あった。

まずは電池消耗。ただでさえ、消耗が激しいα77であるが、カードのWiFi機能をOFFにしていてもなお、電池がみるみる減ってゆく。1撮影地あたり、10%ちょいで減っていく有様で、朝6時から始めて、9時頃には28%とデンジャラスゾーンに入ったので、予備バッテリーに交換した。

予想では、お昼前まで持つと思っていたが、想像以上の電池の持ちの悪さである。

無線用に使っているDC-ACインバーターを持っていたので、消費したパックは自動車での移動時間が長い箇所で充電したら40分ほどで満充電と、思ったより充電が速かったので、実際のところの、一日の電力は賄えた。

さて、電力の問題は、自動車での撮影行なら、予備と交換して外したバッテリーを急速充電させる事で間に合わせる事ができるが、問題は転送速度。

普段のカードは同じクラス10でも90MB/sの600X型を使っているが、それの場合。私はSNSとの共有性と後での調整の両立考えて、RAW+JPGと最も重い形式で撮影しているのであるが、条件が良ければ最速12コマ/秒で撮影できるのであるが、8コマ/秒に落ちた上に、転送に時間がかかっている。90mB/sカードでさえだ。

いつものパターンであると、接近してくる列車をまず数枚予備打ちして、カメラをウェイクアップさせ、動作を確認し、在来線列車の場合置きピン位置から、押しっぱなし連写を食らわせる。ここで三脚座から外して、AEとAFをオートにして後追いをバッファの許す限り撮ると。流石に最後はシャッターが切れなくなるのであるが、おおよそ10秒もしないうちに転送は終わるのであるが....

このカードときたら

予備打ちをして、本打ちをして振り向くと、もはやバッファが一杯でシャッターが切れない。しかもアクセスランプが点きっぱなしで、1分以上プレビューさえできない。どういう仕様なのか分からないが、バッファが満タンになった後、1分もバッファを開放しない仕様のようで、テツ撮りでは致命傷である。

これは厳しい。遠方から徐々にやってくる列車は、バッファ転送速度を気にしながらも徐々に切りながら、本命ポイントで一気に切る方法でやるのであうが、このカードでは気を付けないと本命ポイントで飽和してしまう。


イヤイヤ、サイトを見てみたら、若い女子向けwの内容となっており、撮った写真を女子会で交換する用途には非常に良さそうだ。私としてもSNSでリアルタイムで、送れる機能には便利であるが、電池消耗はバッテリーで補えても、転送速度の遅さはいかんともしがたい。

SDカードの場合クラス10が最高クラス設定なのか、クラス10の最低値を上回る製品、しかもとんでもなく高速な製品がゴロゴロ出ているので、クラス10としか書いてない製品は博打的商品である。

東芝。しかも、白いカード。「白芝」という言葉ももはや死語になってしまったが、若干期待したもの、多くの皆さんが、レビューで酷評している通り、何とも言えないカードであった。

ちなみにeyeFiとFlashAirの違いであるが、FlashAirは怪しいバージョンも含めてRAWファイルもサポートするがeyeFiはPro版のみ。また小生のα77もそうだがeyeFiを正式サポートしているカメラはeyeFi機能の操作をカメラ側で持っており、カメラ側の表示画面で操作できる。といった違いがあるも、転送速度においては、まぁ両方ともそんなもんだろうと思う。やはり、高速カードに書いた後にカメラ側のハードウェアWiFiで転送できる、WiFi内蔵機が一番良いに越した事はないようである。

32GBモデルで、怪しい仕様の3K円弱の東芝の奴でも、使い勝手が悪くても、とりあえず問題なく使えているので、安いものでも、10K円近くするeye Fi proを買うとなると、果たしてどちらが良いのか、、、これはユーザー次第。


結論としては、転送速度で画質が変わる訳でもないから、連写転送速度が必要でなく、バッテリーもそれほど必要でない用途だけど、「皆と早く共有したい」、とう用途には便利だと思うので、しばらは様子見で使おうと思う。


旧MINOLTAのストラップには今や伝説となってしまった、カードシステム用のカードを入れるためのフォルダーがついているものもあり、私も場合そこを改造して、予備のSDカード入れとした。これは意外と便利。


後日談:
eyeFiPROが安かったので、eyeFiに交換。やっぱり、カメラ側で対応しているというのは良く。転送時しか使わない通信機能は、カメラ側の設定で、ON/OFFができるようになったのと。動作中は背面液晶に動作ステータスが出るのも便利。東芝のものはコンデジ用にコンバート。


激安の東芝製並行品と元祖EyeFiの製品はこちら

結局メインは通常の高速型のSDカード


2016年5月2日月曜日

ゴールデンウィークは新緑の只見線(前編)





ゴールデンウィークは新緑の只見線(前編)


ここの所の恒例となった、夏男殿が6エリアから関東へやって来た折の、何故かの東北遠征。3回目の今回はJH1OAP氏も同行する事となったので、那須塩原でOAP氏をピックアップするルートでロケ地を選定した結果、テーマは新緑の只見線という事になった。

現在、只見線は2011年の新潟・福島豪雨の影響で、会津川口と只見の間が依然、不通で復旧の見込みも立っていない。六十里越えの区間は、鉄道が復旧され、新潟方へと出る事ができるが、この季節まだ、道路の方は新潟県側へは出る事ができないようであり、山間部での撮影となると、会津川口から、会津若松までの区間となる。

新緑の山間をゆく只見線と、あわよくば、只見川沿いのダム湖にかかる橋梁で見られる川霧が発生しないかという淡い期待も込めて、会津川口方から只見線へ入ってみた。まずは只見川第一橋梁を見下ろす鉄塔の麓へ。ここは、かつては道路トンネル内から、電力会社の巡視路を登るしかなかったが、近年、遊歩道として整備され、観光地としての撮影として整備されて、行きやすくなったポイントである。しかし、現地についてみると川霧どころか、濃霧。確かに夏場に良く出るものであって、まだ季節的には早いのであるが。

時折、霧が晴れて、第一橋梁が見えた一瞬もあったが、列車が通ったタイミングで再び濃霧となり、現像してみて、初めて、かろうじて列車のシルエットが見えるか否かといった状況。残念だが最初のカットは没となってしまった。ちなみに、この会津若松1番列車は平日は3~4両、休日2両で運転されるようで、今日は、GW中とはいえ合間の谷間の平日であったので、4両と只見線としては長編成でやってきた。SLでもない限り短編成を予測していると慌てる列車である。

只見線 会津西方-会津桧原
α77+SONY 24-70 F2.8T*   (70mmAPS-C)

さて、一番期待していた、第一橋梁は没となってしまったが、川口方へ戻る方向で足を進め、只見川第三橋梁付近でやっと霧のレベルが、列車を見渡せるようになった。しかしまだ、橋梁を俯瞰するようなロングショットではキツく、朝2番列車が若松方へと向かってくるまで時間があるので、只見川第三橋梁付近の川畔をゆくコースの広角近距離のポイントで霧が晴れるのを待ってみる。

7時台の早朝とはいえこの季節は太陽はだいぶ高く上がっているだろうに、霧というか山間部なので、雲の中なのだろう。霧がかったダム湖の湖畔を朝2番列車がやってきた。この列車の会津若松到着は9時台。高校のある会津坂下でも8:30付近と、通勤通学に使うには厳しい時間。2両である。ちなみに濃霧でよく見えなかった朝1番列車は4両であったが、会津川口発が5時台後半。この付近は6時台に通過する。

只見線 早戸-会津宮下
α77+SONY 24-70F2.8T*  (24mmAPS-C)

山間部へ入る本数の多い時間帯は、第一橋梁の付近の会津宮下駅での列車交換を行うので、山間部でも会津宮下駅に近い撮影ポイントでは、列車が間髪を入れずに立て続けにやってくるので忙しい。このポイントもすぐに川口行列車が後方よりやってくるので、すぐに、至近にある、第三橋梁を望むポイントに転戦する。

さて、確かに橋梁は見えるレベルにまで霧は晴れてきたが、遠方は白く霞んでいて、この距離だと列車はスッキリはしなかった。この付近は只見川を小さなダムが川幅を大きく変える事なく、連続して堰止めている区間で、只見線は高所を只見川第一から第四までの橋梁で高所を通過してゆく。川のようでいて連続したダム湖なので、水面に水流はみられないので、水面はおだやかである。特に、風のない午前中がおだやかなようで、水面に車両と橋梁が映り込む事が多いようである。


只見線 会津宮下-早戸
α77+SONY 24-70F2.8T*  


さて、当初の予定では太陽もだいぶ上って明るくなっているはずだったので、会津川口駅のすぐ若松寄りの大志の集落の俯瞰地に行ってみた。

ここは、スキー場付近から取る正面がちに撮る俯瞰地と、只見川の対岸で撮る俯瞰地があるのであるが、対岸俯瞰地は、光線が午後向きであるものの、この天気ではあまり関係ないだろうと思い、行ってみた。しかし、行ってみると、より山間に近い会津川口付近ではまだ依然として霧が深く、距離が長い対岸からの俯瞰では列車が判別できるレベルになかった。どうしようかと諸氏と相談した結果、霧が晴れる公算は少ないとみて、危ない事は避け、仕方ないので会津川口駅付近で近距離で撮れる場所を探す。

ちょい、ちょい走ってゆくと、会津中川付近に俯瞰地ながら、列車が見通せそうで、ロケーションの良い場所を発見した。ちょうど、地元で撮られている方が、ご一緒だったので、情報を頂いたのであるが、本来、このショットより、一段下のポイントの方がスッキリしていて良いようであるが。大志の対岸俯瞰まで一度行って戻ってきた都合、列車の時間が迫っているため、ここで収める事にした。

下のポイントの方が広く見えるようであるが、手前の木々が新緑の感じを出していて、この季節、ここも良いかもしれない。そもそも良いから、地元で通い詰めている方が、ここに居たのかもしれないが。


只見線 会津中川-会津水沼
α7+MINOLTA 50mm F1.7 FUJI PROVIA100

 午前中に撮れる列車は会津若松行き3本。会津川口ゆき2本の5本。列車速度が遅いため、山間部の端部と端部なら、列車に追い付ける場合もあって、チャンスは増えるものの、捨て列車が発生したりで効率も悪く。何しろ恐らく曇天による雲中に入っているからだろうか、山間部では霧になるという、悪天候に阻まれて、良好なショットが望めなくなった。朝の若松行きの通学列車が終わると、昼の列車まで3時間ほど時間が空くので、午後に撮る列車の撮影地のロケハンをしながら、あらかじめ、撮りたい個所の構図を確かめつつ一旦、山間部から降りる。

喜多方まで行ってラーメンを食べて昼食とし、磐越西線や只見線の「里区間」のロケハンをしつつ山間部へ戻ってみる。午後に撮れる列車は3本。会津川口からの列車が2本、会津川口へ向かう列車が1本である。

ここまで読んでみて気づく人が居ると思うが、あの山間部の会津川口から降りてくる列車の方が多いのである。実際の所は夜間、会津川口には2本の列車が夜間滞泊しており、朝の通学時間に若松行き3本、川口ゆき2本の運用をこなして、会津川口方に入っている列車は1本となる。そして昼間の運用で、川口ゆき1本、若松ゆき2本をこなすと、山間部に入っている残存列車はここで一度0本となる。

さて、ここで、夏男殿が面白い事を発言した。

「さっき、駅での発車で笛の音が聞こえましたよ。」

そう。ワンマンではないのである。超閑散線区で往々にしてある事なのだが、本数の少なさ故にワンマン化さえされず居るのである。最近までタブレット閉塞だったり、不通区間との兼ね合いや冬季の事など色々なファクターがあるのかもしれないのであるが、事実、只見線には車掌が乗っており、山間の会津川口で最低、4名の乗務員が泊まっているように見える。

そして、夕方~夜間のダイヤであるが、山間部に入る会津川口まで通す列車で見ると、会津川口ゆき3本に対し、会津川口から若松まで山を下ってくる列車は1本のみと。終列車時には会津川口に2本の列車が泊まっている事になっている。

災害で不通になる前、タブレット閉塞だった時代。会津川口は山間の小駅とはいえ、運転上は要衝であり、閉塞方式故に運転要員も擁し、季節によっては夜明けやらぬ時間帯に若松方、小出方に分かれて列車が発車していたようである。早朝の会津川口へ寄っていないので、現在の様子は定かではないが、それでも山間の小駅に2本が夜間滞泊しており、そのうち朝1番列車は、平日は3~4両で運行されているようである。


(後編に続く)

ゴールデンウィークは新緑の只見線(後編)



ゴールデンウィークは新緑の只見線(後編)

(前編から続く)


さてさて、実際の様子とダイヤから只見線のそんな状況が読み解けた所で、会津宮下まで戻ってきた。午後になったらラッキーな事に雲は完全に取れないまでも太陽が顔を出すようになり、帰りの時刻を考えると、3本しかない列車をどう撮るかという問題となった。

まずは会津宮下駅付近の中学校にある八重桜。

左の校舎は体育館なのか、それとも講堂なのか、使用感のない雰囲気である。川口寄りに真新しい体育館が見えるので、もしかしたら、もう使われなくなった建物なのかもしれない。

校庭の端に植えてある八重桜もハラハラと散っている。

遠くなってゆく昭和の残像が一瞬垣間見えたが、木々には新しい葉が吹いている。


只見線 会津宮下-早戸
α77+SONY 24-70 F2.8T*  (24mmAPS-C)

ここで一旦手前に取って返して、織戸駅の川口方にある古屋敷のS字へ向かってみる。天候も良くなり、絶好のお立ち台という事もあって、数人の撮影の方も居た。このショットを見ると分かると思うが、本来の古屋敷Sの手前。第一古屋敷踏切付近からのショットである。

他の撮影の方はこれより百メートル近く入った本来の古屋敷S字へ向かっていたようであるが、ロケハンしてみたところ、杉の木の林から出てくるS字は雰囲気は良いのであるが、踏切付近の手前のSの方が新緑の感じが良く出ているので、手前で撮ってみた。

午前のダイヤと車両運用からすると、ユネスコエコパークバージョンのラッピング列車が川口方についてやってくる公算が強いのであるが。

果たしてやってきた列車は通常の東北地域本社色の列車であった。会津若松駅には転車台と扇形庫を擁する会津若松運輸区があるので、このタイミングで運用や検査スケジュールのために列車が入れ替わりがあるのかもしれない。ちなみにあの扇形庫は検査のためか気動車が生首で入っている事もあり、方転されると、車両の方向も変わる可能性もあり、何ともデータで読めない線区である。

ちなみに、先頭車の上に突き出している装置がかなり目立つが、これはどうやら形状からして、NTTドコモの衛星電話のワイドスターのアンテナのようである。只見線車両の独特の装備で、鉄道無線の不感地帯をバックアップする装置である。しかし、正面がちにとると、一瞬、電柱を串刺しにしてしまったかと思うこの嫌なシルエットであるが、中学校で撮った側面のショットも含めてよく見てみると、アンテナの前部に樹木やトンネルツララによる、破損防止用なのか、ガードがついているようでこう見えるようである。


只見線 織戸-滝谷
α77+MINOLTA 80-200F2.8 HIGH SPEED APO  (130mmAPS-C)


帰りは国道400号を通して帰る予定なので、川口付近で最後の列車を撮る事にする。午前中、撮影地に足を踏み入れながら、濃霧のため断念した大志集落を只見川の対岸から俯瞰する場所へゆく。会津川口駅の手前から林道を行くのであるが、ここの所の雨で、落石や、路肩の崩落している個所もあって、現況撮影地まで行く事ができるが、路肩が弱くなっており運転には注意が必要な、状況。もしかしたら工事が入るかもしれない。この日も、GW合間の平日だったからか、役場の職員が来ていて、崩落個所の点検をしていた。

さて、今日最後の一枚。実は只見線の山区間は南へ向いているため、午後の方が配光が良い箇所が多いのであるが、ここも何とか晴れている間に列車がやってきてくれた。

只見川沿いの雪深い地域独特のトタン屋根の家の集落を、2両編成の短い列車が、抜けていった。



只見線 会津川口-会津中川
α7+MINOLTA 50mm F1.7 FUJI PROVIA100


さて、もう長らく不通が続いている只見線の会津川口-只見間の残された不通区間の先行きであるが、現在バスで代行されているが、復旧した際の赤字の補填をカードに新たな交渉局面に入ったようであるが、復旧されるか、どうかはまだ決定した訳ではないようである。ちなみに、冬季に道路が寸断される区間は、只見-大白川の六十里越えの区間であるが、この区間においては2012年に復旧している。

夏の只見川沿いを抜けるのもよし、冬場の豪雪に埋もれた景色の中を行くもよし、只見線を会津若松から小出まで乗りとおす旅は魅力に溢れるルートであったので、早くまたこの魅力的な線区に通しで乗りたいものである。


付録 1994年撮影。雪とたたかう鉄道 只見線会津川口駅~タブレット交換