20年前、私のBF5はミキを助手席に乗せ、東京港トンネルを走っていた。当時大学2年だったか。ミキはT県のちょっとした中小とはいえ中企業の令嬢だった。ミキは飛行機でプチ帰省をするのだという。BF5は老兵とはいえ、アクセルを踏めばブッチ切れるほどの快感で、このトンネルを抜けられるのであるが、ミキが嫌がるので、仕方なく、中央車線をやや速めに流していた。
ミキとの出会いは突然であった。私は大学のサークルの部室で暇を持て余していた。現代写真部とは名ばかりで、ムサ苦しい男どもが、鉄道写真を撮るために集まったようなものだった。その内訳は鉄道写真8割。現代写真2割といった具合か。
私は8700iにマウントしていたシグマの標準ズームの具合が悪く。買ったかばかりのM社純正の28-105レンズを同じ8700iを持っている浩史と調整していた。マウントがC社である伸二は、写真の整理をしているようだった。
そこへ美希子は突如として現れた。
「あのう、入部したいんですけど」
むさ苦しい男どもは、突然の訪問者に、慌てて腰を上げ、椅子の埃を掃い
「どうぞ、どうぞ」
と怪しいもてなしで、浩史が部の活動内容について話を始めた。
それがミキとの出会いであった。
数ヵ月後。私は、BF5でミキのアパートへ乗りつけ、入っていった。もう、付き合い出して何ヶ月経っただろうか、悪い言い方をすれば特段、可愛い訳でもなく、田舎から出てきた少女を、私は騙すかのように半同棲生活へと誘ってしまった。
身の丈に合わずに面食いな私は、ミキがあまり可愛くないという点においてだけ、どこか不満足な部分もあったが、これが生涯の胸の痛みの始まりとも知らず、昭和のフォークソングの世界に唄われているような堕落した学生生活を送っていた。
昭和のフォークソングと違っていた点は、ミキの住居が、四畳半のしみったれた下宿ではなく、新築のメゾネットであった点だ。そのあたり、ミキは、その風貌とはちょっと違った、特別な娘だったのかもしれない。そこへ寄生するように、私は不釣合いな半同棲生活を送った。BF5は1日おきに車庫とミキの家に泊した。
その日の翌日。私は、伸二と浩史に誘われて、ヨコカルへ出かける事にしていた。ヨコカルとは当時有名な鉄道撮影地で、今は廃線になっていて無い。前日から伸二と浩史に言われていた私は軽い気持ちでミキにも聞いた
「ミキも行く?」
「うん!、行く、行く!」
屈託のない笑顔だった。
翌日、私のBF5は車庫に帰ることなく、ミキの家から直行で、助手席にミキ、後部に伸二と浩史を乗せ、K道を走っていた。
「ちょっと心臓が痛い」
いかん、いかん、ちょっと踏めばすぐにスピードが乗ってしまう。左車線に移り速度を落とす。
「俺たちだけを乗せている時は、思いっきりブッちぎっるくせに」
そう、言いたげに、ニヤニヤと目線を合わせる伸二と浩史の姿がミラー越しに見えた。若干、スローペースになりながらも、ヨコカルの有名撮影地、M山変電所跡には予定より早着した。
「わぁー綺麗」
三脚をひっぱり出し、一眼レフの調整をしている我々を尻目に、ミキはナニやら、コンパクトカメラで狙いを定めているようだった。
どちらかというと撮影が苦手な私に伸二と浩史が、やれ、構図はこうだとか、置きピンはここだと教えてくれる。
当時はまだ、フィルムカメラの時代。湯水のようにデジタルシャッターが切れる今と違って、フィルム代はかかるし、現像代もかかる。写真は一発勝負であった。
やがてブロワーの音も高々に189系を後部に従えたEF63の重連が下ってくる。
「ここだ!」
「バッ」
「バババ!」
一発置きピンの約束を破り、誰かが、ドライブ連写をしたようだ。
「だれだ、ドライブを切ったのは」
笑いながら浩史が言う。それくらい貧乏学生には。フィルムが貴重だったのである。
そんな馬鹿話をしながら、私はミキの姿を探した。ここへ来て、ミキは何をしているのであろう。ミキは朽ち果てた変電所跡を回りながら、コンパクトカメラで何やら撮っているようであった。まぁ、女の子だから。その場はそう思った。
数日後。私たちは暗室で、
「チャポン、チャポン」
と不気味な音をたてながら、写真の現像とプリントを行っていた。印画紙にEF63の姿が白黒に浮かび上がってきた。当時、写真はコストパフォーマンスの安いネガフィルムで撮るか、本格的にポジフィルムで撮るかであった。
しかし、私たちは意表をついて、自分たちで現像できる白黒フィルムで撮っていた。
「まぁまぁかな」
満足げに写真を持ちながら、私たちは暗室から部室に戻った。部室ではミキが先日、コンパクトカメラで撮った写真がDPEから上がったらしく、それをノートに貼りながら、ペンでデコレートしていた。
「全く、女の子らしいな」
そう思いながら、見ていると、ミキから
「見て、見て、どう?」
とノートを渡され、私は言葉を失ってしまった。
まぁ、今で言えば、若い女性、どちらかというと若妻向けの本に出てきそうな構図で、我々の姿や朽ち果てた変電所などが、ヘタクソショットを上手く見せる手法で撮られており、EF63の姿も見えた。
「これは、一体・・・。」
それ以来、私はミキの撮る写真の虜になってしまった。
ミキとは連れ立ってBF5でよく出かけた。しかし私のカメラにはフィルムさえ、入っていない事も多く、それほどまでにミキの写真に侵されてしまっていた。
当時ミキの使っていたカメラはK社のコンパクトカメラにK社のフィルム。普通、一般的なF者のフィルムが赤の発色を得意とするのに対し、K社は青が得意で、ミキの青い空と、水々しい風景はK社製品の組み合わせによるところが多かった。そして終ぞ、ミキは一眼レフカメラを持つことなく、K社製コンパクトカメラをフィルムカメラの終焉まで使い続けた。
ミキは撮った写真を文化祭や展覧会の展示物とするには気がすすまないようだった。それではこの部活に居る意味が無いではないかと言う先輩も居たが、私はミキが言わんとしている事も分かっていた。
私はミキを愛したのと同時にミキの写真にもゾッコンはまり込んでしまったらしい。ミキからもらった写真は、特別に無機質なクリアなフォトフォルダーに収められていた。私が「ミキブルー」と呼んだその写真群には飾りの無い、クリアなフォトフォルダーが良く似合っていた。
※この物語はフィクションです。実在の人物、団体、出来事とは一切関係ありません。
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