2009年8月19日水曜日
ギ洋風建築
15時19分。
篠ノ井でしなの鉄道に乗り換え上田へやってきた。ここで街を散策する事にした。
上田と聞くと何であろう。上田城跡、古い宿場町、別所温泉。いぇいぇ、今回はちょっと目的があって降りたのであるが、お目当ては擬洋風建築。
「擬」とつくのは「模擬」の「擬」という意味。一般的に言えば古い洋風の建物の事を指すのだが、いわゆる「洋館」とか「異人館」とはまた別のものとされる。ちょっと分かりにくかったが、現代風に言えば、輸入住宅と洋風住宅の違いだろうか。今、一般的に住宅街に建っている、洋風の佇まいの住宅は、洋風住宅であって外国の住宅をそのまま輸入した輸入住宅とは異なるものである。大きな相違は間取りではないだろうか、大抵の住宅は1間、(約1.8メートル)ピッチで間取りが計算され、柱が立っているはずである。それに対し、本物の輸入住宅は輸入先の規格によっているはずである。
さて、擬洋風建築は東京などの都市部にある西洋の正規の建築を学んだ建築士が建てた建物を地方の棟梁が見よう見まねで模して建てた物であるとされている。有名なものに同じく長野県の開智学校などがある。洋風の外観に対して、龍が舞っている彫刻が施されていたりと、奇異なデザインが見られるようであるが、そもそもの違いは尺貫法の間取りで、和風建築の技術によって建てられているのである。今となっては少々では正規の洋館との見分けがつかなくなってしまっているが、当時は紛い物としての見方も多かったようである。しかし、時は経て戦後になり、今では文化財に指定されるなど、見直されているのである。
こういった建物は中央との結びつきが強かった地方都市に多いようである。地方に行くたびにこういった擬洋風建築に触れるのが小生の楽しみであるが、何といってもの醍醐味は擬洋風建築はその生い立ちから、民間人が建てた物が多く、代々受け継がれ、現在も現役な物も少なくないのである。
上田もそんな都市のひとつで、養蚕業を介して横浜などの中央との繋がりが強かったからか、このような建物が多いようである。そして、家人の手により大事にされている擬洋風建築が多い街である。写真は旧松高眼科医院。ここは実は小生の学生時代の後輩の実家なのであるが、上田の擬洋風建築の存在を知るきっかけとなった建物。玄関周りの木が邪魔して、また通りも狭いので、全貌を見渡すのが困難なのが残念だが、住んではいなさそうだが、何かしらに使われている雰囲気である。
余談だが、こちらはその一世代後の松高眼科医院。こちらもこちらで昭和レトロにジャンル分けされそうな建物で好きだ。新館開業により、ここも閉院されている。上の建物より芸術性が低いためか、正面の「移転しました」の看板が残念だ。でも、取り壊さない持ち主の心意気が嬉しい。
こちらは多分民家だと思うが、塗りなおされたライトグリーンが美しい。
家人の生活が感じられる玄関周り。
上田養種協業組合。この建物はひときわ大きい。そして驚く事に今も現役!窓をチラリと覗くとデスクに向かう事務員の姿が見える。
現役なので、受付で断ってから、恐る恐る入る。その受付があるエントランス周りが現役クラシックで実にイイ。鉢植えの観葉のシュロチクというチョイスが憎い。
艶やかな雰囲気の廊下。ドラマに出てきそうだ。この廊下、外観に対してどこか「和」っぽい感じがしないだろうか。これが擬洋風建築の良さ。だいいち、この磨かれた床は靴を脱いで上履きで歩くんじゃないだろうか?いかにもウソっぽい洋風建築そしてこの建物の「擬」を発見した瞬間。
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