2016年12月27日火曜日

群馬富岡世界遺産の旅(1)

年の瀬も押し迫り、まとまって休みとなったので、2ndの冬休みがてら、富岡製糸場世界遺産の旅~みたいな旅に出てみた。居住地の周囲に沢山、観光地があるだろうヨという事もあるが、どうも近くの観光地は秩父化wしてしまうようで。ぐんまワンデー世界遺産パスが発売されているようなので、上州路へと旅立ってみた。実は、まだ上信電鉄の全線走破をしてなかった事を思い出したという邪な想いもああったのだが。




高崎駅に降り立つと生憎の雨。今年は、本当に、撮影に行っても、旅行に行っても雨である。会津でも雪の筈が雨だったのは泣きそうになった。今年撮った旅行写真を見るとほとんど雨である。しかも強い。もはや諦めの境地。

さて、高崎から上信電鉄に乗って富岡へ向かう。上信電鉄の発着する駅本屋側ホームの外れの0番線に向かうと、鉄道むすめの「富岡しるく」が迎えてくれた。一般的には、鉄道乗車券と富岡製糸場のセット券が安いが、ワンデーパスを持っているのと、一度、乗りつぶしで下仁田へ向かうので、入場券は現地入手となった。



さて改札に入ってみると、

あれ?女性職員が持っているこれ?
懐かしいなぁ、、、
でもこれが使われているって事はもしや?


さて、乗ったのは上信150型。上信電鉄の車両は元、西武の車両が多いが、これは、西武の101系だった車両。国鉄型の101、103系と同世代のカルダン駆動通勤車である。地方私鉄にもインバーター車が入るようになった昨今。一むかし前の私鉄電車独特のサウンドを響かせながら走ってゆく。少し前まで、地方私鉄には多く残っていた、釣掛駆動車は絶滅種に近くなり、カルダン駆動の直流モーター車ですら懐かしいと言われかねない、雰囲気となったことに時代の移ろいを感じる。



沿線には、敢えて保存しているような、レトロな駅が多く過ぎてゆく。
通常はワンマンであるが、ラッシュ時間帯は改札員が居るようである。



一旦、上州富岡を過ぎて下仁田へと雨の中、坂を上ってゆく。
南蛇井は珍読駅名。







終点の下仁田駅。
レトロとボロの境目は何だろうか、、、
こういう昭和末期的な駅も少なくなってきた。


高崎駅で見た使用感のあるパンチの予感は的中した。
硬券が観光用の記念切符としてだけでなく、現役で使用されている。


下仁田から乗った列車で折り返す。
赤津信号場で日野自動車ラッピング仕様の自社オリジナル車両6000系とすれ違う。


群馬のJRと私鉄5社のコラボきっぷ、「ぐんまワンデー世界遺産パス」(大人2100円。子供1050円)2000円ほどで、群馬と、一部その周辺の私鉄の路線に乗れる、おトクなきっぷだが、不定期発売で、ここ数年は7~12月の下半期に発売されているようであるが、売られているかどうかはWebなどで確認が必要である。


一度通り過ぎた富岡駅へ戻ってくる。
富岡駅は実にモーダンwな姿に建て替えられていた



群馬富岡世界遺産の旅(2)


さて、雨の中、富岡製糸場へやってきた。世界遺産、富岡製糸場へは上州富岡駅から徒歩15分ほど。街中にあるので、自動車で来ると市街地に散在する駐車場を探したり、駅向こうの駐車場に停めざるを得ないのであるが、それを逆手に取って、敢えて商店街を歩いてもらう事で町おこしをする試みをしているようである。

実は以前、来た事があるのであるが、入場料を敢えて2倍とする事で大整備を行っているということである。現在の入場料は1000円。学生や児童の入場料は250円、100円と安く抑えられている。

現在、西置繭場は全面修繕に入ってるようであるし、館内の案内の雰囲気モーダンな感じになっている。蒸気機関のレプリカも登場した。

しかし、今回「モーダン、モーダン」とウルサイなぁ、、、、ここができたのは、大正ロマンのさらに前の前、明治一桁の時代の出来事であるというから驚きである。ちなみに、工場の動力として、当時最新鋭の蒸気機関が導入されたが、電気というものはまだ、日本には無かったという事実で、時代が分かるだろうか。




ガイドが始まるまで、スタンプラリーをしてみる。
木造煉瓦造り。
時代を感じさせる建物である。



時間になったのでボランティアガイドの説明(要、別途ガイドツアー料200円)を受けながら進む。これは、煉瓦の積み方について説明している所。積み方ひとつとっても奥が深い。明治一桁の時代であるから、重機もない時代、山から木や石を切り出し運び、煉瓦を焼くのも大変だったようである。この煉瓦を焼いたのが、渋沢栄一の地元、深谷の瓦職人で、後の東京駅の赤煉瓦駅舎へとつながってゆく。


ガイドは無線式になっていて、配布される機器を通して聴く事ができる。



ここは片倉工業の製糸場として、1987年まで、実際に現役で使われていた。もちろん機械は、戦後のものであるが、操業終了当時の姿を残したまま保存されている。ちなみに、地元の人はここの事を「カタクラ」と呼ぶ人も多い。




電車の中から見てアレ?と思っていたのであるが。
不思議な電動バス
あえてゆっくり走る事で街を観光するというのが趣旨のようである。






さて、高崎に戻って、まだ時間があったので、今回は上越線の渋川の先の敷島まで行って温泉に入る事にした。高崎駅に着くと、雰囲気が一変していた。高崎線から退いてからしばらく休車状態だった211系が3両、4両の短編成になって続々と復帰してきており、高崎発着各線の115系と107系を置き換えていて、時間になると、信越線、上越線、両毛線、吾妻線から、211系が大挙として集まって来る。ほぼ毎時運転されている線区なので、本当にあわただしく短編成の211系がやって来る。最近まで、これが115系や107系だったのであるが、こうも一気に211系になると、不思議な感じである。



果たして、敷島へ向かうために乗った水上行きは希少な115系の6両編成であった。


つい最近まで、味のある木造駅舎が、国道17号から見えていた敷島駅であるが、モーダンwな建物となっていた。駅舎前の赤いポストは変わらず置いてある。新潟方面は下道で向かうときに、車を寄せて投函できると、重宝したポストだが、健在。


ユートピア赤城にある、敷島温泉「ふれあいの家」は敷島駅から徒歩5分ほど。段丘崖を一段降りた所にある。複合施設内にあるが、プールなどがあるクアハウスと市民向け温泉がある。クアハウス500円。銭湯的な、ふれあいの家の温泉は300円(一般)である。
意外と駅から近い。渋川市は、大合併で、周辺の多くの市町村を合併しており、温泉豊富な土地柄、合併したそれぞれの市町村が、温泉施設を持っていたので、300円ほどで入れる安い温泉が各所にある。ちなみに、ここは元々、赤城村だったようである。


旅行に出かけても、撮影に出かけても雨、しかも強い雨が降る1年であったが。
最後の最後で素晴らしい晴天が迎えてくれた。

来年は良い年でありますように。
(シマッタ。自分の影が落ちてるよw)