6エリア氏からSNSで無言の圧力がかかった。どうやら新潟の115系の廃車回送が行われるらしい。先日、E129系が凄まじい勢いで投入されている、新潟の空気をじかに感じたので、廃車回送のそれ自体は日常になっているのだが。今日は4両、L編成2本しかも湘南色と緑色の新潟色の混色(L9+L10編成)で来ると言うのだ。
末期色として湘南色になった編成は、確か2本しかなかったと思ったので、もう撮れないかもしれない。しかも綺麗に晴れ渡った空である。
なんとか、午後の仕事をヤリクリして、フキギョウの上りポイントに構える。
果たして......
高崎線 行田-吹上
α77+MINOLTA 80-200F2.8 HIGH SPEED APO
あちゃ~~~~。正面から望遠圧縮して、長大編成(それでも15連で運用されていた頃と比べると大した事ないが)の迫力を出そうと思ったのであるが。
来る、来る、来る。パンタグラフが迫ってくる(大汗)
切れる、串刺しになる、
ダラララララ.........連写。
はい。。。終了。
悔しいので一コマ前が使えそうなので、両サイドを落として、縦面に切ってみた。
何とか使えるんでねぇべか(トリミング)
さて、しかし、面白い出来事もあった。突如JRの軽自動車が来て、JRの名札を付けた方が降りてきてしかも話しかけてきた。
(やばい、怒られる!)
と思ったが、何を撮るのか聞かれ、おもむろにダイヤグラムを見る社員氏。
「う~~~ん、配の9736これかな。」
私たちは大汗であったが、社員氏は
「珍しい列車なんだから撮りなよ。」
と言ってくれた。そして、
「ちょっと点検するんだけど、一瞬構図に入っちゃうけど、時間までには出るから、邪魔はしないから。」
と。本当にそこまで言ってくれると申し訳けないのだが。
そして、ヘルメットや防護具を装着しだした。社員氏は50代。最後の国鉄世代と思われるが、続いて車の中から出てきたのは、まだ20にもなってないと思われる、新入社員だった。
本配属なのか、その辺は聞かなかったが、新人教育っぽい雰囲気であった。凄く地味な持ち場に、不安そうな表情だった。
そして、TC列警のセッティングをして、見張り氏も準備を整え、3人組で線路を歩いてゆく。
下り方へ歩いて行き、上りに移り、点検しながら、向かってくる。
「カンカン、、カンカン」
ファインダー越しに見ると長い棒のようなもので、打音検査のような事をしているようだ。
時々何かを修正しているようだが。
そして、戻ってきて真横を叩いていた時。
「コン...」
何か異状を見つけたらしく、棒の先で回している。ファインダーを見てみると長いスパナのようだ。そして、緩んでいるであろうと思われるボルトのナット部を回してる。レールの締結ボルトなんて、それこそ天文学的な数があろうものを、ひとつ、ひとつ、点検し、瞬時に不具合を見つけ、修正する。その許容偏差がどれくらいかという話は抜きにして、匠の技である。
赤字が累積した、国鉄末期、職員を採用しなかった関係で、JRは40代の層がスッカリ抜けている。空白の世代と言うのであるが。それ以前の国鉄時代からの社員が、そろそろ定年を迎える。杓子定規では測れない職人技というものの伝承が叫ばれているが、まさにその瞬間を目撃した。
JR東日本という会社は、先端技術の先鋒である印象が強いが、現場ではこうした、肌で感じ取る職人技の伝承もしっかり行われているのを目の当たりにした。
VVVFインバーター制御は当たり前となり、伝送系に革命をもたらしたE231系統ではじまり、E233系統で発展したTIMSからE235系のINTEROSへ。技術の最先端を行く傍ら、万年青年であると思っていた抵抗制御の115系もまだまだ活躍していたが、いよいよ引退の時を迎えた。
引退してゆく国鉄世代と、それを受け継ぐ新世代。そんな車両関係と人間関係に出会えた一瞬であった。