僕は令和4年6月16日徒歩にて四国遍路を完歩した。
順打ちの記録でもなく、逆打ちの記録でもなく、そもそも、これを記録に残そうなんて思っていなかった。しかし、ブログのネタもだいぶ少なくなっている割には、見ていてくださる方も多くて、記録に残そうと思った。このブログは88番から、変則的に過去へと時間が遡っていくので、皆さんが書かれている話法と微妙に違って面白いかもしれない。
最初の発心は平成16年と、高野山の記録にある。高野山の納経だけは日付が記されるからだ。本来なら、結願してから高野山へ行くものであるのだが、平成16年に結縁灌頂の際に、高野山の仏具店で四国八十八箇所の納経帳を見つけて購入して、納経してもらったのがきっかけだった。
結縁灌頂はご存じの方なら分かるかと思うが、金剛界と胎蔵界の2回を受ける。この2回の間にどうやら四国に渡り、板野駅から1番霊山寺へ向かったようである。
覚えによれば、大した発心もなく1番から3番までスタンプラリー気分で、普段着で歩いて、これは完歩は大きいと自覚し、金剛杖、白衣、山野袋、を購入し、歩きでスタートしたのである。
当時、乗り鉄趣味全盛だった自分は、ただ単に、南海電車に乗ったり、四国のローカル線に途中駅で乗降できたり、バスや飛行機に乗るのが楽しみだったといういきさつもあって、結願に19年を要するという壮大な結果になった。
ルールは、一般的な区切り歩き遍路であるが、その回数と細かさが異常である。故種村直樹氏の日本一周外周バスの旅と同じように、主に区切りの点を、駅かバス停に定め、そこを区切りの地とする。今回いきなり4泊5日の日程となるが、そもそも1泊だったり、日帰りという、通常、地場の人でなければあり得ない、行程も多々含まれる。
そして、写真であるが、これを機会に過去のものを整理し、一体、いつ出かけたのか、特定して行こうと思うが、鉄道やダイヤが大幅に変わっている事もあって、正確なものではない。
ともあれ、この20年が何だったのか。大窪寺からは戻らず、ここで結願とし、てひとまず、2回目を始めるために、霊山寺には戻らない事にした。実は、19年、一つの区切りで大成した事。必要であれば、また始めたくなったら霊山寺に戻れば良い事である。結願の地が近くなると88番の後、どうします?という事をよく聞くようになる、一般的には1番の霊山寺に戻り、お礼参りをするのであるが、出会う先達に聞いて見ると、戻る必要は無いだとか、1番でお礼をするか、高野山へ詣でると良いという返事が多く。今回も、事前下調べで、1番には戻るつもりは無かったので、改めて高野山へ詣でようと思う。
何しろ、令和4年、西暦で2022年6月16日の正午頃。徒歩にて四国霊場八十八箇所を完歩した。これはまぎれの無い事実である。